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大切な人を失った事実は変わらない 2014年3月11日

 自称「振り返る女」神垣です。

 もう、3年

 まだ、3年・・・


 スリランカを訪れたとき
 南に位置するゴールの町から
 南西部の海岸をコロンボに向かって北上する際
 「ここに津波の慰霊碑があるから」と
 ガイドさんに連れられ、立ち寄った地があります。

 ヒッカドゥワ(Hikkaduwa)近郊にある
 パラーリヤ(Peraliya)という村。

 その海岸沿いにぽつんと慰霊碑があり
 近くには、京都本願寺が建てた津波慰霊のための大仏の姿も。

 2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震による津波は
 スリランカにも被害を及ぼし
 北西部を除くほとんどの海岸が被災。
 3万人余りの死者を出しました。

 慰霊碑の後ろにレリーフがあり
 そこには、苦しそうにゆがんだ人々の顔、顔、顔。

 ゴール行きの列車が津波の一波で立ち往生した際、
 そこへ地元の人たちが逃げ込み、
 津波の第二波によって列車ごと
 1700人もの人々が流されたといいます。

 実際に慰霊碑の前に立ったとき
 すぐ目の前は静かな海岸で
 慰霊碑や大仏がなければ
 そこが10年前に津波で被災した地と
 気づくことはなかったかもしれません。

 でも、津波で亡くなった人たち
 一人ひとりに生活があり、それぞれの人生があったのです。

 それが一瞬にして奪い去られた事実は
 10年前のスリランカも
 3年前の日本も
 変わりません。

 3年前も、今も
 自分には何ができるのだろう
 と考え、まだ、はっきりとした答えが見つからずにいます。

 祈ることだけじゃダメなんじゃないか
 そう思って3年が過ぎました。

 これからも
 何ができるかを
 探し続けるしかないのだと思います。
(VOL.2139 2014年3月11日 配信 メールマガジン あとがきより)


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