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灼熱の教室と嘘

今日はサマースクールの初日!2020年の3月以来、初めて生徒たちを前にして授業をして心から楽しい時間を過ごせた。

ひとつ大変だったのは室内はマスクと換気が必須のため、エアコンは切られており、教室が蒸し暑かったこと。生徒たちにたくさん水を飲め、とコップに注いで回るが、なぜだか彼らはあまり水を飲まない。

のどが乾いてない、というが、乾いてからだと遅いのだ!熱中症になるよ!と脅してもちょびちょびとしか飲んでくれない。

そんな様子を見ていて、中国の某大都市の大学で初めてサマースクールを教えた時のことを思い出していた。私と、オーストラリア人、カナダ人の3人が担当だった。

そこは広い中国の中でも夏の暑さが尋常ではなく、国内でトップ5に入るほどの“暑い街”として知られていた。
毎年毎年暑いのだから、冷房くらいは教室にあるだろうと思っていた私の期待は大いに外れた。冷房どころか扇風機すらなく、生徒たちは濡れタオルやウチワやなんかを片手にレッスンを受けていた。
まだ6月も中旬だというのに教室はボイラー室のごとく暑い。
風もない。私はチョークを握る指先が汗ばみ、チョークが湿気って黒板を滑らない、という経験をそこで初めてした。
まだ30になったばかりで体力も気力もあったので、バテることもなかったのかな、と思う。今なら絶対に1時間目でクラクラするだろう。

同僚教師の一人があまりにも暑いのでネットで現在の気温を調べると38.5度とあった。

2日目はもっと暑かった。ぺらぺらのワンピースで授業に来たが、もう1時間目から汗がだくだくで辛い。

同僚がまた気温をチェックすると38度とあった。

2日目、生徒たちは屍のようだった。暑すぎて笑う気力もない。ノートは汗で濡れ、大きな水筒の水もすぐに空になる。
そして、午後イチのレッスンで女子生徒が一人失神した。

3日目は午前中の授業で3人失神した。みんな体育会系の男子だった。これでもとは15人いた生徒が4人減り、11人になった。
同僚がまた気温をチェックすると38度だ。
この暑さは38度のはずがない・・・老外(ラオワイ=ガイジン)の私たちはおかしいと思っていた。そこで英語部の部長に電話をすると驚きの事実を告げられた。

政府は気温が39度を越すと工場や学校を閉鎖せねばならないので、気温はどれだけ上がっても39度を超えない

おそるべし政府!国民の健康など知ったこっちゃない、とにかく経済を回すために気温を操作していた。そして市民は皆それを知っていた。それでも政府からのお達しがないため、皆学校や仕事に行っていたのだ。

4日目、私たちは学校にサマースクールの終わりを宣言しに行った。
これ以上生徒や教師の健康を危険にさらしてまで英語のレッスンを続ける意味はない。
3人で、もうやめます、と言いに行き学校は代わりの外国人教師を見つけることは出来ないので、そのまま終了〜となった。
大学は “やめるなら給料を払わない”と言った。そう言えば誰か一人は残るのではと踏んでいたのだろう。
だが私たち3人は気温を操作したバカのせいで生徒が失神した事実を許すことはできなかった。そして知りつつも知らん顔をしていた大学も許せなかった。

いらんです!(Buyao 不要!)とオーストラリア人のキースは大きな声で叫んだ。

そのまま生徒たち10人を連れて近所のカフェ(冷房あり)に行き、冷たいスイカジュースときゅうりジュースを飲んだ。
生徒たちも安堵の表情だった。もう灼熱地獄で英単語を覚えることもない。

帰りに寄ったデパートでキースは温度計を買った。

3人で街中に輪を作り、温度計を手にしばらくじっとしていた。

見えた数字は 44 だった。

シマフィー

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