ル・コルビュジエを生んだ“ピュリスム”ってにゃに?
「週末アート」マガジン
週末なのでアートの話。今回は、純粋主義、ピュリスムとル・コルビュジエについて。
“ピュリスム”ってにゃに?
ピュリスム(Purisme, Purism)とは、「純粋主義」と翻訳され、1918年から1925年にかけて起こった、フランスの絵画や建築に影響を与えた芸術運動です。シャルル=エドゥアール・ジャヌレ(ル・コルビュジエ)とアメデ・オザンファン(Amédée Ozenfant)(1886–1966)が、フランスで、その著作『キュビスム以降(Après le Cubisme)』(1918年)およびその雑誌『レスプリ・ヌーヴォー(新しい精神)(L'Esprit Nouveau)』( 1920年から1925年にかけて28冊を刊行)において主張した表現思想。
ふたりは、近代芸術においてキュビスト(キュビイズムのひとたち)たちを「一般の関心」を喪失させたとして批判し、そのカウンター的な思想としてピュリスムを主張、主導していきました。なので、ル・コルビュジエとオザファンのふたりが取り戻そうとしたものもまた「一般の関心」でした。またピュリスムは、第一次世界大戦後(1914–1918)の戦争で荒廃したフランスに規則性(regularity)を取り戻そうとする試みでもありました。彼らは、キュビスムにおける物の断片化を「装飾」と捉えるのとは異なり、技術や機械を取り込みつつ、構成要素をミニマルなディテールをもって、シンプルにした形態を強化した表現を主張しました。
総合芸術誌『レスプリ・ヌーヴォー』
ル・コルビュジエ氏とオザンファン氏は、総合芸術誌『レスプリ・ヌーヴォー』を1920年に創刊し、これを1925年まで続け、ピュリスムを啓蒙しました。
ピュリスト・マニフェスト
オザンファンとル・コルビュジエは、ピュリスム運動を統括していくにあたり、マニフェストを編成しました。
ピュリスムは科学的な芸術であることを意図しておらず、それはいかなる意味でもそうである。(Purism does not intend to be a scientific art, which it is in no sense.)
キュビズムはロマン主義(※関連記事あり)的な装飾芸術となった。(Cubism has become a decorative art of romantic ornamentism.)
芸術にはヒエラルキーがあり、装飾芸術は基底にあり、人間像は頂点にある。(There is a hierarchy in the arts: decorative art is at the base, the human figure at the summit.)
絵画は、その可塑的要素の本質的な資質と同じであり、その代表性や物語性の可能性ではない。(Painting is as good as the intrinsic qualities of its plastic elements, not their representative or narrative possibilities.)
ピュリスムは、明確に構想し、忠実に、正確に、ごまかしなく実行することを望む。真摯な芸術は、構想の真価に忠実でないすべての技術を追放しなければならない。(Purism wants to conceive clearly, execute loyally, exactly without deceits; it abandons troubled conceptions, summary or bristling executions. A serious art must banish all techniques not faithful to the real value of the conception.)
芸術は何よりもまず構想にある。(キュビイズムArt consists in the conception before anything else.)
技法はあくまでも道具であり、謙虚に構想に奉仕するものである。(Technique is only a tool, humbly at the service of the conception.)
ピュリスムは、奇抜なもの、独創的なものを恐れる。自然から得た事実であるかのような組織化された絵画を再構築するために、純粋な要素を求めるのである。(Purism fears the bizarre and the original. It seeks the pure element in order to reconstruct organized paintings that seem to be facts from nature herself.)
その方法は、着想の妨げにならない程度に確実でなければならない。(The method must be sure enough not to hinder the conception.)
ピュリスムは、自然への回帰が自然の模倣を意味するとは考えていない。(Purism does not believe that returning to nature signifies the copying of nature.)
すべての変形は不変のものの探求によって正当化されることを認める。(It admits all deformation is justified by the search for the invariant.)
芸術においては、不明確なものを除き、あらゆる自由が認められる。(All liberties are accepted in art except those that are unclear.)
ピュリスムはキュビズムの何を批判したのか?
ピュリスムは、工業を肯定的に捉えており、しかしそれでいながら美しくあるべきと考えていました。その点は、アーツ・アンド・クラフツ運動(こちらの記事に詳しく書きました)の思想を受け継いでいると言えます。ピュリスムは、物、絵画、建築において、そこに求められる機能性の純化が重要だと主張しました。逆説的になりますが、機能というものは、具体的な目的を有したものですが、その機能を抽象的に抽出しようとした思想であり、それはもう具体ではなくなってしまっています。このあたり、視覚の構成要素を純化しようとした結果、原色、明暗、そして上下左右に集約されていったピート・モンドリアン氏らの目指したものに通じます。そのため、ピート・モンドリアンやテオ・ファン・ドースブルフ(Theo van Doesburg)ら雑誌『デ・ステイル(De Stijl)』を通じて広めようとした思想と共通点があると考えられています。
ピュリスムは、キュビズムを主観主義として批判していました。主観主義とは、「真理や価値の基準を主観のうちにのみ帰して、それらの客観性を認めない立場」という意味です。キュビズムが求めた純粋性は、それを確認するための客観性が欠如しているとピュリスムでは考えたたわけです。それをピュリスムは、確認可能な純粋性へ昇華しようとしました。
ピュリスムは工業的
ピュリスムとは、芸術に普遍的な規則を求め、比例と幾何学によって明快な構成をつくりあげるという思想でした。計測可能であり、複製可能であり、それらの機能を持って構築も可能。つまりこれが工業的だという所以です。ピュリスムは、機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の理念を芸術と生活のあらゆる分野に浸透させることを目指しました。こうして、ル・コルビュジエは、ジャンヌレという名前からペンネームである「ル・コルビュジエ」を使い始めます。なので、ル・コルビュジエは、ピュリスムを追求しようと志をもったとき以降「ル・コルビュジエ」となったわけです。そして、1922年に従弟のピエール・ジャンヌレと共同の事務所を開き、建築家としての活動を本格化させていきました。
ル・コルビュジエの絵画
ピュリスムは、客観性と具体性を必要なものとしながらも、機能の純粋性も求めるというちょっと大変そうな思想でした。ル・コルビュジエやオザンファンは、キュビズムのせいで一般が芸術への関心から離れていったと考えていたのですが、それをピュリスムで取り戻そうと考えました。ゆえに扱う対象として日常的な瓶、水差し、グラスなどを選びました。これらの日常品は、絵画の対象であると同時に工業芸術(工業的な製作されるもののなかに美しさを追求する姿勢)を体現するために必要だと感じていた規格化、純粋化、匿名化というものを含むものでした。キュビスムでは色使いを抑制していましたが、ピュリストであるル・コルビュジエとアメデエ・オザファンのふたりは、伝統的に最も受容されやすいパステルカラーを使いました。
キュビズムを批判もするが大いに影響も受けていた
キュビズムは純粋なかたちによって構成されているのですが、これに影響されて、ル・コルビュジエは、建築も幾何学的なかたちによる構成を目指すべきだと考えました。ル・コルビュジエは、キュビズム作家たちと交流することで純粋性やその表現方法の影響を強く受け、受けた上で、そこにはなかったものをピュリスムとして追求しようとしていたわけです。
やがてル・コルビュジエはピュリスムからも離れていく
ル・コルビュジエは、1925年頃からは自然の有機的なかたちに興味を示し始め、1928年には「人間と自然との調和」が彼の新たなテーマとなっていきました。この年からル・コルビュジエは絵画作品に「ル・コルビュジエ」とサインを入れるようになっていきました。
ピュリスムはどうなった?
ル・コルビュジエは、ピュリスムを経て、装飾性を排除して機能を残すという姿勢を建築で体現するようになっていきました。こういった機能の純化、装飾性の排除は、ディーター・ラムスのミニマリズムなどにも汲まれた思想となりました。
まとめ
「ピュリスムってにゃに?」という問いに、簡潔に答えるとするとこのようなものになります。
こうまとめるとまあまあ理解しやすくなったと思います。ピュリスムを理解するとル・コルビュジエの家具や建築にある思想もまた理解しやすくなっていきます。
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参照
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