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noteは、文章力でなく「肩書」で読まれている。

そんなの当り前だろう!!!と思いながら、それでもあえて当たり前の事を書こう。


主に、文字が主体のnote記事についての話である。

もちろん、自分なりに工夫して努力して、頑張って毎日書いて、色々な方に読んでもらえるようになったなあ……という方もいらっしゃると思う。

努力の程はわからないけど、日々の思いや出来事を生真面目な言葉で綴り続ける方。

ふんわりやさしく温かな言葉でその方の世界へと引き込んでゆき「天才なの?あなた天才なんだよね??」と感服極まれりとなる文章に出会うこともある。


そういうnoterさんの方々、わたしは大好きだ。


一時期、……1年くらい前だろうか。

やたらnoteさんが「noteでどんな体裁、見た目の文章を書くと読まれやすいか」「読みやすい文章とは何か」「接続詞はいるかいらないか」「文章のどこで句読点を打つべきか」みたいなことを語る色々な方の記事をすすめてきた。
わたしがそういうものを好んで検索していたわけでもないのに。といっても、記事を開いたりしたからnoteさんから余計にすすめられたというのも否めない。

その頃は、今と比べて『 noteの書き方のコツ 』みたいなものを語りたい方々が多い時期だったように感じる。


しかし、どんなにnoteの書き方や文字の羅列の仕方を素人が工夫したりそういう記事を読み漁ったり、駆け出しのライターさんがこれらのお題を語ったところで、そんなものは誰かの肩書の前に瞬時で崩れ去る。


何が言いたいかといえば、例えばスポーツ選手が書いたnoteは、ほぼ自動的と言っていいくらいに読まれる。Twitterで宣伝すればファンや同業者、仲間達が読むからである

それこそ、スポーツ選手に文章の上手さ、画面上の見やすさはほぼ関係ない。
そのスポーツやその選手を好きな方々が、書かれていることを一生懸命読むのだ。



以前、こんな記事を書いた。


これと似たり寄ったりだけど、あらためて今思っていることも含めて書いておこう。



実際、わたしがnoteアカウントを持ち始めた約2年前は、いわゆる『 素人 』の方々がもっと溢れていた気がする。
かつて経験したことのない不安な日常の中、ステイホームで時間を持て余しながら、やれることは情報や人との繋がりを求めてネットをいじることくらいしかなかったからだ、とわたしは推察している。


noteは本来、SNSだ。
ソーシャルなネット上の活動のためのシステムのサービスである。

そして、ネットのソーシャルは誰かとのコミュニケーションがあって本来生きてくるもの。
基本的に、人との繋がりなくしてnoteにおける発展(つまり数字の獲得)はありえない。
だからこそ、noteではお互いを気軽に紹介したり、今ではどれだけ活用されているのかわからないけれど手軽なサポート機能がついていたり。
note公式さんだって、積極的にフォローしましょうスキしましょうとうたっているわけで。

それが、何らかのプロ、つまり、どの程度稼いでいるかは別として『 本業 』がそれなりにきちんとある人にとっては、note上、つまりネット上での工夫や営業なんてあまり必要としない。

肩書に「 ライター10年目 」「 出版社を経てフリー 」とあるようなプロの文字書きさんなら、文字書きとして精進したい方々の目に留まりスキもフォローもされる。
文字書きのプロなら、まあ文字書きさんになりたい人達の世界で人気者になれるのは道理だし、それなりに文章が上手なはずであるからよいとして。


例えばスポーツ選手の場合、それまでの選手生活の積み重ねの中で感じたり学んだりしてきたことが確実にある。
それらを語れば足りる。
ファンからすれば文章力や見やすさではなく、語る人とその語られる中身が重要なのだ。

だから、読まれる。
それが、どんな形式の文章であっても。

読まれて反響があれば、誰だって嬉しいはず。
そして、じゃあ俺もnote書いてみようかな、と仲間の選手も思うわけです。


***


ちなみに、noteの使い方で以前から思っていたのだけど、『 Twitterとnoteは相性がいいから、ぜひTwitterで宣伝しましょう 』というこの手法。

これはTwitterで既にフォロワーさんがごまんといる方に有効なのであって、noteもTwitterも一緒に始めてみました、という方にはまず当てはまらないだろう。

それで数字が上がる方は、既に超有名人か、リアルな友達に宣伝して友達が味方になってくれる場合。つまり、既にソーシャルなネットワークがリアルに構築できている方々だ。


なお、Twitterで普段満足している方が、さすがにTwitterの文字数では足りないからnoteにしました、という場合もある。

Twitterでの長文投稿には「ぷらいべったー」というツールもあるけれど、偏見かもしれないけれどプライベッターはいわゆるオタク傾向のある方が好んでいる気がする。noteは誰でも自由にといいつつ、アングラな風潮なものはこの爽やかなページにまだまだそぐわないと思うのはわたしだけだろうか。


***


note、とは。

良く言えば、プロの方と同じ土台にいることができて、特にプロの文筆業の方か何か学ぼうと思って書いたものを読み漁ることが簡単にできるネットワーク。

悪く言えば、そう言いながらも結局は『 文字書きのプロは当然として、そうでなくても何らかの有名人ならたいてい何でも読まれて、本名も使っていないような民には相当の工夫と努力が必要 』という差が見えてしまうネットワーク。


noteのそんな面を横目で見つつ、わたしはわたしで良い意味で適当に書こうと思っている。

書いたものを簡単に放り出せる、
それが最大の魅力だからだ。




冒頭の方で、わたしが大好きだ、と述べたような方々。

わたしは、どんなに有名でも自分はよく知らないスポーツ選手の語りよりも、そういう方の記事の方を好んで読む。

プロを目指しているか、とりあえず書いてみたくて書いているかを問わず、

文字を書きたい、

自分の中の世界を形にしたい、

そんな気持ちが見えるような記事の方が好きだ


経験談を語るのは、それほど難しいことじゃないと思っている。

相手に話すように書けば充分伝わる。
自分をアピールするのが好きであればある程度は誰でもできるし、『 相手に話すように書く 』のは、共感を呼ぶための有効的な手法の一つだ。


けれど、自分の頭の中しかないストーリー、世界や思考を文字だけで伝えようとする、そんな努力がわたしは好きなのだ。




頑張って文字を書いている方々、
最近読んでもらえているのだろうか。

以前より反応が減った、と思われてる方も少なくないのではないだろうか。


noteというサービスは一体いつまで残るのか?、とたまに思う。

…… が、多くの有名人が使っている限り、とりあえずサービスは続くのだろう。


なお、先程『 noterさん 』とさらっと書きましたが、この言葉、もう死語ですかね??

一時期note界で見かけていたんですけど……


noteのフェーズって、どんどん変わっていくからなぁ~。

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