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「志高く」バックナンバー②~世の中案外フェアプレー編~

こんにちは。志高塾です。

本日は過去の「志高く」より、ここ最近のブログで代表の松蔭が言及していた、「水戸岡鋭治さんのコメントを引用した文章」を再録いたします。

※ホームページにて毎週火曜日に掲載している「志高く」については、以下のURLからご覧頂けます。
志高塾代表・松蔭俊輔の『志高く』 | 西宮北口校・豊中校・高槻校 (shiko-juku.com)

今回再掲したのは、2013年10月29日にホームページ上で公開されたものです。代表の文章、生徒の行動、親御様のお返事、そして水戸岡さんの言葉に、志高塾が大事にしていることのすべてが凝縮されていました。

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Vol.129 「お水、結構です」の価値

中学2年生の男の子が、意見作文をした際に「レストランの水はセルフサービスにするべきだ」という論旨でまとめていた。ウェイターに「水を注ぎましょうか?」と尋ねられると、断ることができず、入れてもらったものを残すのももったいない気がするので、結局飲み干すことになり困る、というのが彼の論拠であった。

その際に、添削をしていた私がまず考えさせたのが、「本当にもったいないのか?」ということ。日本の食料自給率は約40%だ。つまり、60%を輸入に頼っている。食べ物を残して捨てるのであれば、その分は生産国から食糧難の国に送っていた方が良かった、ということになる。一方、多くのレストランで出される水は、海外から輸入したものではないはずだ。そのような意味で、食べ物と水を同じ土俵で単純に比較することはできない。
 
その「レストラン」にはどのようなものが含まれるのか、ということにも思いを巡らせていなかった。高級レストランで、それをするのはおかしい。また、自分の他に、そのような考えをする人がどれぐらいいるのか、ということも考慮しなければいけなかった。

ここまで書いてきたことは、自分の意見を主観で終わらせることなく、俯瞰し客観的に考察するため、授業中に考えさせたことだ。なお、添削の際は、「ここはこうだ」と我々の考えを押し付けるのではなく、「ここはどうなの?」と考えが及んでいない部分に関して質問をする、という形式を取っている。
自分の意見を掘り下げることとは別に、この問題を解決するために彼がやるべきは、断ることだ。だから、作文を書いて「はい、終わり」ではなく、それを実践するように伝えた。

毎月1回我々は「月間報告」というもので、親御様に前月1か月間の取り組み、当月の課題、などを伝えている。彼の親御様に、上記のことを中心に伝えると、お返事をいただいたので、そのまま掲載する。それは、レストランで彼が「もう大丈夫です」とお茶を断ったことに関するものだった。

「『水のセルフサービス』について、自分が書いたことを、実行したのだと思います。ほんの日常の1コマですが、自分で考え、書き表したことについて、責任をもち、行動できた体験だったのではないかと思います。書くことのすばらしさを実感しました。この小さな積み重ねが、人を作ってくれると感じました。」

この数日、阪急阪神ホテルズの問題が世間をにぎわせている。偽装か誤表示か、利益を追求した結果かそうでないのか、について会見が行われ、それに対して様々な意見が出されている。物事はもっとシンプルだ。「お客様が期待していることは何かを考え、それに応えようとしたのか」と自問自答すればいいのだ。

私はできた人間ではない。だから、ずるい考えが頭をよぎることはたくさんある。そんなときに思い出すのは、鉄道の内装などを手掛ける、インダストリアルデザイナーである水戸岡鋭治が5年ほど前に『情熱大陸』で語ったことだ。そのまま記すと「世の中ってのは、案外フェアプレーだからねって。思った以上にフェアプレーだからねって。頑張った人には評価してくれるよって、(弟子たちには)教えてる」

見張られているからやるのではない。自分が本当にいいと思ったことを実行する。それがタイムリーに評価されるわけではない。そのようなとき、手っ取り早い方法に切り替えずに、自分を信じて貫く。すると、きっと誰かが見てくれている。
子供達に、そういうことを間接的に伝えてあげたい。だから、まず、自分がそれを実践しなければいけない。簡単なことではないけど、気持ちのいいことであることに疑問が入り込む隙はみじんもない。

                              松蔭俊輔

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