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”ふだん”がいかに貴重かを考えさせられる【読書記録*人はどう死ぬのか】
kindleのおすすめに出てきた。
『死』についてインパクトのある題名に、関心が湧いたため、読むことにした。ろ
3項目要約
死の定義からすれば、人がいつ死んだかというのは厳密には規定ができない【さまざまな死のパターンがある】
長生きを求めて病院にかかることは、延命治療による苦しみを受け入れる必要がある【寿命を受け入れる姿勢】
誰しもその日は必ず訪れることを考えて過ごす【死に目にあうことの意味】
読書感想
【ビフォー】死について、考える機会は少ない。どのような形があるのか知りたい。
【気づき】
『寿命を受け入れること』 調子が悪かったら、病院へ。当たり前のこととして私の祖母もいくつかの病院へ通っている。今日は耳鼻科だ、今日は内科だ、今日は婦人科だの…。
「頭も身体もバカになってきてる。」と祖母は言う。でもその原因は病院で治るものではなくなってきているのだ。
加齢だ。
「死んだほうがマシ。」と言った日もある。じゃあどうしてそこまでして生きようとするのか。薬を飲んで、痛みと闘って。
歳をとっているのに、それに抗おうとするから辛いのだ。
『長生きを求めて病院にかかるのだったら、寿命を受け入れ、好き放題やったらいいのではないでしょうか。』という著者の言葉が心に響く。
死に目にあうことの意味 大切な人の死に目にあえなかったら、一生後悔するんだろうか。本書の中にも、「私がちょっとトイレに言っている間に…」という事例が挙がっていた。それは本当に死に目にあえなかったといえるのだろうか。
要約にも書いたが、死んだ瞬間は厳密には規定できない。それを知っていると、死に目とはなんだろうと思える。死に目を大切にするということは、死ぬ瞬間まで私は一緒にいたという自己満足なのかもしれないし、それでその人との思い出をすべて良いものにしようとしているのかもしれない。自分はこの人の最期までしっかり関わったぞと。
でもこの人は本当に死に目を見届けてもらって幸せなんだろうか。だったら、生きているときに、元気なときにもっと会って、話をして、美味しいものを食べて、ちょっとそこまでお出かけして、楽しい時間を過ごし語ったのではないだろうか。
『その日は必ず訪れるのに、拒絶し、考えないようにし、”ふだん”という貴重な時間をいい加減にやりすごしているから、取り乱し、深い悲しみに苦しむのではないでしょうか。』ふだんをより大切にしようと思う。
【TODO】
大切な人に連絡をとる
明日会えなくなるかもしれないと思って毎日を過ごす
まとめ
本書は、さまざまな死に出会ってきた医者のリアルな視点で考察されている。医療の発達により、救われる命も増えた。しかしながら、それは本当に幸せなことなのかを考え直した。
「死」を受け入れることや求めない力をつけることも幸せな人生には必要なのかもしれない。
書籍情報
久坂部羊, 人はどう死ぬのか, 講談社, 2022
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