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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”…
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#昔の話

バレンタインデーとキラキライケメン

2月14日を真剣に“やってやろう”と思ったのは高1の時、一度だけだった。それ以降は勝負をかけていない。 一応言っておくとまだ昭和の時代である。 同じクラスになった彼はなんと小学校4年時のクラスメイトで、私が引越しで転校するまでの1年間毎日顔を合わせていた。それ以来の再会となったのだが、私は顔を見て名札を見ても一瞬彼がわからなかった。 小学校の時はごく普通のぽっちゃりさんで勉強でも運動でも目立たず、特に何とも記憶に残らない男子だったその彼が、キラキラと輝く背が高いロン毛のイケ

顔で選ばれなかった恋

私は綺麗な顔をした男性が好きだ。綺麗と言うのは人それぞれだと思うので、自分のラインでの綺麗をここに宣言すると・・・ 輪郭や鼻の線がはっきり直線でカクカクしている鋭角的なひと 清潔で長くてサラサラ・ふわふわ・もしくはくるくるの髪の毛が顔にふんわりかかるひと まつ毛が長くてバッサバサのひと やや顔色が悪く寂しそうな、物憂げな表情も様になるひと 口元がキリッと引き締まってて、笑うと歯並びが綺麗なひと どの人種の男性でもこんなタイプに惹かれる。これは多分過去の刷り込みによ

かわいいの基準

東京の女子大に通っていた時のこと。自由が丘のとあるショップのオリジナルトレーナーがクラスで流行ったことがあった。動物の名前とイラストを頭文字でアルファベット順に色々作ってあるものだった。KはカンガルーとかBはベアーとかそんなん。 週末にクラスの友人に誘われてショップに行き、それぞれが気に入った動物のトレーナーを買った。割といい値段がしたような記憶だけれど、友人とお揃いというのも楽しいしクラスのみんなも買うようなことを言っていたからちょっとウキウキしていた。 月曜日の授業に

Raspberry Beret: 赤い髪が歌う

極寒のミネソタ州で過ごした大学時代は偶然だけど音楽にまつわる思い出が多い。 以前書いたプリンスの思い出、デビューした友人、どちらもミネアポリスでの話だ。 大学3年の時の友人は留学生が多く、その中の何人かはプロで通用する様な音楽の腕前を持っていた。 ウッドベース、バイオリン、マンドリン、ウクレレ、弦がついていれば何でも弾けたドイツ人のマックス。 ピアノ、ドラムス、マリンバ、ハーモニカ、弦がついていないものは何でも上手だったフランス人のドミニーク。 フラメンコ、クラッシック、エレ

静かな棚田の夜

道に迷った。 そう確信した次の瞬間に、どんな行動を起こしますか? 今なら携帯のGPSや地図を見る、かな。 道ゆく人に聞く、目印を探す、誰かに電話をする・・・そんな選択肢もありますが、あの時道に迷った私にそんな選択肢はひとつもありませんでした。 強いて言えば太陽が出ていたので、東西南北はわかりました。 フィリピンのルソン島、ちょうど真ん中ほどの田舎町からバイクタクシーに乗った私とボーイフレンドのイェンスは棚田を目指していました。 大きなバックパックを背負う私たちに、タクシーの

連続100日目のお祝いはポテポテのお母さんのこと

お母さんは優しい。怒られた記憶は全くない。 若々しくて、美人で、ニコニコ可愛くて、参観日はいつも友達に いいなーシマちゃんのおかあさん、綺麗でいいなーーーと羨ましがられるのが嬉しかった。 前は153センチあったけど、今は149センチに縮んだ。ポテポテ体を揺らせて歩く。 自分が幼い頃に憧れだったピアノを何年間のローンで手に入れ小さい私に習わせてくれたが、働きづくめで時間がなかった時代を終え歳を取ってからやっと自分の練習を始めた。 仕事で夜遅かった翌朝はお弁当を作る時間がな

ずっと遠くに好きだった人

ずっと昔に大好きだった人を想い、もしその人にもっと優しくできて、もっと広い心で接してあげて、もっと信じてあげたら、どうなっていたのかなと想うことがある。 若い頃は譲ることを知らず、また責めることは簡単にできたので、大切だったあの人たちとの関係が終わったとしても こんなもんか と吹っ切れるのも早かった。 素敵な人はまた現れるし、また恋に落ちるし、また喧嘩になるし。 そしてまた終わる。 過去に大切だった彼らとの写真は手元にはないと思っていたけど、今日整理していたハードドライブ

エンヤは歌う、心臓は止まる

随分前になるが心臓の手術をした。 カテーテルの先にカメラがあり、それを太ももの付け根にあけた穴から静脈にいれ、心臓まで送りそれを見ながら何か切ったり貼ったりするらしい。 すーぐ終わりますよ、大体20分くらいです。あなたが一番最初の患者さんで、その日はあと5人同じ手術をします。前日に問診をした若い医者はそう言った。 人生のほとんどをこの病気と過ごし、もう治らないものだと思っていたのに、私が国外をぶらぶらしている間に医学は進みその面倒な病気は完治できる確率が限りなく100に近

Do Anything: 捨てられた私の思い出の曲

不思議なことにミネアポリスに住んでいた時は音楽関連で楽しいことがたくさんあった。以前プリンスとの小さな思い出を書いたが、それもミネアポリスでのことだ。 ミネアポリスはシカゴほど大きい都市ではないがほどほどに大きく美しい都会で、自然だけではなく美術や音楽などの文化も大切にされていた。 プリンスの出身地だけあってライブハウスでも質の高いバンドが演奏していたし、カフェや大学構内のホールでもクラッシックからジャズ、ラップにゴスペルまで色んな音楽と触れ合える機会が山ほどあった。 そ

友人と縁を切る、ついでに幸せになる

職場に3人、とても仲の良い人がいた。 教科は違えど全員が教師で、歳もだいたい同じで、自然と固まることが多くなり、いつも4人で集まっては美味しいものを食べたり、音楽を聴いたり、ビーチでおしゃべりをした。採用時期はバラバラだったが私が一番早く、歳も上だったこともありなんとなく仕切り役として動いていたような気がする。(*アメリカ東で高校教師をしています) といってもグループのために何かを決めたりすることはなく、みなが集まりたいといえば家を開放し、誰かが何かを食べたいといえばレストラ

お尻押し係の退任

私は今でもそうだが、学生の頃は特に、ギリギリのギリギリになるまでやる気がわかないタチで、時間のプレッシャーに押しつぶされる時に最高の出来の何かが書ける人間だ。なので何の宿題でも前日、前夜に取り掛かり、徹夜でやり終えるのが常だった。だいたいはその直前までお酒を飲んだりもしていた。 そんな私には夜更けに宿題をしているかどうかを確認する電話をかけてくる友達がいた。 夜10時とか11時になるとトビーから電話がくる。 “シマ、どれくらいお酒飲んだ?”最初の質問は毎回同じだ。 “ウオッ