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第三章 優れた小説の文章と新たな呼称

1ページ目、下手をすると1行目を読んだだけで、読み通せる小説かそうでないか、ほぼわかります。
小説の「良し悪し」のお話ではありません。
ある小説が、「自分に合うか合わないか」についてのお話です。
不思議です。
でもこれは、音楽では決して珍しいことでありません。
大抵は、出だしを聴いただけでOKかNGか決まってしまう。
そういうものではないでしょうか。

ある人が言いました。
「歌は人に聞かすものである」
この言葉に素直に肯いた上で、もしも古今東西の優れた小説が、「人に聞かせでは止み難きもの」である歌を、それぞれに包み持っているとするなら。
まるで音楽のように、それぞれの作品に固有の「調べ」を響かせているとするなら。
小説にとって「読者」は、「おまけ」のようなものではありません。
小説から読者を差し引けば、小説はもはや小説ではなくなってしまう。
読者は、小説という緻密にカットされたレンズを通過した幾筋もの光線が集中し、まばゆく発光するひとつの焦点であり、小説がついに完成するための不可欠の条件です。
力のある小説の書き手が、こうした読者を蔑ろにするはずがありません。
すれば、己の創作が成就しないとあっては、なおさらです。
それぞれの作家が、読者を尊重しこれを遇する独特の流儀を編み出していることでしょう。
ある作家や作品への愛着は、作家が創作を通じて実践している、人づきあいのスタイルとでも言うべきものと切っても切れない。
一読者として卑近な体験をふり返ってみると、間違いないことのように思えてなりません。
(担当 店主・青)


11/3、文芸編集者・大久保雄策さんの講演会を開催します。
https://peatix.com/event/3382030/view
大久保さんが考える「優れた小説」を書く作家たちの読者の遇し方には、共通点があるようです。
質疑応答の時間帯には、お客様とこんなことについても対話できたら楽しいだろうなあと、今からわくわくしています。
まだ若干お席がございます。
ご興味のある方はぜひ。
https://peatix.com/event/3382030/view

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