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就農するという挑戦
草刈機すら使ったこと無い私が蕎麦栽培を始めたのは伝統食である蕎麦の生産量が10年前の約半分になっている事を知ったから。このままでは10年後には当村の蕎麦がなくなる事を危惧し就農する事を決意する。
しかしお金も畑もない経験もない。地域のお婆ちゃんに耕作放棄地の畑を無償で借り、自分の身長よりはるかに高い草を刈る日々。
椎葉村では刈った草はよく乾かし火を付け灰を肥料にする。害虫も一掃でき一石二鳥。昔の方の知恵には本当に頭が下がる。
山の神、火の神への配慮も天孫降臨の里・宮崎県だけあって欠かさない。畑作り一つとっても古き良き日本がそこにはある。こうして作った畑で蕎麦を巻き約70日程度で食卓へ並ぶ。椎葉村の食卓を支えてきた作物だ。この蕎麦を後世に残していく事が私の使命だと蕎麦栽培をゼロからやる事で思った。この蕎麦を持続可能にするには蕎麦で稼ぐ、その仕組みづくりをしていかなければならない。その為には自分が自ら栽培して販売する6次産業化しか道がない!とその時強く思ったのを覚えている。
次回・・・椎葉昌史、6次産業化はじめるってよ。
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