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食洗機を買わない選択。理性よりもスキが勝っただけ。

食洗機が欲しい。実は物凄く欲しい。
あった方がいい理由はたくさん挙げられる。でもたった1つの理由がいつも食洗機を買うのを止めるのだ。
理性的に理路整然と生きたいと思いながら、結局感情で私は生きている。

食洗機が欲しい理由

冬の日に洗うと指先が凍える。お湯を出せばいいなんて理由は受け付けない。お湯出るまでの水は勿体ないし、結局待ちきれなくて冷たい水で洗い始めちゃうし。

洗う時の水の量も食洗機の方が少なく済む。勢いよく水がお皿やスプーンから跳ね返って床に飛び散ることもない。溜め込んでしまった洗い場を見るとストレスが溜まるし、そもそも自他共に認める面倒くさがりな私は料理をしてご飯を食べるところでだいたい力尽きる。
お皿を洗う余裕などぶっちゃけないのである。

こんな感じで皿洗いがどれだけ嫌で、その役割を食洗機に投げ渡したいかはいくらでも言える。
食洗機の置き場問題だって、狭い家だけど置こうと思えば置けるので既に解決済みだ。
なのに最後の最後に買えない理由がふっと湧いてくる。

食洗機を買えない理由

洗うお皿が食洗機専用ではない。ただこれだけ。
陶器市などで買ったお気に入りのお皿達は電子レンジ不可も多く、食洗機など恐れ多いといったメンツばかりである。

このお気に入りを食洗機のために買い替える?
無理に食洗機で洗っちゃう?

あ、どちらも無理です、とそう考えた瞬間即答してしまう。
私の好きな昔ながらの柄やおめでたい柄などはなかなか食洗機専用のお皿で見つけられない。
無理に食洗機で洗って欠けたりでもしたら、私は私に「寿命だったんだよ…」と声を掛けてあげられない。
ただただ、私が食洗機を買えないのはお気に入りのお皿と別れることができないからだ。

物を買う時の選択

食洗機だけに限らず、何か物を買う時に値段やらコスパやらも勿論気にしつつ、私が1番大切にしているのがお気に入りになるかどうかだ。
些細なことで激しく落ち込んだり逃げ出したりする私なので、せめて自宅では好きな物を見たり、好きな香りに包まれたりと「スキ」に囲まれていたい。
いつだって自分の目に入るモノはお気に入りで埋め尽くしたいのだ。
そうすれば嫌なことにもちょっとだけ勇気が出る。
だって帰れば私の「スキ」が詰まった部屋が待っているのだ。

そんな私は最近heliosの魔法瓶を買った。
黒い牛の魔法瓶で命名「黒毛和牛」。私に「和牛」と呼ばれているその保温ポットはガラスの魔法瓶になっていて、ますます私を食洗機から遠ざけた。


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