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職業ライターのストーリー

平成5年生まれ。現在は個人事業主のライター・栄養士・プロモーター。東京都生まれ、地方育ち。幼少期から父親の転勤で地方を転々。社会人でも各地を転々とするなぜか寄留者人生で、今は東京都在中。職も転々とする中、ライティングをきっかけに人生の軸が定まる。それが「書くこと」であり、また仕事でありながらもまるで大人の遊びで大好きを見つける。「仕事×遊び=書くこと」をコンセプトに、2024年2月より完全個人でも執筆活動をスタート。noteはほぼ毎日更新中。


「やりたいことがない」20代だった

私は栄養系の大学を卒業後、転職を5回以上繰り返しています。やりたい仕事がなく、かといって淡々と仕事ができるほど割り切れず(職業はサポート的な事務)、29歳まで常に「何者かになりたい」と切望していました。自分探しとして転職をしたり、毎月本を読んでいたり、ノートに自分の内側を書き出すなどをしていました。そんな孤独な20代を過ごす中、同年代ではキャリアを着実に積み上げている人、恋に結婚に楽しそうな人、子どもが生まれた人、起業した人、そういう人を見ては「やりたいことがない」自分が惨めに思えました。まるで生きる楽しさを感じず、ついには、生きるって何だろうと考えることも多くなりました。

29歳の時、なぜか個人事業主になる

そんな私も今や31歳、人生が右肩上がりどころか、指数関数のように爆上がりしています。そのきっかけは、人生迷い中は29歳の時でした。突然ですが、私はなぜか個人事業主(フリーランス)という生き方を選択します。私がやってみたいと思った業界とポジションは、たまたま業務委託だったのです。自信のない自分でも、やはり這い上がりたい気持ちはあったわけです。まさかのフリーになり、そこから、自分の精神は大きく鍛えられます。仕事がこれほど人生に影響を与えるとは、この時はまさかまさか、思ってもみなかったです。

いきなり始まった人生激変な仕事

やりたいことがない私でも、「書くことを仕事にしてみたいなぁ」と漠然な思いはありました。そして、なんとなく応募すると採用されたわけです。フリーですけどね。当時はそれなりに面接も頑張りましたが、腹をくくる思いはありませんでした。良くも悪くも、これまでの転職活動のような、どこかゆるい気持ちすらありました。私も呑気ですね。ところが、生半可な私に待っていたライティングの仕事は、想像以上にすごい環境でした。一言でいえば、生産性の鬼。そもそもが、雇用形態も違うのですから、スケジューリングや自己管理、すべてが自己責任の世界でした。

仕事で急激に鍛えられる経験をする

まず、私の仕事内容をお伝えします。例えば、何かプロジェクトがあったとします。それに対する企画・作成・販売など一通りの流れを私が舵取りします。さらりと言いましたが、難易度はまぁまぁ高いかと思います。ただし、サイト(LP)のデザインやコーディングなどはできないため、そこはデザイナーさんにお願いしています。また、お客様対応などはコーディネーターにお任せしています。こんな感じで、正直事務しかしてこなかった人間ができるような領域ではありません。むしろ、マネジメントや編集、また営業経験のある人こそ向いている仕事かと今だからこそ改めて思います。人生とは不思議なものです。

ライターを超えているライター

私の仕事は、もはや単なるライターではなく、キャッチコピーを生み出すコピーライターであり、売上を作っていくセールスライターであり、流れと仕掛けをつくるプロモーション担当でもある、物凄いポジションを担当しています。マルチタスクな部分が多く、かといって肝にもなるセールスでは、コミットが重要です。クリエイティブでもあり、セールスマンな感覚です。ライターとは安易に言えないレベルです。

嫌でも積極的になる環境だったので

以前の事務のように、のんびひと時間が経過するルーティンばかりの仕事をしていた私には、この特殊なライターの仕事は過酷でした。一日として同じ日はありませんし、時間帯もばらつくことも多々。その度に、私はフリーで働くことが嫌になったりもしました。正直、想像していたライターの仕事ではありませんでした。今までは、与えられた仕事を黙々とやっていればどうにかなっていたからです。それでも私が頑張れた理由は、絶対に成長したかったからです。ここを辞めたら、私はもう本当に何者にもなれないと直感していました。

半年で1500万円をメルマガのみでつくったライター

私はなんだかんだで、この仕事を始めて半年で偉業を成し遂げます。半年で1500万円、メルマガでのセールスライティングのみで売上ました。講座ですので、無形商材です。偉業とか自分で言うなって話ですが、会社的にも前例のないことを達成したので、これは私の誇りになりました。

この特殊なライターの仕事は、主体的な行動ができなければ成り立ちません。毎週のようにMTGがあり、自分の状況を説明したり、提案を持ち出したり、分析・見解・反省点など、積極的な姿勢も重要です。それに加えて、売上と向き合うこと。ここが一番大切です。数字がすべてではないと言いたいですが、やはり数字がすべてです。

なぜ私を用いてくれたのだろう・・・

ここで、疑問が湧いた人もいるかと思います。「事務だった人が、企画やセールスを任せてもらえるの?」と。実はここで、私は経歴に助けられたからだと思っております。フリーになる前、私は出版社に勤めておりました。職種は事務であり、セミナー企画担当、SNS担当であったりと、兼任していたのです。冒頭では事務のみと言いましたが、実はこの仕事だけは結構クリエイティブでした。兼任ですけどね。

こういうところから、選んでもらえたのだと思っています。とはいえ、本当の真相はわかりません。こういうことをご縁というのでしょう(強制的に締めくくる)。

何者かになりたい病だった私と、今の私

29歳から31歳(現在)、約2年間続けている特殊なライターがきっかけで、私の精神はものすごく鍛えられました。最初の半年は、冗談抜きで毎日お風呂で泣いていました。腫れた目がデフォルトでした。それでも辞めなかった私は、腹をくくっていました。「何者かになるんだ」と。正確にいえば、正真正銘のライターになるんだと決めました。自分との約束を何度も思い出し、温室育ちだった私はストリートで戦っていくわけです。今ではこうやってnoteを書いているくらいですから、人生は何が起きるか本当にわかりませんね。

いつの間にか、即行動人間化

フリーになってからは、主体的に行動するのが基本でした。癖にもなり、もはや自分の中では常識レベル。悩んでいることすら無駄に思えるほどです。そんな現在の和田は、思い立ったが吉。後回しスタイルはしません。

時間に対しての考え方も大きく変わりました。「朝一時間で何ができるか(→記事一本を書く)」、「移動時間30分、有効活用したい(→オーディオで読書ならぬ聴書)」、「わからないじゃなくて、今できることは何かな(→調べても何しても本当にわからないことは、どうすればいいかなと思考を深める)」、「悩むだけ時間の無駄、手をすぐに動かす」こんな感じです。

時間は重要です

昔の私であれば、移動時間はだらだらとInstagramを眺めていたかと思います。というよりも、起床時からそうです。暇さえあれば、何となくスマホを触って、ボンヤリと他人の見栄写真ばかりインプットしているのです。今はそもそも、興味がありません。それよりも学びあることをしたいです。こういった状態を、生産性に取りつかれた人、生き急いでいる人、意識高い系の人、とも言えるのでしょうか。まぁ、そんなこともどうでもいいです。時間を上手く使えるようになると、冗談抜きで次元が歪む感覚すら覚えます。ゾーンに入る経験をしたりと、結構面白いものです。

学ぶは美。だから、内側を磨く。

突然ですが、これは今の私を表したキャッチコピーです。2024年3月に、そうだ作ってみようと生み出しました。その思いですが、特殊なライター経験を通して多くのことを学びました。当時は辛いこともありましたが、それでも踏ん張って続けてきたからこその今の私は、これらの経験がすべて学びであると信じているからです。そして、こういう一線を超えた努力は「美しい」と感じました。自惚れた意味ではなく、戦ってきた傷ついてきた自分に対して、一人で勝手に感動しているわけです。

美しい人が好きです

世の中には美しい人がいます。しかし、表面的なだけで中身が空っぽな人もいます。これは例えばの話です。昔の私はこういう表面美の世界に首っ丈でした。羨ましかったのかもしれません。しかし、今は見え方が違います。もちろん表面にも内面の美は現れます。それもまた美しい。ただ、これ以上に美しいのは、生き様という傷。単なるかっこいいというものとも違います。

コミットしてきた人にしか出せない覇気のようなものが、私はなぜか美しいと感じたのです。言葉が適切かは今でもわかりません。けれど、この心惹かれる思いは、まるで美しいものを見た時のよう。なので、美しいと称します。このたった2年で、私の価値観は測定不可能なほど変化しましたというわけです。

だから、「仕事×遊び=書くこと」

かつては働くことを超えて、生きることすらも絶望してきた私でした。今や仕事は楽しいです。難しいことや苦しいこともあるけれど、エネルギーを出せる場所・活動があるというのは喜びです。その上、仕事で培ったスキルを、このnoteで用いることができるわけです。単なる遊びとは違うけれど、広く言えば遊び。子どものような遊びではありません。大人なりの頑張りであり、挑戦できる分野です。私にこういった感覚を与えてくれた「書くこと」のすべてに感謝せずにはいられません。そして、すべての出会いにも感謝です。

ライターとして、これからも生きていきたい

ここまで読んでくださりありがとうございます。私の書くことのきっかけや価値観を少しでもかじっていただけましたら私が勝手に喜びます。そんな私は今、さらに挑戦していきたいことがあります。実は冒頭でもお伝えしましたが、資格的には栄養士免許をもっています。ただし、栄養士として働いたことはありません。今だから言えますが、20代はこの資格そのものが自己嫌悪の対象でした。事務職ならいらないじゃん、と。無駄の対象とでもいうように。

人生わからない。10年後にわかることも。

しかし、今の私は栄養士の資格も活かしたいと前向きな思いです。取得して10年後に、過去の自分を肯定するわけです。決して資格があるから思ったのではなく、順番的には健康分野に興味が出てきて、「そういえば私、栄養士免許もってたわ」程度のひらめきからです。

そんな私は今や、ライティングスキルがあります。そして、ある意味強い精神力も。ならば、掛け合わせてみたいなと思ったのです。栄養士とライター、いわゆる栄養士ライターな活動もしてみたいと思った最近です。人生に意味のないことはないのだと、31歳になって確信を持って感じています。なんだか人生がわくわくしてきました。

ち・な・み・に!

「サムネイル、なんやねん!?」と思われた方はいらっしゃいますか? 私のセンスって時々よくわからないんですよね。解説は特になし。つくった自分自身でも謎だからです。とりあえず私のキャッチコピー、写真、趣味でつくったぬいぐるみ、お守り石を載せておけばOKと直感的に思っただけです。勢いで作ったので、深い意味はありません。私がどんな人間か、どうぞお好きに感じ取ってみてください。なんちゃって。こんな私をどうか応援よろしくお願いいたします。

そして、「栄養士ライター」としてお仕事も募集しております!得意なことは腸活です。では、改めてありがとうございました!


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