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これは私の母としての懺悔にも似た祈り


今夜も無事に5人が眠り。
順番に寝落ちていく子どもたちの表情を確認して、
もう一度頭をなでたり、
頬を寄せたり、
手を握ってみたり。

その行動に深い意味は無いのだけれど。

ただただ溢れる
「我が子(推し)を愛でたい」
というmy heartに身を委ねている。

私の右側にはいつも長女が眠る。
でもその寝顔を見ると
最近、思わず「ごめんね」を呟いてしまう。

***

なんだかお腹が痛いんだよ…

夕飯の後にぐずっていた長女。


正直、よくある。

ご飯の度に、

「これ以上食べると吐いたらいけないからやめておく」

と念には念をの性格上、とっておいてちょっとずつ食べていくのだ。

不登校になってから、この行為は増えた。

もう、何度目かの「ちょっとずつ」の頃にはカピカピになってしまうそのご飯を、彼女は頑張って食べようとする。

……もういいよそれは。

何度もキッチンに戻ってきてお皿に残る残飯を処理しようとする長女に私が思わず言うと。

安心したような申し訳なさそうな揺れる表情をする。


あ。……また間違えちゃったな。

そう思う。

繊細な彼女には、
もっと多分違うフォローが良かったし、
声のトーンも、気にすんな!くらいの明るさがあったら、安心感を与えられたのに。

でも言ってしまったな。そう思った。

言葉は出た後にフォローをしても効果が得られにくい。
最初のひと言がより素直な本音から溢れてくることを、もう彼女はよく分かっている。

「うん。ごめんね」

長女はたしかそう言ったように思う。

私は、違ったそうじゃなくてもっと……
と自分の言葉を後悔しているだけで
すぐにフォローができなかったように思う。
彼女はゲームに戻り、妹と元気にしていたけれど。

私はその後家事をしながらすっかり考えこんでしまった。

この繰り返しばかりで、学んでいないのは、私の方なのだ。

なんどもまた行きたいと言う、海。行かなきゃね


***

今夜、最後に眠りに落ちた長女。
真っ暗な部屋の中でも、
狭い狭い部屋に7人眠ると、
その大きさがより際立って見える。

ずいぶん、大きくなった。
その分抱えるものも増えた。

ごめんね。

思わず今夜もそう言いそうになったけれど。

「……大丈夫よ」

そう呟いて、
彼女の手を握ってみた。


確かに長女は眠っていた。
でも、その手を握ると

「ぅん?……ぅん、ぅん」

なにやら反応しつつ、少し安心した様子でニコッとした。
健やかな寝息が、彼女の胸を上下させる。

その規則的な動きに安堵した。


そうだね。
こう言えば良かったんだよね。

あんなふうに、ただ言葉で思わず返すのではなくて。

一旦呼吸をして、考えて。


相手が家族でも。自分の子でも。
そこには一人の人間がいて。
求めている言葉がある。
欲しい温もりがある。


眠りにおちた子ども達に再度触れるとき、
私は可愛さに浸ると同時に、
別の感覚を覚える。

目の前の人のニーズに
ちゃんと向き合って答えられる人間になりたい。

そうはまだなり切れない私の、
これは毎晩の、懺悔に等しい、
祈りのような行為なのかもしれない。

長女はいつも寄り添うように傍にいてくれる


無条件に、子は母を許してくれる。
それがどれほど尊いことなのか
そろそろ私は思い知るべきだ。

明日はまず一番に、長女を抱きしめにいこうと思う。

愛してるって、また伝えよう。

そしてこれからまた彼女の左側に潜り込んで
眠るときの今のこの狭さを
よく覚えておこう。


この狭さが喜びだと
気づいている今のうちに。



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