見出し画像

1歳7か月 ガブ飲みからの断乳記録

 断乳してから1か月が経った先日、助産院でマッサージを受けて、残っていたものを出し切ってもらい、長かった私の授乳生活がいよいよ終わりました。忘れないうちに断乳の経緯と成功の喜びを書き残しておこうと思います。

 そして、オッパイ依存度強めの赤ちゃんの断乳記録として誰かの参考になれば。

当初の予定

 娘は産院を退院してすぐに哺乳瓶を拒否し、それからオッパイ一筋で生きてきた、生粋のオッパイ星人。

 1歳を過ぎてからは自分の意志で私の服をめくって飲むようになってしまい、不安なとき、悲しいとき、転んだあと、もしくは単に退屈なとき、とりあえず服の中に入ってくるようになった。家の中ならいいけど、児童館でも、レストランでも、タクシーの中でも、友達の前でも、関係なく服をめくられる。めっちゃ恥ずかしい。

 外に出かけるときも、娘を完全に服の中に隠せるように、スモックみたいな服しか着れないし、人の目も気になるしで、外出自体が億劫になることしばしば。授乳の回数を聞かれても、回数では答えられないぐらい、しょっちゅうオッパイにぶら下がっていた。

 当初の予定では、母乳とミルクの混合で育てるつもりだった。

 ミルクは夫が担当して、夜はミルクでぐっすり寝かせるつもりだった。生まれる前は、そんなの母親のやり方次第でうまく誘導できると思ってた。だってオッパイは私の体の一部なんだから、あげるもあげないも私の一存でコントロールできると思っていた。

 実際、それは大間違いだった。

 私のオッパイは出産と共に、ホルモンをガソリンに暴走。需要と供給のバランスが安定した頃には、娘は哺乳瓶を断固拒否。体重の増えが悪く、授乳回数を増やしていくうちに、オッパイファーストの赤ちゃんが出来上がっていった。

 当初の予定は、ただの予定で終わった。

 娘にとってのオッパイが、食事から精神安定剤になり、依存度が高くなるにつれ、どうやって断乳するかを真剣に考え始めた。

 というのも、知り合いや、知り合いの知り合いに、小学生まで飲んでいた(飲ませていた)という強者がいて(しかも何人か)、私は衝撃を受けた。もちろん、母親がそれでいいなら、それでいいのだ。実際、私が子育ての先生として参考にしている児童精神科医の佐々木正美先生も、“子供が欲しがるならいつまででも飲ませていい”、と著書の中で仰っている。

 でも、私は絶対に嫌だった。

 「ハタチまでには飲まなくなるやろ」なんて母が茶化すと、「ひいい~!」と本気で怯えた。

 1歳を過ぎても、まだ夜中に2時間おきに起きるのも、苦痛だった。勝手に飲んでいるので、体はそこまで辛くなくても、私がいないと眠れないという状況も重荷だった。あまりにも強いオッパイへの執着も心配だった。

 よく聞く「自然と飲まなくなった」という卒乳話は、娘には当てはまらないんだろうな、私がやめさせない限り飲み続けるんだろうな、と思い始めてからは、「だ」と打つと「断乳」と予測変換されるほど、断乳の時期や方法について常に気にしていた。

断乳を決意

 4月に1歳5か月で保育園に入園するため、入園してから断乳することは決めていた。

 もともと1歳半まではあげてもいいかな~と思っていたし(寝る前だけ、ぐらいの軽い授乳を想定してたけど)、何より入園後の不安定な時期をオッパイなしで乗り越えられる気がしない、というのが最大の理由だった。

 助産師さんにも相談して、入園後、GWが過ぎて、保育園に完全に馴染んだあとに断乳を決行することにした。

 助産師さんにオススメされたのは、金曜日の朝に最後の授乳をして、1日保育園で目いっぱい遊んでもらい、金曜日の夜から断乳すること。夫にも家にいてもらい、金土日の3日間で断乳を終えるというプランだ。

 5月末の断乳で、心は決まった。

 4月。無事に保育園に入園して、早速カゼをこじらせて入院。入院後はさらにオッパイへの執着が強くなってしまい、こりゃ断乳も無理かな~なんて諦めかけていたころ、市の1歳半健診に行った。

 歯科検診で歯を見てもらうと、なんと前歯が6本も虫歯になりかけていることが判明。原因は絶え間ない授乳、特に夜間授乳だという。

 これを聞いたときの私のショック、お分かりいただけるだろうか…。

 母親というのはただでさえ、子供に起こる全てを自分の責任と思いがちだ。カゼをひいたら、温度管理や服のチョイスを反省するし、離乳食を食べないと、調理方法や食べさせ方のせいだと落ち込んだりする。

 それに授乳は、良かれと思って続けてきたことだ。娘の心の拠り所、精神安定剤だと思って乳を出してきたのに。まさかそれが原因で虫歯だと...? しかも6本も?

 歯科検診の次は、小児科の問診。

 ここでも先生に「オッパイを飲んでる子は言葉が遅い!」なんて追い打ちをかけられた。なんでも、オッパイを飲む子の口は、"吸う口"になっている。しゃべるときは、"吐く口"。吸う癖を直さないと、言葉が出てこない、というトンデモ理論。なんだよそれ…と内心ムカつきながら「今月末に断乳する予定なので」と冷静に答えた(このときは5月頭)。先生は「月末?(まだまだ先やん)」と鼻で笑ってこう言った。

 「ほんとは1歳ぐらいで断乳すべきやったね」

 なんじゃそりゃ!

 WHOは、2歳かそれ以上までの母乳育児を推奨してるのに。産む前から母乳のメリットを説明され、乳首を確認され、産院では母乳測定され、母乳!母乳!だったのに。1歳までに断乳したほうがいいなら最初からそう言っておいておくれよ。その辺の意見は関係者みんな揃えておいておくれよ。

 くそ~ くそ~!

 でもこの一件で、揺れていた断乳への決意が強固なものになった。

準備したこと

 金曜日を断乳の日と定め、カレンダーを準備。決行の日に大きく、オッパイが手を振っている絵を描き、“オッパイバイバ~イ!”と吹き出しをつけた。

 3週間前からそのカレンダーを冷蔵庫に貼り出し、毎日娘と一緒に1日1枚シールを貼っていく。シールを貼るたびに、「この日でオッパイバイバイだからね~。ここまでシール貼れたらオッパイおしまいね」と言い聞かせる。

 保育園の先生にも共有し、「〇〇ちゃん、オッパイさよならやね」「頑張ろうね」「もうすぐやね」など、声掛けしてもらった。

 オッパイを飲むたびに「もうすぐバイバイやね」と言い聞かせるうちに、本人も「オッパイバイバ~イ」などと言うようになった。(本当の意味は分かっていないと思う)

 1歳半検診のとき、保健師さんが断乳について「1つだけアドバイスがあります」と言ってくれた。

「断乳は親がつらいんです。胸が張るし、子供は泣くし。絶対に一度は諦めようと思う時が来ます。その時に絶対に諦めないこと。これが成功の秘訣です」

 私、途中でめげそうだな~と思っていたので、このアドバイスはありがたかった。3週間も前からカレンダーにシールを貼って、「こんなん意味あるんかな?」と夫は言ったけど、カレンダー作戦は私自身が断乳の心構えをするためにもとても有効だった。

 断乳の日の朝、いつもどおり勝手に乳を飲む娘に「これで終わりやで~。保育園から帰ったらもうおしまいやからね」と伝え、園に送り出した。夫が最後の授乳の様子を写真に撮ってくれた。

 夕方、娘を迎えに行く前、アンパンマンとシナぷしゅがバイバイと手を振っている絵を描いた絆創膏を両乳に貼り付けておく。帰ってきてすぐ気が紛れるように、家のあちこちに新しいおもちゃ(お風呂で水遊びできるおもちゃ、粘土、シールブック、今まで出し渋っていた細かいパーツのおもちゃ)などを設置。そのほかにも、娘の好きなお菓子、フルーツ、ヨーグルト、パンなども準備した。

 保育園に向かう道中、なんか緊張してきた。

 娘の人生は常にオッパイと共にあったわけで、私の子育ても常にオッパイ中心に回っていた。娘が不安を感じる未知の場所も未知の体験も、オッパイがあればへっちゃらだった。娘の依存度も高かったけど、私もだいぶオッパイに頼って育児してたのだ。オッパイがあれば、どんな不機嫌も、どんな体調不良も乗り越えられる。母乳って、ある意味めちゃくちゃ楽ちんなのだ。

 事前に言い聞かせていたとはいえ、娘にとって初めての”オッパイがない”という経験。こういう時にこそオッパイがあればいいのに、なんてアベコベな想いを抱えながら保育園へ向かった。

いざ、断乳!

 保育園へ迎えに行くと、娘はバンザイのポーズをしながら、私のほうへやってくる。抱っこすると、すぐにシャツをめくって、とりあえず1杯!というのがいつもの流れ。

 そこで、私はすかさずシャツをめくり、「ほら、オッパイバイバイしたやん。もういなくなっちゃったよ」と絆創膏を貼った乳を見せた(誰もいない教室でやりました)。

 娘は「うわ~~~んっ!」と言って、私の首にしがみつき、泣きじゃくった。驚いたのは、その泣き方がもう、諦めている泣き方だったこと。アテレコをつけるなら、「オッパイバイバイってしつこく言うてたん、このことやったんか~~!!」って感じ。

 しばらく床に転がって泣いたり、私にしがみついて泣いたりしたものの、無理やり絆創膏をはがそうとすることはなかった。

 オッパイはもう、いなくなった。それを理解している泣き方だった。

 しばらく泣いてようやく落ち着いたので、ちょうど同じ時間になった友達と一緒に歩いて帰宅。家に帰ると、いつもならまた帰宅後の1杯!となるけど、ここでもう一度シャツをめくって絆創膏を見せる。今度は、ふえ~んと泣き声を出しながらも「アパ、アパ!(あんぱんまん)」と絆創膏を触っている。

 そのあとも、何度かシャツをめくって絆創膏を確認するけど、アンパンマンやシナぷしゅを触ってニコニコするだけ。

 えっ、これ、いけるんじゃない? 私は勝利を確信した。

 夜ごはんは、普段よりたくさん食べた。いつもは保育園で1杯、帰ってから1杯、と小腹を満たしてから晩御飯を食べるので、あまり食べてくれなかったんだと思う。

 お風呂は、私は服を着たまま、娘だけを洗う。ちょっと遅めに夜9時ごろまで遊ばせたけど、寝かしつけでは1時間半ほど泣いた。でも、グズグズした泣き方で、手がつけられないほどではなかった。

 途中、夫が帰宅して抱っこを変わってもらったけど、お母さんの抱っこがいい!ということで、結局、寝付くまで私が抱っこした。娘にとって私は、しゃべるオッパイなんじゃない?って思ってたけど、オッパイがなくても父より母の存在感のほうが大きかったみたい。(夫、断乳のために急いで帰ってきたのに出番なし…ゴメンよ…)

 夜中、勝手にシャツをめくって襲われないよう、絆創膏をつけたままワンピースを着て寝た。何度か起きてワーン!と泣いたけど、抱っこしたら落ち着いて、オッパイを飲もうという素振りすら見せなかった。

 2日目。私の胸が爆発しそうに張る。

 娘のことばかり気にしていたけど、よく考えたら、ガブ飲みからの突然の断乳なので、私の胸の工場がいきなりの出荷停止に一気にパンク状態になっていた。搾乳機で絞りつつ、保冷剤で冷やす。

 胸が張り過ぎて、抱っこもつらい、腕を上げるのもつらい。娘はこの日も、オッパイを求めることはなかった。娘のことばかり心配してたけど、私のほうがヤバいんじゃ…と思い始める。

 3日目。胸が痛くて本当につらい。歩くのさえ痛い。妊娠、出産と痛いことが多かったけど、その中でもかなり痛いほうだ。

 夫に「胸が張って痛いというのが一体どういう痛みなんか、ほんまに共感できひんねん。ごめんなあ」と気の毒がられる。

 あまりの痛さに、助産師さんに「めちゃくちゃ痛いんですが、大丈夫でしょうか…?」とメールすると、「今日がピークだと思います!適度に絞って、でも我慢できそうなら我慢してたら、徐々に楽になります」と言われる。絞れば絞るほど、さらに乳が作られるから、長引くってことみたい。そこからは、「今日がピーク」という言葉を信じて、なるべく耐えた。

 4日目。助産師さんの予言どおり、だいぶ楽になった。オッパイが「あっ、もう作らなくていいんですね。ほな工場止めますわ」と理解した感じだった。

効果とその後

 断乳の効果は絶大だった。

 初日から食べる量が格段に増え、数日後からぐっすり眠れるようになった。あんなに頻繁に起きていたことが信じられないほどだ。寝かしつけも、絵本を読んだり、お腹の上に乗せてトントンしたりと、夢みたいな方法で寝てくれるようになった。夜中に起きても、トントンだけで寝るし、薄目を開けて私が横にいるのを確認するだけで再入眠したりする。私は今だに信じられない気持ちで、夜中に何度か起きて、感動しながら寝顔を見つめている。

 食事の量に関しては見違えるほどで、断乳前の4~5倍は食べている。保育園の日誌にも「おかわり」の文字が並ぶようになり、先生もビックリ。体つきもだいぶしっかりしてきた。

 小児科医に言われた"吸う口理論"に関しては、悔しいけど確かに断乳してから言葉が増えたように感じる。言葉というのは、〇〇したい、〇〇食べたい、という欲望があって初めて湧き出るのだと思う。これまでは、そういう欲望を全てオッパイが解決していたから、言葉も必要なかったんじゃないかな。

 こうして娘は、思っていたよりもあっさりとオッパイから離れていった。

 1歳7か月ともなると、小手先の子供だましが通用しなくなるので断乳は大変だろうと思っていたけど、いろいろ理解できる月齢だからこそ、あっさり離れられたのかもしれない。時間をかけたカレンダー作戦も、声かけも、ちゃんと効果があった。私と娘にとって、ベストなタイミングだったんだと思う。

 しばらくは乳首を見せるのが怖くて、結局3週間ほどは絆創膏をつけてお風呂に入っていた。ある日、風呂場で絆創膏がペロッとめくれ、娘が「アッ!」と乳首を指さした。「オッパイ…」と言う。「オッパイやねえ。バイバイしたねえ」と言うと、それでおしまいだった。

 役目を終えたオッパイは、日に日にしょぼしょぼとしぼみ、生きる希望を失った老兵のような佇まいに落ち着いた。切ない。

授乳写真

 娘の最後の授乳風景を夫が写真に撮ってくれたと書いたけど、案の定、ひどい写真だった。後ろに洗濯物、オムツのゴミが映り込んでるし、私はボサボサ頭に眼鏡にパジャマ(夫は生活感を写真に抑める天才)。

 もちろんそんなことは想定済みだったので、実は授乳写真というのをプロに撮ってもらっていた。オッパイっ子だった記念に撮っとくか!という軽い気持ちで、1歳2か月の時、撮影会に参加した。撮影会で娘は最年長だった。

 撮影会でもらった3枚の写真。オッパイを飲んでいる娘のアップと、私がオッパイを飲む娘を抱っこして笑っている2枚。軽い気持ちで撮ったけど、今になって、ほんと~に撮っておいてよかった!と思っている。

 もらった直後は、授乳なんてただの日常風景だったので特に見返すこともなかったけど、断乳後はたまに見て、かわいかったな~なんてニマニマしている。

 完全母乳育児は、授乳や寝かしつけの負担を夫とシェアできない分、「私ばっかり…」と思うことが多かったけど、なんだかんだいい思い出だ。授乳は育児の中でも好きな時間だった。この授乳写真を見れば、1年7か月の授乳の日々が蘇る。

ちいさなお船

 「断乳してちょっと寂しくない?」とたまに言われるけど、答えは「ぜ~んぜん!」だ。例えるなら、保育園を卒園して小学校に入学したみたいな、成長への嬉しさのほうがはるかに大きい気持ち。

 Petit Bateauというフランスの子供服メーカーがある。色合いもデザインもかわいくて、着やすく着せやすい子供服。ブランド名のPetit Bateauはフランス語で「小さなお船」という意味で、同じ題名のフランスの民謡から取られている。

 ママ 水に浮かんでる
 小さなお船には
 手足がないの?
 もちろんあるのよ
 そうでなければ
 進むことはできないわ

 お船は先へと進み
 世界を一周するの
 地球は丸いから
 また戻ってくるのよ

小さなお船 Maman les p'tits bateaux :フランス民謡の世界 (hix05.com)

 妊娠して初めて、完全母乳で育てることを"完母"と呼ぶと知った。初めて聞いたとき、"母艦っぽい音だな"、と思った。

 そのイメージがずっと頭にあって、私から離れて遊んでいても、ちょこちょこ戻ってきてはオッパイを飲む娘を見ていると、"母艦に戻ってきたな"と思っていた。だからこの歌詞を聞いたとき、沖へ出る小さな船と子供の成長がしっくりと重なった。

 娘が乳離れをして、この歌詞が頭に浮かんだ。なんとめでたい船出だ。この先、何度も何度もこういう船出を見送りたい。

 さて、今週は会社の納涼会。寝かしつけも夫に任せて、思う存分飲むぞ~!








この記事が参加している募集

子どもの成長記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?