舞台という旅が始まる。
今年の舞台が始まる。
舞台は、生もの。
役者さん達が織りなす世界のライブ感は、何物にも代えられない。
よほど特別な作品を除き、同じ映画には何度も行かない。
舞台の方は、お金と時間さえあれば、全公演観れるメンタルを持っている。
演目にもよるだろうけど、たいていは東京に加えて他の地域でも上演される。
お芝居のチームの皆さんにとってはツアーとなる。
それを追って様々な地域へ足を運べば、観客側も旅を楽しめる。
何より、舞台の世界がわたしにとっては旅そのもの。
あくまで創作物で、現実に存在するエリアではないけど、日常とは異なる場所で過ごす。
そういう意味では旅と同じ。
舞台上から生まれる熱量に巻き込まれ、
その世界の一部となって共存する空間・時間は、異次元の旅先でしかない。
そんな旅でも、日常から足を運んだ先にたどり着くもの。
日常の延長に舞台がある時期もまた幸せだ。
特に公演シーズンが夏だと、わたしの中で「お祭りの始まりだ!」と盛り上がる。
お祭りという言葉は、夏が一番似合うと思う。
秋、冬よりも解放感とイベント性がぐっと高まる。
*
生ものの舞台は、すべての公演で仕上がりも雰囲気もごく微妙に差が出る。
それに、座席は毎回違う場所が当たり前だし、見える景色は別物になる。
ただ同じ映像を流すだけの映画とは決定的に違ってくるのだ。
その中で、初日と千秋楽(最終日)はやはり特別だ。
わたしはできる限り最低この2公演はマストで観に行く。
舞台の初日は、創作側にとっても特別なものらしい。
お客さんの反応はどうか。
これまで稽古を重ね、これが一番いいと造り上げたものに対する、客席のリアルな反応はどうなのか。
どんなにベテランの役者さん、スタッフさんだって、一番気になるところだろう。
千秋楽は、役者さんたちの熱量がより一層高まる。
もちろん全公演全力投球だろうけど、
『これが最後』という状況は、お芝居に限らず気持ちを圧倒的に高める引き金になる。
千秋楽を観ていると、ああ、この劇場でのこの世界に、もう二度と訪れることができないんだと寂しさが募る。
何度も観ているからストーリーも最後の場面もよく知っている。
時間が過ぎる分、旅の終点が自ずと見えてくる。
終わってほしくない、永遠にこの旅路にいたい。
そんなもどかしい愛しさと、ストーリーの終焉の余韻に、感極まって胸が詰まり、息をするのを忘れてしまう。
それでも、舞台が暗転し、再びスポットライトが灯るその瞬時をみはからうのは、絶対に忘れない。
一番に拍手を贈るのがわたしの役目。
役者さんたちにとって何よりも悦ばしいのは、満場の拍手。
それにスタンディングオベーションが加われば最高潮だ。
誰かが手を叩けば、ストーリーの完全終了を知ったほかのお客さんも追従し、割れんばかりの拍手が巻き起こる。
そのきっかけに自分がなるのが、わたしの悦びだったりする。
舞台の幕が、時には上がらないこともある。
コロナでは多くの舞台が取りやめになったし、やむをえない事情の公演中止に直面したこともある。
今のところわたしは経験はないけど、
例えば電車が止まってしまったりして
自分が行けなくなる可能性もゼロじゃない。
だから、無事に幕が上がり、この作品が全公演を駆け抜け、自分もその場にいられる幸せを毎回祈る。
そして、何も憚ることなくお芝居が上演されること、お芝居を観れることの平和を胸に刻む。
書くことも大好きで、
何でもよければ一日中書いていられる。
でも、もう出発の時間。
PCを閉じて、旅に出よう。
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