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「怒り」に命を救われたと思うから、どんな感情も決して無意味ではないと思う

しーちゃんのご主人さまこと、調 和緒(しらべ かずお)です。
今日は抜毛症ではなく、うつの体験を記してみます。

私は小三の時から抜毛症で現在40代の女性です。
また、20代に激務の会社勤めをしてうつ病を発症。以来、絶えず心身の状態が整わず、無理して頑張る〜動けなくなるの繰り返しで現在に至っています。

そんな私ですが、今年に入ってから本格的なケアや学び直しを始めており、このブログもその一環で始めました。

このような症状について初見の方は、正直びっくりしてしまう内容かもしれません。

この記事は、同じく抜毛症の方、あるいは何かしらの精神症の悩みを抱える方と、正直な思いや悩みを共有して、少しでも心が軽くなったり共感できたら…という思いで書いています。


「怒り」のおかげで冷え切った
身体に熱が戻ってきた


今から10年近く前、私はプライベートが散々な状況で心身ともにぽっきり折れてしまっていました。

やむにやまれず実家に帰り、部屋どころか布団からも出られず…
もちろん仕事はリタイア。不安感で胸が潰れそうで、悲しいのに泣けず、お腹も減らなくて、お風呂に入っても全然温まらない。当然、抜毛行為も増えてしまっている。

病院には失望していたので探す気も起こらず、近所のカウンセラーを名乗る人のところに行ってみるも「???(この人の方がまず癒された方がいいんじゃ…)」という有様。

虚しくて、馬鹿馬鹿しくて、だんだんお風呂も入らなくなりました。

そんな中、ふと過去の苦々しい記憶が蘇ってきたんです。
すっかり忘れていた、もう会うことのない人が私に対して行ったとても不快な出来事だったんですが…

そのとき何故か、「なんで今お前みたいなわけのわからん奴まで出てきて、こんな気分を害されなきゃならんのよ!!!!!」と、無性に腹が立ったのです。

腸が煮えくり返るってこういうこと??と思うほど腹が立って、枕を殴りました。
そして、殴るだけでは足りず、壁に向かって打ち付けて…
枕に顔を押し当てて「○ねー!!!」と叫び…

ひとり部屋の中で大暴れしたんですよね。

すると、氷のように冷たかった爪先や掌が温かくなり、自分に生命が通っているということが感じられました。

ああ、私はまだ怒れる心があるし、こんなふうに体も動かしたい時があるんだ…

それは、普段だったらみっともないから絶対しないことだったけど、その時の体温が自分に戻ってきた感覚がとてもうれしかったです。
だって、「もう何も感じず動けないなら、このまま壁とベットの隙間に吸い込まれて消えてしまいたい」と願っていた自分にも「血と心」が残っているとわかったから。

その後、過去の痛みや怒りはフラッシュバックとして私を悩ますことにもなるのですが…

それらを忘れたことにして、自分の感情を押し込めたまま人生を重ねるよりはよっぽどいいと思っています。

感じてはいけない感情はひとつもない


本来の私は、さほどいい子ではない、天然ボケでのんびりしたタイプの人間だと思います。ちょっと抜けてるし、数字も苦手です。

でも、子供時代から多くの時間を「しっかり者」「勉強ができる」「優しい」「面白い」みたいな感じでクソ真面目に生きていました。

まあ、それらはひとえに機能不全家族の中で生き抜く術であった…と今ならシンプルに説明できますけども、そう自分の中で納得するのにも時間を要しましたし、今も「本来の自分」ってこれかな?なんて自己探索を続けています。

さてさて。
様々な癒しを試みる中で、必ず出てくるであろう「怒り」。

ある人はいいます。
「そこにとどまらず、許すことから始まる」
「あなたが怒りたいから怒ってるだけ、だからやめればいい」

ある人はいいます。
「ネガティブな感情は言霊が悪いから言わない方がいい」

これらのアドバイスは、クソ真面目の畑で生きてきた私にはまるで「怒っているお前が悪い」「そんな感情ばかり感じているのがおかしいんだ」と暗に諭されているような気持ちになるものでした。

まあ、その時の私には受け止められる状態ではなかったということも大きいです。上記の3つのアドバイスはどれも本当のことだと思います。

それでね、一応アドバイスなのだからと「許す」「やめる」「微笑む」的な方向の努力を試みては徒労感だけが増すんですよ…ジブン真面目なんで。

でも、前述のエピソードで感じた生命力を思い出すとこう思えるようになりました。

「うるっせえ!!!!
私は怒ってるんだから、今はそれを感じさせろや〜〜〜!!!!!
いい子のフリとか今してる場合じゃねえんだっつーの!!!!!
綺麗事ばっかり言って、バーカバーカ!!!」

汚いですね、すいません(笑)

怒りは「第二感情」で、その根本には「悲しみ」「恐れ」などがある…などと言います

その怒りに隠された本音に辿り着こうにも、まず自分が怒ってるんだなってわからないと辿り着けないですよね〜。

そんなわけで…
ひたすら流す努力(相手の事情を慮るとか)や我慢することで怒りに対処してきた私が、それをちゃんと感じられるようになったことで、気持ちも行動もそれまでとは変えられるようになってきました。

これは、生きづらさを抱えた人にとっては大きな改革で、「怒り」に命を救われたなぁなんて私は思っています。

ちなみに、自分に「怒り」を感じることを許可して、それをオンタイムで実際に感じられるようになるのにしばらくかかりました。その場ではわからないんですよ。家に帰った後とか、3日後くらいに思い出して怒るのよ(苦笑)今もそういう時があります。

それで、自分が今まで「何も感じない、流してる」と思っていたことにも、いかに怒りを感じていたのかを実感しました。
思い出すに、私はかなり小さい頃からそうやって過ごしてきているので、抜毛症になるのも宜なるかな…という納得感も導き出せました。

自分が本当に感じたことは、感じたことなんだからそれでいい。良くも悪くもない。

ただ、言動に怒りとか非難がましさとかが出ちゃうと自分も相手もダメージを負うし、問題に発展しかねないので、安全な出し方を習得するのが本当に大事なんだなーって思います。



時に襲ってくる感情の波は、まだまだあります。
それで外に出られないなんてのもザラだし、いまだに抜毛行為も増えちゃう。

でも、「怒りも私を救ってくれていた」というのを思い出すと、少しましな気持ちになれます。ありがとう、私の心よ。

ではでは、また!


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