「読みたいことを、書けばいい。」を誤読していた話。
2年前に「読みたいことを、書けばいい。」(田中泰延・著)という本が話題になったことをご存知の方もいるだろう。
当時ライター仕事に興味がなくはなかった私も読んだが、結果心の中でディスっていた。「なんだ結局は顧客志向(好き勝手やるのではなく、相手のニーズを汲んで提供する)か、普通にマーケティングじゃん、つまらん」。
なにやらタイトル及び内容の趣旨としては、「読みたいことを、書けばいい。」の「読みたい」の主語は「他人」ではなく「自分」である、らしい。
が、どういうこっちゃ?「自分が読み手(他人)だったら、その話読みたいと思う?」って自分の原稿に対して考えるとさ「いや、わざわざ読まんだろ。。」って思わないですか??私は思いました。
結局、好き放題、書いちゃいかんのね。。
つまるところ、2年前の私は元電通コピーライターの作者の肩書と文章の才気に嫉妬し、拗ねたのであった。
さて、このたび誤読だったことがわかった。田中さんへ誤ディスのお詫びをしたい… わけではなく、この文章は「自分が読みたいから」書いている。
現在の私はライターなどは目指していない。発信を再開したいが何をどうやって始めようか、迷える子羊として再読した。
すると、「読みたいことを、書けばいい。」の「読みたい」の主語は「他人」ではなく「自分」であることの意味がやっと分かった。
「自分が読みたい」とはなんぞや?
私自身、下手な顧客志向で「こういう話はみんなに読まれそうだな」と下心をもって書くことはあったが、往往にしてそういうものは読まれない。
一方、別に「自分が読みたい」と思って書いた経験はない。
しかし。書きながら思考を整理する、時には書きながら何を言いたいのか発見することもある。という人は私だけではないだろう。
自分の思考を、自分でしっかりと知りたいから、掴みたいから、書く。
田中さんは、そのことを言っているのかもしれない。で、あれば。私はまさに私のために書いていることがとても多かったし、それでいいなら話は簡単である。
私が記録したいことを、私が深めたいことを、素直に書いていく。ただし、読んでくれる方にもわかりやすいように、意識して書く。
ターゲティングなぞ不要であると田中さんは言っている。なるほどたしかに。もし自分が、自分にとってエキサイティングなことを書いているのなら、わざわざ別のターゲットに合わせたエキサイトをする必要もない。
なぜなら、自分が面白いなら他にも面白がる人がいる可能性があるし、もし万一ひとりもいなくたって、自分が面白いと感じることを追求することより他に、すべきことはあるだろうか?
(いや、ない!!!)
という理解を(また)勝手にさせていただき、めっちゃいいこと言ってくれてるじゃん!と思ったのでした😌
最後まで読んでくれてありがとうございました!😄
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