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遠慮する子どもの行く末


わたしは小さい頃から人の顔色を伺い、周りにとって一番望ましいと思われる行動や発言を取る人間だった。誰かの様子を見て覚えたのか、そう躾けられたのか、それともそれが美徳とされる小さな文化圏に生きて来たからなのかはわからない。
ただなんとなくそうしてきた。

何かが得意だとか、上手にできるとか、秀でているとかを大きく言わない方が良い。
時には自分以外の誰かを花形にしてあげるために、努力して来たこと、能力があることを隠してもよい。

そんな風に生きて来た。

ピンクレディーの振り付けを完璧に覚えても、休み時間にミーちゃん役には立候補しない。ミーちゃんをやりたい人がいなければやる。
ピアノの伴奏を何度練習しても、ずっと控えにまわり、誰かの代役で、という場面にしか選ばれない。
学年で一番カッコいい男子からキャンプファイヤーで手を握られても、彼に恋をしている他の女子を慮って握り返さない。

遠慮することは普通だと思っていた。みんな多かれ少なかれ遠慮している、と思っていた。子供も大人も、他人を思いやり自分がちょっと損をしてもそれが社会だ、と了解の下に生きているのだと思っていた。

そしてそれがパリンパリンに壊れたのは東京の女子大に進んだ時だった。

先生に気に入られようと、学食でいい席を取ろうと、ミスコンで選ばれようと、早慶東大のボーイフレンドを得ようと、わたしの周りの女の子は皆我先にと猛ダッシュをかけていた。自分の利益のためにちょっとの嘘をつき、他人に損をさせても平気な女の子をたくさん見た。それが汚いな、と感じたのは表向きには遠慮しているようなそぶりや発言で、まるでわたしのような遠慮する人間を演じていたことだ。
そのくせ、その染み付いた習慣ゆえに真の遠慮しか出来ないわたしをケラケラと笑いながらバカにした。盛大に自己主張した方が競争に勝ち、最後には笑う、と言った。

そんなんじゃ人生の勝ちレールに乗れないよ。
イケメンで高学歴の慶應ボーイとお得な結婚ができないよ。
欲しいものを簡単に手に入れる将来はやってこないよ。

まだ19、20歳そこそこなのに、そんな風に遠慮なしの計算で人生を計画している女の子ばかりだった。そして彼女たちは楽しそうだった。ニコニコしてキラキラして、自分の欲しいものを欲しいといい、手に入れていた。

日本を出ようという決心は大学に進む前からあった。
どうしてそんなにアメリカに憧れていたのかはわからないが、自分の中のアメリカ生活は生まれ育った小さな町よりも花の都会東京よりも、素晴らしいイメージだった。

アメリカでは遠慮していては何も手に入らない。
自己主張が強くないと生きていけない。
自分でアピールしないと認めてもらえない。

そんな文化の違いをいつも聞いていたから、ここでなら無理せずとも遠慮する子どもから遠慮しない大人への変貌を自然と遂げられるのではないかと思っていたのだろう。
自分の本心を隠さずとも、堂々とミーちゃんになり、ピアノを弾き、皆が振り返るイケメンを見せびらかしながら生きられるのではないか。

そんな思いを抱きたどり着いたアメリカで、わたしはやはり遠慮する日々を送っている。あの文化の違いは間違ってはいなかったけれど、遠慮しながらの自己主張でもアピールでも世間様には優しくしてもらえる。

必要とされる技術は提供し、意見を求められれば様子を見ながら話す。
歌えとも踊れとも頼まれないし、ピアノを弾けることを知る同僚もいない。フェイスブックで大々的に人生の節目を他人に祝わせることもない。
周りにいるアメリカ人はそれを咎めることもしない。もっと自己主張しろ、アピールしろ、前に出ろ、欲しいものは欲しいと言え、とは言わない。

大人になったからわかったのか、場所が変わったからそうなったのか、自分なりにメリハリをつけながら遠慮しているのか、よくわからない。
でも東京で遠慮せずに生き、私をアピール力のないバカだと笑っていた彼女たちは間違っていた。

彼女たちから見て、私の人生は羨ましいものではないだろうけど、自分はやりたいことをやって、失敗しても大丈夫で、ドキドキに満ちた人生を送った。
イケメンで高学歴の、そんなことは差し置いても、優しくて面白くて家事好きで、趣味も価値観もあう人と結婚した。
欲しいものは簡単に手に入るものではないが、努力して自分で手に入れられるものもあるということがわかった。

遠慮ばっかりの人生で、傍目にはニコニコでもキラキラでもなかった自分は、いまだに周りの人間の顔色を伺い誰も傷つけないよう、誰も不必要にがっかりしないよう、気を使いながら生きている。

正しいことをしていると思いながら生きている。

シマフィー

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