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動かないモデル

この写真を撮ったときに思い出したことがあった。(シマリス見えますか?)

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同じ様なポーズをとったことがある。両手を壁について腰をひねってこちらを見る。そしてこちら側には私を凝視しながら手を動かす人がたくさんいた。

アメリカの大学院にいたときにモデルをしたことがある。どこで誰に声をかけられたのか詳しくは覚えてないのだが、美術系の専門学校でヌードモデルをしないかと誘われたのがきっかけだった。デッサンモデルだ。

その学校はいろんな人種と体型と年齢のモデルに来てもらっていたのだがアジア人のモデルはおらず、彼らはアジア人のモデルを長い間探していた。思うに人前で裸体を晒すのはその当時アメリカに住む一般的なアジア人大学生にとっては ”良からぬバイト” だったのだろうと思う。私は困ってるみたいだし、やったことないからやってみようか、と興味本位で行ってみた。ひょっとしたらマッパではないかもしれないし。

教室に入る前にロッカーに通され ”はい、全部脱いでから来てね、毛布をかぶってね、教室が寒いといけないから”と言われ

やっぱり、マッパか とそこでわかった。

生徒さんも来ているので後戻りはできない。流石に最初の日はちょっと恥ずかしかったが、開き直るしかこの場を乗り切る方法はない。

教室の前方にある台の上で ”好きなポーズをとっていいよ” と言われ、とったのが上のシマリスの様なポーズだった。先生の様な人に ”10分そのまま、動かないで” と言われ、10分間微動だにしなかった私に、スケッチが終わったときに四方八方から声が飛んできた。

すごい!10分間全く動かなかったね!銅像みたいだった!表情も動いてない!描きやすかったよ!

と動かないことをめちゃくちゃに褒められた。

ちょっと肌寒い教室で、すぐに毛布を羽織り台を降りると生徒のみなさんが自分スケッチを見てくれ、と手招きするので見せてもらう。そこには自分がたくさんいた。黒い線だけで表現してあり、ある人は顔をメインに上半身、ある人は全体、ある人はお尻からつま先、と色々な側面から描かれた自分を見たときにまるで新しい自分が見えた様な気がした。

まだ私と同い年かもっと下か、そんな若いアーティストたちがこぞってお互いのスケッチを比べながら、私の目の形やふくらはぎの筋や、肘の角度などを話し合っている。そんな様子を見ながら、ここに来て、服を脱いで、10分間動かずにいてよかったなぁ、と思った。彼らのデッサンを見たら恥ずかしいという気持ちもなくなっていた。

その後3ポーズ取り、たくさんおしゃべりをして、何枚かスケッチを貰い、また来週来てね、とお願いされ、20ドル貰ってそこを出た。

週末ごとに私は服を脱いで台に立ち、ポーズをとった。10分間動かない私と10分間せわしなく動く何十もの手。生徒たちは会うたびに上手くなり、速くなり、デッサンのクオリティがみるみる上がるのが素人の私にもわかった。

アルバイト最後の日、私に手渡されたのは200ドルだった。裕福ではない美術学校の生徒たちと先生たちがカンパしてくれ、いつもの10倍のバイト代をくれたのだった。ありがとう、とマッパに毛布のまま頭を下げる私にたくさんの拍手を送ってくれ、泣きながらそこを後にした。

その何年か後、私がその土地を離れたずっと後に、大学院時代の友人からメールと写真が送ってきた。

その写真の中にある、ダウンタウンのギャラリーの正面玄関に飾られた油絵の肖像は紛れもなくあの時のマッパの私だった。

シマフィー 



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