見出し画像

言葉少な

自分はあまり人と話さない。エスカレーターでわざわざ降りてきて、私に挨拶してくれた親切なおばさんが、さよならと言って手を振ってから、上の階にある自分の職場に戻るために降りのエスカレーターを必死に逆走するのを見たとき、私は驚きとともに心の中で大変笑ったが、その可笑しさを誰かと共有したいなどと考えなかった。一緒に笑ってくれる友人がいたら少しは救われるだろう。それでも私は不満足ではなかった。そんな暮らしが当たり前と思えるくらい長く過ごしていたし、私は自分の精神世界においてひどく自由であったから、現実で多少不自由があってもつつがない幸せと言われればそれほどの疑問は抱かなかったかもしれない。

私が喋れば「ホワットドゥーユーミーン?」という声がしばしば聞こえる。日本にいても日本語でよく訊かれたような覚えがある。私の言葉は誰にもあんまり届かない。別にそれで良かった。私も周りに対してホワットドゥーユーミーンと思ってる。

その国のエスカレーターは無情にもとても速い。
おばさんは途中まで行けても昇り切れず、とうとう膝が上がらなくなってしまった。私はホワットドゥーユーミーンという代わりに、向こうにある昇りのエスカレーターを指差した。おばさんはああその手があったかという顔をして、「ありがとう」の意味で軽く手を上げて私の前を通り過ぎて行った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?