見出し画像

村上春樹の路地裏であなたと出会いたかった

メアドの数だけ名前を作って、使い捨ての人間関係で生きていたあの頃、身体中が悲鳴をあげて何かを求めていた。

性的な関わりも、私にとってはコミュニケーションの一つに過ぎなかった。むしろ、相手とすぐに深く関われてコスパが良いくらい。目が合う。話す。体に触る。体に入る。どうして「ここから先はちょっとダメよ」ってしなきゃならないのか、正直よくわからなかった。それって頭がかたいだけなんじゃないの?

会ってすぐでもセックスしたら、タメ語で話せる。心を許せるその瞬間は喜びだった。心の、ほんの入り口の部分だけだけど、私がみんなに入っていいよと思っている庭みたいな所でお話できる。自分のこと、相手のこと、いろんな話を楽しくできる。その人の思い出、お仕事、好きなもの。人の心に触れられるような時間が好きで、いろんな人の話を聞いた。

その昔、ある人と長く付き合っていた頃、いつもなんとなく思っていた。このままずっとこの人といるのかな。他の人とも付き合いたいな。彼のことが嫌なわけじゃないんだけど、他の人の家にも通ってみたいし、他の人とも心を通わせて深い部分で話をしてみたい。それが一生に一人だけって、なんだかつまんなくない? そんなわけでいろんな人と会うことにしたのだった。

使い捨ての人間関係の中で、ずっと、村上春樹の小説みたいなファンキーな出会いを渇望していた。迷い込んだ路地裏から始まるクロニクルを、ずっとずっとイメージしてた。次元がねじれて、なぜか偶然、不思議に出会い、知り合って、そこから、世にも面白い話が始まっていくような。

誰だっていいってわけじゃない。でも、誰か波長の合う人たちと、不思議な次元で出会いたかった。誰かと、心の庭みたいなところで、相手の思っていることを聞いたり、私の思い出を話したり、いろんなことを共有してみたかった。たぶん、本当は、それだけだった。つまり、さみしかったの。


セックスしなくても、一瞬で心に触れられる。みんなの、お互いの、ここまで入っていいよっていう場所まで、通い合える。ちょっと気持ちがあったかくなったり切なくなったりする感じ。感情とか情緒を共有し合えるのって最高じゃない?

私が、noteっていいなあってしみじみ思う理由はこんな感じ。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

誰でも「スキ(♡)」できます。「読んだよ」って軽い気持ちで押してくれたら嬉しいです^^ サポートはnoteを書くカフェ代に使わせていただきます。ありがとうございます。