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オンラインメディアの生活時間占拠が“旧”消費者にもたらしたモノ。

筆者はインターネットの勃興期からネット業界・デジタル業界が主戦場だったので、ずっと疑問に思ってたことがある。
それはズバリ、ネットの閲覧が(接続回線コストを除けば)タダであるということだ。
TVなどの放送メディアが広告費で成り立たなくなるという傾向は、ネットが普及する前から予想されてきたことだ。それでも、ネット業界の主たるプレイヤーは『無償モデル』を選択した。
そのことがここまでのネットおよびスマートフォンの全世界的な普及に貢献したことは否定はしない。しかし……それは消費社会に対して『禍根を残した』と感じている。

ネットにおけるコンテンツやアプリの開発と保守運営にはお金がかかっているわけで、誰かがそのコストを負担しなければならない。先進のプラットフォーマーと呼ばれる人たちも結局その部分は旧態依然のモデルである『広告費』に依存した。当然のことながら、広告というのは生活者に消費させるための法人側の投資でしかない。でもこれ…冷静に考えると……

生活時間の大部分を“無償コンテンツ”提供のネット側に奪っておきながら『消費しろ!』って超矛盾だろ。


法人の広告費を賄うためには、
そのお客である消費者の消費を喚起しなければならない。
でも消費者の消費意欲を喚起させるには、ネットばかり見させているという状態は愚策だ。Eコマースで実商業地以上にバカスカ買ってくれれば良いが、Eコマースがそんなに楽しい消費地であるとはとても思えない。
特にスマートフォンという狭い画面デバイスにシフトしてからは、Eコマースは単なる決済手段の域を超えなくなった。

みんなが楽しく消費してもらうには、
商業地でも良いし、住宅展示場でも良いし、レジャー施設でも観光施設でも良いので、とにかく『消費を喚起する場所』に長く居てもらい、かつその場所や商品やエンタメに“没頭してもらう必要がある。
スマホにずっと“気を取られ”ながら、ただ何となくその場所に居るという状況だと消費は喚起されないのだ。

今の消費者はもはや、消費者じゃなくて“旧消費者だ。先日掲載したデフレーションの根源はそこにあると感じてる。

モバイルデバイスとコンテンツの在り方 をもっと変えなければならない。
スマホの中の広告収入だけでGDPが上がるなんてあり得ないのだ。道具として使わせるならば、リアルの消費地と完全連動して楽しめるリモコン化をしなければダメだ。もしくは、それ単体で使わせるなら課金したくなるエンタメバリューが必要になる。

でも、
ずっとスマホの画面に見入ってる人に課金しつづけるのって、人間の豊かなライフスタイルとはとても言えないよね?
なので、やっぱり次の新しいヒューマンデバイスを考える時がきたんじゃないだろうか?