見出し画像

短歌供養(2016~2017)

 大学生のとき、短歌をやっていた。
 でも、短歌を詠もうとすると頭が痛くなるので辞めてしまった。
 この記事は短歌を辞めるまでの顛末および、短歌詠の供養だ。


◆「短歌会」の思い出:短歌詠供養までの経緯


 大学生のころ、当時交際していた後輩から「大学に短歌会を作りたいんですけど、名前だけ貸して下さいません?」と相談を受けたことがあった。2010年代の半ばというのは、学生短歌会が全国で創立されしのぎを削っていたころで、今に比べると大学の短歌会には高い訴求力があった(現在でもあるのだとしたらうれしい)。代表的なのは北海道大学短歌会や、日本大学藝術学部による象短歌会(解散済)などだろうか。

 僕が当時通っていた大学にも、運よく歌人の森井マスミ先生(短歌結社『玲瓏』所属)や同じく歌人の鈴木竹志先生(コスモス短歌会、中部日本歌人会、現代歌人協会会員)がいらっしゃったので、やる気のありそうな創作クラスタたちを取り込んで、自分たちでも「大学短歌会」を作ろう、ということになったらしい。
 それからたった2年で消えてしまったとはいえ、2016年当時には東海三県では唯一の、かつ東海地方で最大の大学短歌会だったので、もしかしたら聞いたことがあるという方もいらっしゃるかもしれない(いないかもしれない。ちなみに静岡には静岡大学短歌会があったので、東海地方で唯一の大学短歌会ではなかった。現在だと2021年4月に創立した名古屋大学短歌会がある)。なお僕らがやっていた短歌会の詳細に関しては、『短歌』2016年7月号(KADOKAWA)に掲載された紹介記事をご参照いただきたい。

 それで、そう、後輩から短歌会に誘われたので、短歌のことは何ひとつ知らないにもかかわらず、参加することになったのだ。
 名前だけ貸すのもなんだか無責任な気がして、一応末席に加わった形だった。といっても事情はみんな僕と変わらなかったはずだ。もとから短歌をやっていたのは発起人のその後輩だけで、あとは彼女の熱心な説得を聴かされるうちに、(短歌というより)当時の学生短歌界の熱気に興味を持って集まってきた、小説書きであったり詩人であったり、絵描きであったりした。

 まだ元号が平成だった2016年の7月、大学の公認サークルとして創立されたその短歌会には、当時学内にいた、やる気があって、かつ集団行動が好きそうなやつらがあらかた集まっていた。
 活動は月に1度の歌会兼ミーティングと、それから、秋の大学祭に合わせて機関誌を出そう、ということが決まった。

 機関誌は、翌年にかけて2冊出た。
 以後は会自体がなくなってしまった。
 もともと寄せ集めの人員で急造した会だったから、すぐに無理が出たのは当然の成り行きとも言えただろう。
 機関誌が当時どのくらい読まれたのか、僕は知らない。
 在庫は余っていたはずだけど、いま誰が持っているのだろう?

 とはいえ思い返してみると、当時出店した文学フリマかどこかで言葉を交わしたお兄さんが、そういえば石井僚一と名乗っていたな、という記憶があって、ぎょっとしたりする。たしかに自分は、あのころ学生短歌界の片隅にいたのかもしれない。変な感じだ。

 機関誌を出すと聞いて、大変なことになったと思ったのは当時僕くらいのものだったそうで、参加していた同輩はワクワクしていたという(悪いことではない)。不安はいろいろとあったが、まずは学外のひとが読むに堪えうるものになるのかという点がもっとも大きかった。
 というのも、学内に存在した他の文芸関連サークルの部誌というと、日本語が覚束ない作品まで載せていたからなのだが、いや、それではまずいだろうと思っていた。なにせ一般的に大学短歌会というとその大学のある程度の知的階層の集まりという印象があったけれど、うちの短歌会には「短歌って短いしラクそう」という考えでいた軽いノリの人が、わりと混じっている気配があったためだと思う(べつにそういう考え自体が悪いわけじゃないけど、それなら会を組織する必要はない)。
 不安感を裏付けるようにして、開催した短歌イベントのレポート記事を担当者がまともに構成して書くことができなかったり、早稲田短歌会からのさそいでせっかく参加した二泊三日の合同合宿のレポート記事を、担当者(別の人)がなんと原稿用紙1枚で終わらせたりという、しょんぼりな出来事が重なって(リテイクして2枚に伸びた)、案の定というか、その後会の維持は困難になり、いまではもう跡形もなくなっている。

 創立のころ、僕はすでに教育実習などで忙しかったこともあって歌会にはあまり参加できなかったが、結局、2冊出したどちらの機関誌にも、編集者として携わることになった。当時はなんだか、悪い夢でもみているような感覚と、非日常に心が躍っているような感覚が混じり合って苦しかった。
 正直あまり思い返したくはない。でも最年長だった僕がもう少しうまく立ち回っていれば、あの会はもっと長生きできたんじゃないかと、いまでもたまに後悔の念に苛まれることがある。

 ともかく短歌の幻想性に魅入られただけの僕には、歌の韻律性を理解することは叶わず、上達したという実感もないままに連作をまとめて機関誌を出すというだけで精一杯だった。なので、僕は今でも人に短歌をやっていましたとは、恥ずかしくて言うことができないでいる。

(ちなみに、2020年のこの記事のように、本記事で言及した短歌会は一般的にはまだ存続していると思われているようです。これは活動ブログが当時のまま残されているからなのですが、大学HPのサークル紹介から名前が消えているということだけは申し添えておきます。)

ヘリウムの雨(2016)抄


 元気でねきゅうりの馬でなんだけどあしたはおまつりヘリウムの雨

 生きたいと密度を変える携帯の生かされている心も指も

 堂々と宇宙へとび出す風にゆれまわりの目線が計算技術

 咲いている家出る私はずされるそんな夢みた傘を持たない

 やきたての頭の中はゆずの実に染まってしまう傾向もある

 淡い雲赤い光に染んでいて die と dye の寝台に死に給い

 しんしんと降りしピエリス閉じ込めてぱだんぱだんの膜感を聴く

 弟の背骨は幼年期に折れてひとみの中に老齢の猫

 赤煉瓦 ひとりぼっちの月の子は墓地の木蔭で夢界をただよう

 なめらかな社会とその敵簒奪者あるいは呼吸するだけの墓標

 L.H.O.O.Q. いつかさよならに良い日まで水のように心を伝えて

 最愛でない貴郎にはあまりにもパリンプセスト死して咲く花

 シャガールのステンドグラス写り込むハダッサよりの姉の電影

 ハロウィンにもらったマフラー手を添えて大曾根(O-ZONE)で聴く「恋のマイアヒ」

 君の名は。どうやら過去にも未来にも存在しないことになりそうよ

海を心に蛇と唱えよ(2017)抄

 
 親指の柔らかい月満ちなくて仄白い月の輪 蛇の海

 つぶやきは眠り薬の影となるウラジヴォストクに天使をみない

 信仰も帝国主義も同じだと裂かれた咽喉で呟く弊誌

 五島列島沖合水深二百m 震えて眠れ一梱の魚籠

 罰だから泡になれると信じてた暗闇で待つ雷撃処分

 暮れるのは暖流のような蛇の舌黒潮の味を思い出す秋

 鱗ある頬を染めては母よりも先に仔を呑む蛇の純情

 白樺でなく脊椎の森にすむ蛇をこころに動脈を切れ


※ 一部の歌を、歌人の久納美輝さんのご助言により修正しています。

この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?