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題材が『わたし』でいい、今。

noteのフェーズが変わったのだろうか。
というか、風の時代らしく、気がつけば風がその向きを変えているのと同じようにnoteの風潮も刻々と変化しているのを感じている。

かつて何かで見たものだけど、『エッセイは読まれない』という言葉があった。
エッセイとは、自分の身のまわりの日常やその中での自分の思考をつづったものだ。

出版社を通さなければ自分の文章を世の中に送り出すなんて無理だった時代は、編集者の心に止まり揺さぶるような文章を書けなければ、エッセイストとして世の中に存在するのは無理だっただろう。

ところが、ネットの発達によりブログの立ち上げが可能になった。
自分のブログには何を書いてもいい。
ただし、ブログの構築自体には、ホームページメーカーなどを使ったとしてもある程度時間がかかるしそれなりに知識も技術もいる。
少なくともパソコンに向かってじっくりページを手掛ける時間がそれなりにないと、ブロガーになるのはまだまだ難しかった。

─── しかし。

世の中がどんどん進歩して、簡単にブログのページが作れるようになった。
アメブロやラインのブログ。私も2日間だけラインブログをやってみたことがあるけど、ちょこちょこっと文章を自由に書いて投稿できる。スーパーらくちん。人に公開せず書くことが当時は寂しく感じたのでやめてしまったけど。

そして、このnote。

『誰でも創作できるよう』に、という自ら掲げたミッションを完璧なまでに遂行しているアプリケーションだ。

noteは時代の寵児であるとわたしは思っている。

ユーザー数がだんだんと伸びて来たところで、世の中はコロナ禍・ステイホームへと転じた。家にいなければならず、でもネット環境がそれなりに整っていれば、人は情報収集と人とのつながりと時間潰しのために絶対ネットをいじる。
そこで人々はnoteと出逢った。

noteの全記事を分析しているわけじゃなくあくまで自分の感触として述べているのはご容赦いただきたい。
2020年春先頃までのnoteの記事、『記事』というボタンから作るものに限ってだけど、もともと文書のプロの方か自分の仕事の宣伝がてら書いている方、あるいは趣味の分野で充実しTwitterのフォロワーさんもたくさんいる方がnoteに趣味の事を細かく書いたり、そうではないけど本当に新しいことにチャレンジしてそれを公開してみようという方が主流だった気がする。
その時点で既にフォロワーさんがたくさんいらっしゃる方もお見かけしたけど、その頃から参入したという方も少なくない。

実際、noteアカウントだけ2020年以前に作ったけれど放置していた、(コロナ禍でnoteが伸びさらに知名度が上がってから)最近また書き始めました、という方もよくお見かけする。

ステイホームで人々はnoteを知る。
誰でもそれなりに、簡単に使える。
もともとの趣味があればそのことをじっくり発信してみるもよし、今の暮らし方の紹介でもよい。
特に、コロナの大きな不安とステイホームの時間の中で、誰かと繋がり誰かの言葉に安心し、誰かのステイホームにおける工夫の記事を参考にしたという人の数ははかり知れない。

noteの利用者が増える。すると、自分も書いてみようという人も増える。
写真を貼るのも文字を太字にし強調するのも簡単。まさに誰でも創作が可能。
ステイホームの時間の中で簡単なところから初めて、どんどん工夫しながらnoteに取り組めた人の数もはかり知れない。

noteで稼ぐことを目論む方もコロナで断然増えただろう。noteは簡単に自分の記事を有料化できる。
出版社の編集者の目など全くいらない。自由に書いて自由に値段をつけられる。
わたしのように副業したら職場からクビになる人を除き、副業にはうってつけのツールだっただろう、当時は。
専業主婦の方のお小遣い稼ぎにも最適だ。

もちろん、内容が価格不相応なら継続的には売れないし、返金制度もある。だから、それなりに常識的な記事を作り一般的には文句ないだろうという価格にしないとだめだと思うけれど。


2020年の最初の緊急事態宣言が出た直後くらいだったと思う。
ある記事を目にした。
要約させていただくと、

『自分の日常のことだけ書いていたけれど、なかなかPVが上がらない。
そこでnote記事のプロの方に相談すると、「素人のただの日常なんて読んでも面白くないから当然読まれない。記事の中に役に立つことや工夫してみたこと、勉強になることなどを入れるべき」
とのアドバイスを受けたので、その方向で記事を書いた。
するとPVがみるみるうちに上がって予想以上の有料記事収入があったんです』

というもの。

素人のただの日常とは、まさにエッセイだ。エッセイが読まれないという話はこの記事以外でもよく目にした。
ブログもエッセイと捉えるなら、有名人のブログが読まれるのは有名人だから。
その辺のただの人が自分の生活や考えを書いたところで、誰が知らない人にわざわざ興味を持つのか、と。


あくまで自分の感触、と繰り返すけど、2020年半ばから2021年春くらいまでは、とにかく『noteで稼ぐ方法!』『数字を上げる方法!』『このことが学べます!』という記事がガンガン登場した気がする。note利用者が増え始め、逆にそこを狙ってきた記事だろう。

普通は、書けば書くほど文章力が上がる。
見てもらうために磨かれた記事が増える、お互いにお互いの記事の良い所を見つけて自分に取り入れ、各々の記事のグレードは上がる。

記事の読み専だった人も、様々な記事に出会うを読んでいるうちに『自分も書いてみようかな』と触発される。
書き続けられるか別として、誰もがこの記事作成画面に思いついたことを打ち込み公開すれば、あっというまに自分のページが出来上がる。

noteさんの提言だと『書く分野を決めた方がよいでしょう、同じ分野に興味を持つ人の目に留まりやすくなります』とのことだった気がする。

大切なことは『何者で何を書く人なのかをプロフで明確にする』こと。

ここでの『何者』とは、職業でなくてもいいとにかく自分の特徴や属性を示す何らかの肩書。この人面白そう、気になるとキャッチ―な言葉を並べるとなお良い。エッセイを書くつもりなら『エッセイスト』と自分で名乗ってしまえばよい。それで稼いでいるかどうか、は正直関係ないから。極論を言えば、例えば『40代です・初めて文章にチャレンジします』でもいい。

何を書く』とは、一つの分野でなくてもいい。何に関する記事が主であるか伝わればよく、極論をいえば『日々で感じたことを書きます』でもいい。日々感じたことを書く人なのだとわかるから。上記の例なら『40代の初めて文章を書いてみる人が、日々感じたことを書いてるページ』というnoteが成立する。同じく40代の人で、自分も作文は苦手だなあと思っている人に興味を持たれる可能性が高い。

なお、駄目な例としては私のように『こいつは何者なのかよくわからないし、投稿も不定期だし、書いてるモノもはっきりしないうえにネガティブそう』と感じるプロフや記事だ。
何者かよくわからない、まではどうにかギリギリセーフだろうけど、定期的にある程度方向性や形式が決まっているポジティブ文章を書き続けるという行動がないと、情報と記事が溢れるこの世界の中で誰かの目に留まるのは不可能に近い。



さて、ペルソナや書く方向に自分だけのルールを決めれば、あとは書くだけ。
ルールといっても自分だけのルールだから、いつでも方向性を変えられる。

ここで、最近わたしが感じているのは『記事に役立つ情報を入れずともそれなりに読まれる』ということだ。
入れた方が確実に評価はされる。
けれど最初から高望みをせず、まず読んでもらうだけなら、エッセイでも読まれる。
その前提として、自分から誰かをフォローするとかスキするとか、自分をアピールする最低限の努力は必要だけど、そうして自分の存在をnote界でアピールすればエッセイでも読まれる。
あくまでnoteの中での話だけど。

noteは使いやすく、手軽に読める。
そして、手軽に投稿できる。
学びの風潮を重視し、人とのつながりを重視する。
人が人に興味を持ちやすいのがnoteの世界。
書いた記事が深い専門的知識を得られるものでなくても、読んで心地よかったり、自分と違う価値観や自分と違う生活などそういうものに触れられることに意義がある。心地よさを嫌う者はいないし、自分の知らないものに触れるのは広い意味での学びだ。だから、エッセイ文でもこれを満たせばnote記事として充分なのだ。
そして、エッセイを書く人が増えれば、『わたし』のことも書いてみようという人が増える。書くことへのハードルが格段に下がっている。

今の自分のことでも将来の夢でも過去の自分でもいい、とにかく『わたし』のことを書いてみる。
立派な小説を書かなくても、あれこれと調べ上げて知識を散りばめた記事にしなくてもよいのだ。
ただのあなたの考えやあなたの日常などに興味はない、なんて冷たい視線は今のnoteにはない。すべてが学びに繋がるといえるから。

誰でも自分の日常を言葉にすれば発信できる。そして、誰かの言葉は誰かに届く。『届く』、もnoteが掲げるワードの一つだ。


日常のことを書くなら、ネタに困ることはないだろう。
一定の評価を得られるようになれば、よりよく記事が書けるように、いつもとちょっと違うことをしてみたりして日常を向上させる。それは書き手にとってもプラス効果。
評価がないとしても、純粋に書くのが楽しければそれなりには続く。
書きたいという気持ちで真摯に書いてある記事には自然と評価は集まる気がする。

noteでは本当に誰もが創作することが可能になった。わたしの事も読んでほしいという気持ちで『わたし』のことを書けば、書けるから

ただし、日常のだたの愚痴をひたすら書いてもほぼ興味はもたれない。
noteは読み手にポジティブな空気をすっと残すような記事であることが鉄則だ。
大きな専門知識じゃなくても構わないけれど、読んで『勉強になった』『純粋に笑った』『面白かった』『ほっこりした』『自分も同じだと救われた』と、心が前向きに動くような記事でないと振り向いてはもらえないのだ。


こうして今、まさにnoteの理想どおりの完全なる『誰もが創作を』というフェーズに移行したんじゃないだろうか。


思えば、電波とツールが充実し発信が簡単になった時代。
noteにおけるエッセイを主眼にしてこの記事を書いているけれど、音声発信、映像発信で『わたし』自身を題材にしているものは既に溢れているかもしれない。
文章を悩みながら書くより、自分のことを喋って音声や画像で流してしまう。その方がダントツにラクな人も多いだろう。


一つ、noteにおける文字書きとして懸念していることがある。
今はnoteが誰でも書けるフェーズだとしても、これからは公表されるコロナ感染者数が減り人が外へと出かける時期となる。
これが持続していわゆる『もとの生活』に近い状態に戻れば、はたしていnoteをいじる人がどれくらい残るのだろうか。

外で何かから刺激を受けそれを文字に落として記事にする。
それを、新しい体験を発信したくて俄然やる気を持って行う人が出るのか、『そんな時間はなくなった』と投稿頻度が減ってしまうのか。
暇つぶしにnoteをただ開く機会が減る人も出るかもしれない。そうすればPV数は総じて減少だ。


何より、発信する側も見る側もラクな『音声映像』に対し、労を強いられるだけの『文字』は負ける時代になるのではないかと予感している。

これからは、ただの日常のエッセイでは再び厳しくなる時期がくるのかもしれない。

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