見出し画像

舞台という旅が始まる。

今年の舞台が始まる。
舞台は、生もの。
役者さん達が織りなす世界のライブ感は、何物にも代えられない。
よほど特別な作品を除き、同じ映画には何度も行かない。
舞台の方は、お金と時間さえあれば、全公演観れるメンタルを持っている。

演目にもよるだろうけど、たいていは東京に加えて他の地域でも上演される。
お芝居のチームの皆さんにとってはツアーとなる。
それを追って様々な地域へ足を運べば、観客側も旅を楽しめる。

何より、舞台の世界がわたしにとっては旅そのもの。
あくまで創作物で、現実に存在するエリアではないけど、日常とは異なる場所で過ごす。
そういう意味では旅と同じ。

舞台上から生まれる熱量に巻き込まれ、
その世界の一部となって共存する空間・時間は、異次元の旅先でしかない。

そんな旅でも、日常から足を運んだ先にたどり着くもの。
日常の延長に舞台がある時期もまた幸せだ。

特に公演シーズンが夏だと、わたしの中で「お祭りの始まりだ!」と盛り上がる。
お祭りという言葉は、夏が一番似合うと思う。
秋、冬よりも解放感とイベント性がぐっと高まる。




生ものの舞台は、すべての公演で仕上がりも雰囲気もごく微妙に差が出る。
それに、座席は毎回違う場所が当たり前だし、見える景色は別物になる。

ただ同じ映像を流すだけの映画とは決定的に違ってくるのだ。

その中で、初日と千秋楽(最終日)はやはり特別だ。
わたしはできる限り最低この2公演はマストで観に行く。

舞台の初日は、創作側にとっても特別なものらしい。
お客さんの反応はどうか。
これまで稽古を重ね、これが一番いいと造り上げたものに対する、客席のリアルな反応はどうなのか。
どんなにベテランの役者さん、スタッフさんだって、一番気になるところだろう。

千秋楽は、役者さんたちの熱量がより一層高まる。
もちろん全公演全力投球だろうけど、
『これが最後』という状況は、お芝居に限らず気持ちを圧倒的に高める引き金になる。

千秋楽を観ていると、ああ、この劇場でのこの世界に、もう二度と訪れることができないんだと寂しさが募る。
何度も観ているからストーリーも最後の場面もよく知っている。
時間が過ぎる分、旅の終点が自ずと見えてくる。
終わってほしくない、永遠にこの旅路にいたい。
そんなもどかしい愛しさと、ストーリーの終焉の余韻に、感極まって胸が詰まり、息をするのを忘れてしまう。


それでも、舞台が暗転し、再びスポットライトが灯るその瞬時をみはからうのは、絶対に忘れない。


一番に拍手を贈るのがわたしの役目。
役者さんたちにとって何よりも悦ばしいのは、満場の拍手。
それにスタンディングオベーションが加われば最高潮だ。
誰かが手を叩けば、ストーリーの完全終了を知ったほかのお客さんも追従し、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
そのきっかけに自分がなるのが、わたしの悦びだったりする。



舞台の幕が、時には上がらないこともある。

コロナでは多くの舞台が取りやめになったし、やむをえない事情の公演中止に直面したこともある。
今のところわたしは経験はないけど、
例えば電車が止まってしまったりして
自分が行けなくなる可能性もゼロじゃない。

だから、無事に幕が上がり、この作品が全公演を駆け抜け、自分もその場にいられる幸せを毎回祈る。


そして、何も憚ることなくお芝居が上演されること、お芝居を観れることの平和を胸に刻む。


書くことも大好きで、
何でもよければ一日中書いていられる。
でも、もう出発の時間。
PCを閉じて、旅に出よう。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?