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A Ray of Sunshine

ここ数日は何となく元気が出ません。思い当たる節はいくつかあります。
こういうモードになると何をやってもダメな気がして、些細なことに傷付いてしまいます。なので私は次の言葉を声に出してみました。
「ハ、ハレルヤ……」
低くてか細い、さざ波のように揺れる声が自分の耳の奥に響き、言霊と言いますし、少しくらいポジティブになれるかと期待を込めましたがどうにもなりません。これ以上悪いことが起こらないよう身を竦め、禍々しいものに見つからないよう背を丸めているのです。

「今日、近所のスーパーの写真展の前を通りかかったんだよ。自分の住んでる街の人たちが趣味で撮った、アマチュアの人の展示。病院の待ち時間があったから、暇を持て余して眺めていたの。ああいうのって、写真を撮った人が自分の作品に名前を付けるんだけど、どうしてこんな題名付けるかなという、笑ってしまうような題名が並んでるんだ。本人たちは真面目なんだろうけど、それが可笑しくて。例えば、雲から一筋の光がさしているのを写して『希望の光』とかね。なんでこんな真っ直ぐな考え方ができるのかと思うし、作り手としてそのセンスで本当に良いと思うのかと思うし、自分はどうしてこんな捻じ曲がった考え方になっちゃったんだろうと、一体いつからこうなっちゃったんだろう、と思うわけ。或いは、『希望の光』って、ウケ狙いで付けているとか、何周も回ってこの境地に辿り着いたとか……。自分だったら二十代の時に、こんな安直な安っぽいタイトル付けないと思うんだ。でも色んな経験をして、色々考えた結果、回り回ってこのタイトル着地するという。こんなタイトル、一周、二周どころじゃない。何周も回っての話だよ。それだったらまだ納得がいくんだ。でも多くの人たちはこういう感じの表題を付けたがるよね。何故だろう。しかし『希望の光』て、ねえ……」
と言ったのは、私ではなく知人です。

今の状態で誰かと話すのが正解か分かりません。こういう時どういう風にやり過ごすのが最適であったか忘れてしまいました。こうなる度にひっそりと静かに狼狽えます。絶え間ない胸騒ぎ。こうなるのに備えて、気を紛らわす手立てを思索して置くべきだった。何の用意もなく雨風に曝されているような気持ちです。
相手も私がいつもより覇気がないのを察してはいるようですが、だからといって話したいことをやめるような間柄ではないようです。陰気な私と話して何が楽しいのかと申し訳ない気持ちになりますが、だからといって一人で塞ぐとますます暗澹としそうだし……。できればこのまま話していてほしい。
今日はちょっと暗くてごめんね、と小さく笑って相手に謝りました。
「ところで、君だったら、その写真、どんな風なタイトル付ける」
と訊かれたので、ほとんど即答で
「元気の呪文『ハレルヤ』」と答えました。


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