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産後うつ 体験記 ①


1.はじめに

産後うつ。
ニュースや何らかの記事などで、多くの人が耳にしたことがある言葉だと思う。

でも、実際に体験した人や知り合いが経験者の人って、どれくらいいるんだろう?
少なくとも、40年生きてきた私の周りには1人もいなかった。
まあ「診断」された人がいなかっただけかもしれないが。

私は、第二子の産後2ヶ月で産後うつになった。
結構追い詰められて初めて、ネットで経験者を探したが、いわゆる「産後うつ闘病記」のような内容は、当時はあまり見つけられなかった。

ブログに様子を綴っている人もいたが、内容について詳しく明かしているのは片手で足りるほどの数だったように思う。
普通の(と書くと語弊があるけど)うつ闘病記や、うつ抜けの書籍とかは結構たくさんあるのに。

私といえば、実は今まで何度も書こうと思ったのだけど、なぜか筆が進まなかった。
なんか体が拒否してるというか。思い出したくないというか。
でも、今回ここまできてるから、自分の中で整理がついてきたのかもしれない。

もしかしたら、かつての私のように、同じ経験をした人を探している人が見つけてくれることを、その人にこの体験記が少しでも役に立つことを願って。

※今まさに産後うつ、もしくはそのような症状でつらい人へ。
その状態は、ずっとは続きません。必ず良くなります。だから、今はなんとか凌いでください。周りの人や物を遠慮せずに使ってください。死にさえしなければ、何とかなります。本当です。

※内容については、個人的な見解に基づくものです。精神疾患の判断や治療などについて、あくまでも一個人のケースとしてください。

※しんどいと思ったら、無理して読まないでください。落ち着いたら、また読みにきてもらえると嬉しいです。

2. 兆候


思えば、兆候は初産のときからあった。

子どもはかわいかったが、いつも不安が消えなかった。
夫が出勤して部屋に子どもと2人になると、ソワソワして落ち着かず、どう過ごしていいかいつも考えていた。
産後1ヶ月は里帰りもしたし、実母がよく様子を見に来てくれていたが、その時は良くても子どもと2人になると常にその状態だった。
産後数ヶ月過ぎてもメイクもせず、通院や買い物など必要な時以外は外出する気にもならなかった。

これではいけないと産後数ヶ月からベビーマッサージに行ったり、ベビーウェアリングの講座を受けたりしたが、周りの母親が自分よりも格段に立派な育児をしている人に見えて、いつも落ち込んだ。
自治体の産後ケアも受けてみたけど、その時は休まった感じがしても、帰宅すると同じ状態。

加えて母乳でも悩み、桶谷式のマッサージに行っても改善せず、完母ではないことに何故か罪悪感を持って混合育児をしていた。

9ヶ月になると夜泣きが始まり、精神的にどうしようもない中、1歳の誕生日に育休から仕事に復帰した。
正直、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちであったが、復帰して何と2日目に子どもの夜泣きがおさまり、私自身も家事育児以外のことを考えるのが気分転換になったのか、気持ちが落ち込むこともあまり無くなった。
まあ、落ち込んでいる暇が無くなったというのが正しいかもしれないが。

ただ、復帰後まもなく新型コロナウイルスの影響が出てきて、色々な面で順調ではなくなっていたが、ひとまず毎日何とか過ごしていた。

3.コロナ禍での出産

復帰後半年が過ぎた頃、第二子を妊娠した。

コロナ禍真っ只中ではあったが、年齢的にも奇跡のようなタイミングで、職場の理解もあり順調に産前休暇まで仕事ができた。

そして今回は夫が3ヶ月育休を取得することになり、まあ何とかなるんじゃない?
と割と楽観的な思いで妊娠後期を過ごした。

しかし、妊娠後期に私の体調が悪い日が続き、夫に上の子のお世話を任せることが度々あった。
その時、夫も仕事が忙しい時期で。
分かってはいたものの、私が体調が悪いと伝えると、夫が少し迷惑そうな表情をすることが、少しずつ心に思い澱のように溜まっていく感覚はあった。

そして何だかんだありつつ、ほぼ予定日に(前回、妊娠高血圧症で帝王切開だったため)、予定帝王切開で出産した。

コロナ禍ということもあり、入院中は一切家族や友人との面会は出来なかった。
荷物の受け渡しでさえ、病棟ごとに曜日が決まっていて、週に1回のみ。
家族に入り口で必要なものを預けてもらい、病院の職員さんが病室まで届けてくれた。
こちらから渡すことは出来なかったので、最低限の荷物で過ごした。

もちろん長男ともオンラインでしか会えなかった。
寂しかったが、夫と過ごしているし、招かれざる(⁉︎)客も来る心配はなく、割とのんびりと入院生活を過ごしたように思う。(もちろん、切開の傷の痛みには悶え苦しんだが…)

そしてやっぱり母乳は出にくく、若干の不安要素はありつつも、無事退院した。

退院後は1ヶ月実家にお世話にはなったが、やはり何とも言えない焦燥感は消えなかった。

そうして、1ヶ月後に自宅に戻った。
そこからが地獄だった。

(続く→)


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