派手に見えるからうまくいっているか? っていうと分かんないですよ。
最近、僕の地元ではマアマア有名な起業家さんが、実は(その会社の規模にしては)低単価の仕事を一生懸命追いかけていたり、プロフィールをやや誇張して見せていたりということを聞いて感じたこと。
「そんなもん」
別にその方を卑下するつもりはまったくなくて、派手に活動しているように見えても水面の下のほうでは足をジタバタさせているんだなぁと。
また別の方面では、「スタートアップ」と呼ばれる人たちがコワーキングスペースのデスクに足先を乗っけて偉そうに電話していたとかいう話も聞いた。
自分の事務所ならいざ知らず、周りの目もある場所でこんな振る舞いをする人間が、仕事、うまくいくわけないでしょう。
「ああ、やっぱり、そんなもんか」
と感じたのはいうまでもない。
見かけと実態ってたいてい違うんですよね。これまた派手なことを糾弾するつもりもまったくありません(オレは正直他人のことはどーでもいい)。見かけから入るほうが難易度が低いのも分かります。
でもその2つ。見かけと実態の差分(ギャップ)を“なくす”努力は必要ちゃうんかなあ?
「第0印象が重要」だなんていわれるけれど、印象の問題だけじゃないんだよな。
僕の尊敬する人たちは、だいたい静かにこっそり着実に良い仕事を積み重ねて成功している方ばかりです。見かけがカッコいい人はそれに伴った実態があるし、その逆もしかり。謙虚な人が多いですね。
それに、そのほうがイカしてるじゃない。「見た目フツーだけど実はスゴかった」みたいな。僕はそっちのギャップのほうに憧れます。
実態に見かけがついてこなくなって見かけの重要さに気づく、じゃないかなあ。順番的に。主観だけど、どうだろう?
誰もが発信できる時代って、ある意味恐ろしい側面を持っていますよね。見かけの印象が目を引くものなら、実態をすっ飛ばしてスゴいと思わせられるんだから。
もっとも僕は不器用なのでそういうの、ようせんですが。
周りがどうとか関係なく、僕たち自身にとって「カッコいい」「イカしてる」とは何か? 価値観をしっかり定義していたほうがいいと思います。結局、芯を持って自分の価値観にブレずに生きている人がカッコいいのだから。
(見かけと実態にギャップがある人間は容易にブレる…)
そして事あるごとに「あの人ならどう考えるだろう?」と、思考回路を自分にトレースさせるのです。こういう考え方ってメチャメチャ大事だと思っていて。
いきなり誰かの生き方・価値観をインストールするのは無理ゲーなんですけど、“寄せて”いくことはできます。それが、実態がちゃーんと伴った進歩の手順です。
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?