光に過敏な「私」と「サングラス」と「悲しい心」
昔から天気に気持ちを左右されやすい。
何かの歌詞のように、晴れた日は嬉しいし雨の日は憂鬱。
でも本当は晴れすぎている日が何より嫌いだ。
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屋外に出る時必ず色付きのサングラスをしている。晴れの日と曇りの日は日差しの眩しさを周囲よりも感じ取りやすい。目の奥が痛み頭痛を引き起こしてしまうため、サングラスが手放せなくなった。
気がついたのは17の頃。もともと日光過敏症で皮膚が爛れてしまう症状が出るため、進んで外に出ることは少なかったがある夏の日、外に出たら感じたことのないストレスを覚えた。
「暑くて汗が出る」そのイライラよりも遥かに大きな「眩しくてイラつく」。「日差しで肌がピリピリする」ことよりも「目が苦しい感覚」。
それに気がついた時からが大変で、スマホやPCの画面の明るさ、車のライト、証明。全てに目が反応する。チカチカと辺りに星が飛んでしまう。綺麗な星空ならいいのに
それは屋外だけではない、ショッピングモールやスーパー、人が集まるところでも同じだ。だからサングラスをかけている。真っ黒なサングラスでなく、少し色のついたサングラスを。格好つけたくてとか、そういうわけではないのだが。
でもきっと周囲から見たら、不思議な感覚なのだろう。眩しくないはずの場所でサングラスをかけている事が。特に年配の方や小さな子供達にとって。
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今日スーパーへ行きカートを押している時、すれ違い様に小さな子供が「あの人なんで中でサングラスしてるの?」と母親に尋ねる声が聞こえた。
恥ずかしかった。
格好つけと思われたくないのに、できればひっそりして穏やかでいたいのに。
「そんなこと」と言われるかもしれない。
「他の人だって」と比較されるかもしれない。
でも私は悲しかったのだ。
どうか、外見で判断しないでほしい。そう思ったけど、自信を持ってそうと言い切れない自分もいる。それはきっと私自身もすれ違いざま、人との違いを探してしまっているからだ。
でも今日、それを自分がされた時。いや本当はいつだってされていたのかもしれないが、とても心が苦しかった。
人は皆、同じ心を持っているのに着飾ることで心が何も見えなくなってしまう。
もし心を傷つけられた時、どうするのが正解なのだろうか。元の通りに隠すのが正解なのか、ひけらかすのが正解なのか、或いはダメージを受けていないふりをするのか。
久しぶりの心のダメージを喰らった今日、早く寝ようと思う。
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