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ロマン主義ってにゃに?

「週末のアート」マガジン

日頃は、デザインについての記事を書いていますが、週末は、アートの話を書いています。アートとデザインは別物ですが、アートがデザインに及ぼす影響は大きいので、アートについても何かと抑えておくと(デザイナーにも、デザイナーじゃない方にも)便利です。


ロマン主義

フランスの画家、ウジェーヌ・ドラクロワ『サルダナパルスの死』(1827年)バイロン卿の戯曲を題材にしたオリエンタリズムの作品

ロマン主義(Romanticism)は、18世紀末にヨーロッパで起こった芸術、文学、音楽の運動であり、多くの地域では1800年から1850年の時期に最盛期を迎えました。

ロマン主義の特徴は、感情や個人主義を重視し、自然を理想化し、科学や工業化を疑い、古典よりも中世を強く好み、過去を美化したことです。 産業革命、啓蒙時代の社会・政治規範、自然の科学的合理化という、近代のすべての要素への反発も含まれていました。ロマン主義は、視覚芸術、音楽、文学において最も強く具現化されましたが、歴史学、教育、チェス、社会科学、自然科学にも大きな影響を与えました。

ロマン主義は、美的経験の本物の源として激しい感情を強調し、恐れや恐怖、畏怖といった感情、特に崇高さや自然の美しさという新しい美的カテゴリーに直面するときに経験するものに重きを置きました。民芸や古代の習慣を高貴なものに昇華し、また音楽の即興のように望ましい特性として自発性をも備えたものでした。啓蒙主義の合理主義や古典主義とは対照的に、ロマン主義は、人口増加や都市のスプロール化、工業化から逃れるために、中世的な芸術や物語を復活さようとしました。

19世紀後半、リアリズムが、ロマン主義の対極として出現しました。この時期のロマン主義の衰退は、社会や政治の変化を含む複数の過程と関連していました。

「ロマン」の語源

ローマ帝国時代のラテン語には、文語としての古典ラテン語と口語としての俗ラテン語が存在していましたが、その差はさほど大きくありませんでした。しかし、衰退期に入ると文語と口語の差は広がり、やがて、ひとつの言語の変種とは呼べないほどにその違いは大きくなました。文語は、古典ラテン語の知識のない庶民には理解困難なほどにまでなりました。一方で、口語のほうはロマンス語と呼びました。ロマンス語で書かれた文学作品は「ロマンス」と呼ばれるようになり、ギリシャ・ローマの古典文学の対立概念とされるようになりました。ロマン主義の語源はここにあります。したがってロマン主義の「ロマン」とは、「ローマ帝国庶民の文化に端を発する」という意味を持っています。

「浪漫」という当て字

夏目漱石

ロマンに「浪漫」という当て字をしたのは、夏目漱石でした。1907年の講義録『文学論』にそれを確認することができます。

表現の写実にして取材の浪漫なるものあり。取材の写実にして表現の浪漫なるものあり。

夏目漱石『文学論』


ロマン主義の絵画

ウィリアム・ブレイク『ニュートン』(1795年)

先行する新古典主義に対するロマン主義の反伝統的、反制度的表現を反映して、絵画においてもロマン主義と呼ばれるものがあります。ロマン主義に属する画家としては、

  • ゴヤ(スペイン)

  • ドラクロワ(フランス)

  • テオドール・ジェリコー(フランス)

  • ギュスターヴ・ドレ(フランス)

  • ウィリアム・ブレイク(イギリス)

  • ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(イギリス)

  • サミュエル・パーマー(イギリス)

  • リチャード・ダッド(イギリス)

  • フランチェスコ・アイエツ(イタリア)

  • ヨハン・ハインリヒ・フュースリー(スイス)

  • カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(ドイツ)

  • フィリップ・オットー・ルンゲ(ドイツ)

  • ヨハン・クリスチャン・ダール(ノルウェー)

  • 藤島武二(日本)

  • 青木繁(日本)


ロマン主義の音楽

ロマン主義の音楽は、ロマン派と呼ばれています。ロマン派音楽は、その他のロマン主義運動と関連していますが、音楽以外の芸術分野では、ロマン主義が1780年代から1840年代まで続いたのに対し、ロマン派音楽は、だいたい1800年代初頭から1900年代まで続きました。ロマン主義運動の思想は、「真実は必ずしも公理にさかのぼりうるとは限らず、感情や感覚・直観を通じてしか到達し得ない世界には、逃れようもない現実がある」というものでした。ロマン派音楽は、オーケストラの規模を拡大したとはいえ、古典派音楽から受け継がれた楽式の構造は維持していました。

ロマン派の音楽家たち

初期ロマン派音楽(1800–30)フランツ・シューベルト、カール・マリア・フォン・ウェーバーなど
盛期ロマン派音楽(1830–50):ロベルト・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーン、フレデリック・ショパンなど
後期ロマン派音楽(1850–1890):フランツ・リスト、リヒャルト・ワーグナー、ジュゼッペ・ヴェルディ、アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、セザール・フランク、国民楽派など
世紀末(1890–1914):グスタフ・マーラー、ジャコモ・プッチーニ、リヒャルト・シュトラウスなど

ロマン主義の文学


エドガー・アラン・ポー

文学では、過去の喚起や批判、女性や子供を重視した感性の崇拝、芸術家や語り手の孤立、自然への敬意などがロマン主義に共通するテーマとして見出すことができます。さらに、エドガー・アラン・ポーナサニエル・ホーソーンなど、ロマン派の作家は、超自然現象やオカルト、人間心理を題材にした作品を書いています。文学におけるロマン主義運動は啓蒙主義に先行し、写実主義に継承されていきます。

イギリスの詩におけるロマン主義の先駆者は、18世紀半ばの、ジョセフ・ワートンやその弟のトーマス・ワートン。スコットランドの詩人、ジェームズ・マクファーソンは、1762年に出版した『オジアン(Ossian)』シリーズの世界的な成功によって、ロマン主義の初期の発展に影響を与えました。


ロマン主義と日本

島崎藤村

日本では明治中期(1890年前後)以降、西欧のロマン主義文学の影響を受け、森鷗外の『舞姫』(1890年)によってロマン主義文学が始まり、島崎藤村北村透谷らによって拡張されていきました。写実主義に対する反動から泉鏡花の観念小説が書かれました。日本のロマン主義文学のおもな作品は、

  • 樋口一葉の短編小説『たけくらべ』(1895年)

  • 島崎藤村詩集『若菜集』(1897年)

  • 国木田独歩の小説『武蔵野』(1898年)

  • 徳冨蘆花の『不如帰』(1899年)

  • 泉鏡花の小説『高野聖』(1900年)

  • 与謝野晶子の歌集『みだれ髪』(1901年)

  • 高山樗牛の評論『美的生活を論ず』(1901年)

  • 伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)

国木田独歩はやがてロマン主義から自然主義的な作風に変化していき、島崎藤村は『破戒』(1906年)により、ロマン主義から自然主義文学に移行していきました。日本のロマン主義文学は、西欧のそれと比べて始まりが遅く、そして短命でした。

まとめ

ロマン主義は、新古典主義と写実主義(リアリズム)に挟まれるかたちで、感情や自然など、制御不能なものを尊重する思想でした。理性、合理、写実に反して、湧き上がる感情、偉大なる自然というものへ、反動のダイナミズムも手伝った運動でした。「ロマン主義」という言葉からは、18世紀から19世紀中頃にかけて興った、感情と自然に重きを置いた芸術運動というニュアンスを汲み取るといろいろと理解が進むことでしょう。

参照


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