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『三文オペラ』音楽監督

 第1章 『平凡』以前、以後。のドレスコーズ


『三文オペラ』音楽監督

   

 志磨の長年の芸術についての研究と知識、作家としての実力が必要とされた究極の作品が、昨年1月から2月に上演された『三文オペラ』だろう。
『平凡』以後(『平凡』発表の約1年後)、現代の日本・横浜を舞台として上演された『三文オペラ』は、『平凡』で志磨が描いた未来社会と、そして『三文オペラ』原作が生まれた、ナチス政権により支配される直前の、90年前のドイツと酷似していることに驚いた。

 志磨の音楽監督としての役割は、90年前のクルト・ヴァイルのスコアを研究し、現代の日本で演じる『三文オペラ』のために、再解釈することである。
   舞台で扱われたのは、志磨が作曲した作品ではない。ドレスコーズのステージではフロントマンとしてステージに立つ志磨の歌声が、舞台の上演中に聴こえてくることは少なく、我々が目にしたのは、舞台下手の片隅で役者が歌うために演奏する志磨の姿だった。それは、はじめて目にした志磨の演奏家としての姿であり、そこに志磨個人の人間性や「個性」は一切見られなかった。
  『三文オペラ』こそ、志磨のパーソナルな部分を度外視したうえで、はじめて志磨の音楽家としての才能が純粋に評価された作品といえるのではないだろうか。大半が音楽で構成される舞台の編曲と、セリフの代わりを果たす訳詞を志磨が担当し、総合芸術と呼ばれる「演劇」に約半年もの間深く関わったことは、この後の『PLAY TOUR』の成功をはじめ、ドレスコーズの今後の活動と作品をさらに進化させると考えられる。
 
   そして、約半年間『三文オペラ』に音楽監督として「演劇」に関わった成果は、早速同年の5月から6月に開催された全国ツアー、“dresscodes plays the dresscodes” に反映されたのである。



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