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他人からどう見えるかはプリズムですよ。

自分が思ってもいないような見方をされて、意外に感じることはありませんか?

「そういう一面も、確かに自分か」と、気づけるようなことです。他人の目は自分を知るスコープ―。

最近、立て続けに自分(僕)のことを「クリエイター」と読んでいただくことが多いです。

「地元で活躍するクリエイター」と参加したイベントで名前を呼ばれたり、クリエイターの集いにお誘いいただいたり。とてもうれしいのですが、こそばゆい気持ちになります(笑)。

でも、他人の目を通して見たら自分はクリエイターの一部のようです。本当に自分がそうなのか、まだしっくりきませんけれど。

こうした「しっくりこない」感覚ってありませんか?

「ん? 自分ってそれなのか?」という。

暗示のようなもので、僕は少しずつクリエイターを認めつつあります…。

20代の頃は編集者をしていたので紛れもなくクリエイターだったのです。しかしその経験から、クリエイターという生き物によくない印象も持っていました。

クリエイティブという言葉をかさにかけて、デザインだのアイデアだので“エゴを押し通す生き物”。このような人が当時の自分の周りに多く、嫌気がさして業界をやめた面もあります。

失礼な物言いですみません、あくまで以前思っていたことです。今はそういう人もいるし、そうじゃない人もいることが分かりました。

ただエゴタイプは相当てこずる。「勘違いすんじゃねえよ!」と、あるデザイナーに怒りを爆発させたこともあります。あの行動は、今でも正しいと思う。いたんです、エゴタイプ。

繰り返しますが、そうじゃない人もいます。幸い、今自分の周囲にいる人は非エゴタイプばかり。自分がエゴタイプを望んでいないからそういう人が集まってきたのでしょう。

人によっては、「やっぱりそういう感覚は営業マンだよね」といっていただけることもあります。こっちの方が実はうれしいです(笑)。営業マンの性質は、失いたくないと思っています。

他人から定義されて「しっくりくる」感覚も、またありませんか?

しかし面白いもので、30代前半までの自分は、企画営業職というものづくりも営業もするという仕事をしていたので見方によってはクリエイティブの要素が入っているのです。

この当時、当然ながらクリエイティブの業界から離れてはいましたがパッケージやネーミングは自分で考えていましたし。

クリエイターとは思っていませんでしたが培ってきたものは活用していました。だから「さすが元編集者だね」などといっていただけることもしばしばあり、やはりこそばゆい気持ちになったものです。

そして今改めて、クリエイターに接近しつつある自分。

人によってはまた別の見方、自分自身すら気づいていない定義をしてくれる方もいるでしょうし、他人からどう見えるかは本当にプリズムのようです。

そしてそれがきっと真実なのだろうなあ。どんな「大鹿」もまた自分なのです。お読みのあなたもそう。

もっとフワッとした、「やさしい人」などという輪郭を与えてくれる人もいると思います。それはそれでいい。それもまた発見。

他人の目を通して、僕らはどのように見えているでしょうね?

すべては繋がっています。


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