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ヒトって別に「便利」を消費してる訳じゃない。

IT、デジタル、イノベーション……高速に技術が進化して、組織も仕事も変化してきて、落合陽一さんの言う「魔法の世紀」がやってきた。それは間違ってないけど、そもそも今僕たちが生きてる資本主義社会で、ヒトは何を求めて生きてきたんだっけ?

昔良くあった議論。
食べるために生きるのか、生きるために食べるのか?
もし後者だとすると、じゃ、何のために生きてるの?って話だけど、
この哲学的な問いかけだと話が終わらなくなるので、とりあえず
消費と生産(創造?) と定義してみる。
で、近頃どうも生産にばっかりスポットが当たり過ぎてる気がするので、
消費の方を考えたい。

だって、AI使って生産性が上がって、仕事時間が短くなって、疲れなくなって、どんどんモノやサービスが作られるようになって……それから先どうするんだっけ?僕たちは空いた時間で何を楽しむんだっけ?
消費っていうとモノ消費をイメージしがちだけど、コト消費も含めて考えると、人生をどう充実して楽しく過ごすか?…それが消費社会における価値だ。

……で思うのが、
今のグローバル経済を引っ張ってるGAFAに代表されるプラットフォーマーの経済合理性に基づいた考え方。
いずれも
『ヒトに便利を提供』『ヒトの不満ポイントを解消』という考え方だ。
一見正しく見えるけど、そこには「新しい価値」『新しい楽しさ』を提供する視点は抜け落ちている。その領域はコンテンツの領域だと彼らは割切っていて、例えばAmazonで言えばコンテンツは商品サプライヤー。Googleで言えばコンテンツはWebサイトやアプリ。そのプレイヤーに対する汎用のプラットフォームだけ提供してお金を稼いでいる。
この汎用というところが、僕は結構曲者だと思ってるのだ。実は汎用のモノが創造的な価値を生み出したケースって歴史上ほとんどない!のである。

彼らがなぜそのやり方に固執するかというと、グローバルにあらゆる人種や国の人材リソースを単一のやり方で雇用して利益を上げたいからだ。これは極めて米国的だな…と感じる。米国の企業ってモノゴトをできるだけシンプル化して誰にでもできるようなジョブに落としてしまう。あるいは人材調達しやすい、スタッフを育成しやすいタスク体系に落とす。
でもいずれもサプライヤ的な都合であって、楽しくて充実した新しい生活を提供する…という消費者側の立場に立ってるわけじゃない。

どうすれば良いんだろう?ホントに新しい価値を生み出すのって、生産性とか考えてたらムリなんだよね。文化がそうだもん。巨大な人口を支配しようとすると文化を殺してしまう。局所的でローカルなやコミュニティから文化は生まれる。そしてそれはエンタメとしてグローバルで消費される。
その、貴重な文化や面白さを生み出した人達を大事にしないと、世の中は便利で不満がないだけで、生きる意味のない社会になってしまうと思う。