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【京都放浪記②】霊鑑寺で雅と風流を会得した話

皆さんこんばんは  椎茸椎茸~!!
本日は椎茸が大好きなお寺をご紹介。

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皆様、

『霊鑑寺』ってご存じですか?


“れいかんじ”と読みます。
「椿の寺」とも呼ばれる、椿の名所として有名な京都のお寺。


銀閣寺から徒歩圏内です。

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まずは軽く霊鑑寺について説明を。
(以下HPより抜粋)

「椿の寺」として知られる霊鑑寺は、承応3年(1654)、後水尾(ごみずのお)天皇の皇女・多利宮(たりのみや)を開基として創建され、歴代皇女が住職を務めた尼門跡寺院。別名「谷の御所」と呼ばれた格式と清楚な佇まいを今に伝えている。後西(ごさい)天皇の院御所から移築した書院は「四季花鳥図」など狩野派の作と伝わる華麗な障壁画で飾られ、本堂は江戸幕府十一代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)が寄進したもので、如意輪観音(にょいりんかんのん)像を安置している。また、愛らしい御所人形や絵カルタなど尼宮たちの雅な暮らしぶりが偲ばれる寺宝が伝えられている。
後水尾天皇が椿を好まれたことから、広い庭内には100種以上の名椿が植えられている。日光椿(じっこうつばき)(京都市指定天然記念物)をはじめ、散椿、白牡丹椿、舞鶴椿などが、色とりどりに咲き誇る。
https://ja.kyoto.travel/specialopening/spring-reikanji/2020/

そう。こちら 由緒正しき門跡寺院(もんぜんじいん)

”門跡寺院”とは皇族や公家が住職を務めたお寺のことです。
天皇や皇族が発願してお寺を建立し住職となった門跡寺院と、お寺の歴史の途中で皇族や公家が住職になったから門跡寺院になった2つのパターンがあるようです。
霊鑑寺は前者
ですね。


門跡寺院と呼ばれる寺院一覧↓↓

勧修寺 聖護院 知恩院 法住寺
光照院 照高院 雲華院 曼殊院
金剛王院 青蓮院 仁和寺 妙法院
三時知恩院 随心院 毘沙門堂 善峯寺
三千院 瑞龍寺 平等院 林丘寺
三宝院 禅林寺 沸光寺 霊鑑寺
慈受院 大覚寺 宝鏡院
実相院 大聖寺 宝慈院

あんらァ~知らぬまに行ってたわァ~!なんて方も多いのでは?

門跡寺院の大きな特徴
菊門を掲げられる”ということです。

こちら、椎茸が昨年霊鑑寺を訪れたときに頂いた御朱印なんですが

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きっちり菊紋が入っています。

お寺に行ったら見てみてください。瓦とか門とか色んな場所で菊紋を見ることができますよ。


そんな特別なところが 

に公開されているわけないでしょ!!


そうなんです。特に女性皇族が関わっている場合は門が硬い、と言われることも。もちろん常に開門しているところも多くありますが、例えば平等院なんかは堂内に入るために特別チケットの購入が必要で、ガイドさんがきっちり付き添う形の制限ある公開になっていますね。

霊鑑寺もその一つ

椿の季節と紅葉の季節にしか開門されない!

いやパイセン、椿の季節に公開してくれるだけでも嬉しいッス!!
限定公開、これこそ門跡寺院の醍醐味みたいなもんだから。


で、椎茸さん。

写真は無いの?


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あーーーちょっとわかんないですねーーー
ごめんなさい。椎茸、雰囲気に負けてスマホを取り出せなかった。それぐらい全体に気迫があるの。


写真は京都市ホームページからご覧ください。
ホームページがもう美しいので‥↓

https://ja.kyoto.travel/specialopening/spring-reikanji/2020/

風流…これが風流というのか…
椎茸、霊鑑寺で風流と雅を同時会得しました。


風流とか雅とかわからないんだよなって方、

霊鑑寺へ行け。わかるぞ。


昨年の出来事になるので変更はあるかもしれませんが、四人グループぐらいになって鏡内を見学する形でした。お寺の方が先導して案内してくださる。丁寧な解説付きで。なんだこれ。至福か??

もちろんこれは門跡寺院という特別な寺院だからこそ(見学客を野放しにできない)なんでしょうけども、
二条城とか美術館の音声ガイドとかに慣れていると『ハッッ!!!!人!!!!』ってなりますよね。こうやって生身の人が付きっきりでガイドしてくださる所は以外に少ない気がする。


余談ですが清水寺の秋の夜間拝観で特別公開される”月の庭”、あれもお寺の方がガイドしてくださいますね。めっちゃ風流。霊鑑寺を気に入った雅人はぜひ。秋だけど。

話を戻します。


椎茸が訪れた時は36年ぶりに奥書院「紅霞亭(こうかてい)」が特別公開。
ガイドさんが霊鑑寺内にある襖絵を見ながらお話して下さいました。

霊鑑寺へ来た女性皇族の中には、嫁ぐ直前に夫を鷹狩の途中の事故により亡くしてしまったという方がいました。こちらの襖絵は鷹狩を描いていますが、彼女にとっては皮肉でしたでしょう

ほう。

ドラマがあるなぁ…

他にも、幼くして霊鑑寺へ入った皇族が持参した雅な双六や絵かるた、御所人形。
金や蒔絵を凝らした遊び道具の数々。
豪華な暮らしではあったでしょうが、どうなんだろう。

残ったものは“物”ばかり。

椿に囲まれた寺

ここにいた人達はどんな一生だったんだろう

だれかドラマにでもしてくれ。


すごく観たいんだが。


京都はいいなぁ‥
私たちの先人がそこにいた。ただそれだけで安心するんです。


それでは皆さん今日はここまで。

明日も元気にいきましょう



~ッチャオ!!!!!


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