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♪100年先もおぼえているかな?知らねぇーけれど さよーならまたいつか♪なのである。

『正しさとはなにか。朝ドラこと連続テレビ小説『虎に翼』(NHK、脚本:吉田恵里香)の最終週の1週前、主人公・寅子(伊藤沙莉)が、反論したことを詫びる若い調査官・音羽(円井わん)に「すべて正しくなければ声をあげてはいけないの?」と自分にはなんでも言っていいという懐の大きさを見せた。これは『虎に翼』の中では珍しいことではない。『虎に翼』ではこの半年間、一貫して、正しくなくてもいい、完璧じゃなくてもいいということを描き続けてきた。~寅子の言い分としては、仕事を選ぼうと子育てを選ぼうと、どちらを選ぶにしても自分が選択したく、たとえ善意であっても、他者から寅子をさも理解したふうにこうするといいとは言われたくない。世にいう「傾聴」の大切さを説いたエピソードであり、相談の趣旨とは当人の言いたいことを聞いてもらうことであり、他者の意見を求めていないという、コミュニケーションにおいてつまずきやすい問題を描いた。寅子の生きる道、それは世間一般の正しさを基準にしないこと。あくまで基準は自分。思ったことは遠慮なく声に出す。~「黙って」と言われてしまった航一をはじめとして、基本的に、男性陣は、寅子たち女性から身体的にも言葉的にも暴力にさらされる。暴力はよくないという台詞もあるが、股間を蹴ったり、危険な崖のほうへ小突いたり、キックしたり(これは女性から女性へ、だった)、ときに手が出る、口が出る。それでも寅子は、「すべて正しくなければ声をあげてはいけないの?」や「そのまま嫌な感じでいいから」という精神で突き進むのだ。なかなか得がたいキャラクターである。「許さず恨む権利がある」なんてセリフもあった(左遷させられた若き判事の思いの代弁)。朝ドラに限ったことではないが、物語の主要な人物はたいてい、理にかなっている。世間一般において正しいことを発言し、行い、共感され、支持される。だが、寅子は違う。弁護士の仕事を得るために契約結婚をしたり、子どもができても子育てに熱心でなく、晩ごはんの代わりにお菓子で済ませたり、職場でキスしたり、再婚の際は事実婚を貫き夫婦別姓を選択したり。世間的に見ていかがなものかと思う視聴者もいる一方で、そういう狡さやゆるさに救われる視聴者もいるのである。なにごとも「ゆるし」が大事とはいうものの、それは理想論に過ぎず、「許さず恨む権利がある」という主人公はなかなか肝が据わっている。~契約結婚は、「逃げ恥」(ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』)ブームの影響もあってか、令和のいま浸透しているし、夫婦別姓も目下、議論されている注目案件である。子育ても家事も、やってくれる人にやってもらうサービスがビジネスとして成り立っている。これまでいかがなものかと思われたことが、いや、やってみてもいいのではないか、やってみたら意外といけると、新たな門戸はどんどん開いているのが令和である。むしろ、これまであまりにも人間を型にはめすぎてきたのではないか。寅子が「はて?」「はて?」と別の視点を提示していくたびに、実社会での問題がくっきりと浮かび上がってくる。だからこそ、これまでの朝ドラは品行方正過ぎて魅力を感じなかったという層にも受けたのだろう。それこそ、明るく元気でさわやかで良識的な朝ドラヒロインみたいであれ、と型にはめられてきた世の女性たちにとって、そこからはみ出た型破りな寅子はしてやったりなのである。米津玄師の主題歌『さよーならまたいつか!』の歌詞には「空に唾を吐く」とか「知らねえけれど」とか乱暴な言葉が出てきて、これもまたこれまでの朝ドラらしくなかった。寅子のモデルで、日本初の女性裁判官・三淵嘉子さんはアッパークラスの人で、銀行員の家に生まれ、法曹界に女性が少なかった時代に法律家となり、最高裁長官の息子と再婚し、日本ではじめて家庭裁判所の所長になった人で、資料を見ると、「空に唾を吐いたり」「知らねえけれど」なんて言ったり決してしないであろう上品な人物に見える。おそらく、あえて逆をいったところが、ドラマが支持される要因のひとつであろうか。ただ、主人公が型破りなだけだったら、『虎に翼』はこれほどの話題作には成り得なかったであろう。型破りな主人公が関わる事件は史実に忠実で、帝人事件を模した「共亜事件」にはじまって、朝鮮人差別の問題から、原爆は国際法に違反すると判じた原爆裁判、尊属殺人、少年法の改正、安保闘争、ブルーパージ等、昭和の日本を揺るがした事件を扱っている。そこに関してのキーマンがいる。NHKの解説委員であり、著作も多数あるジャーナリスト・清永聡が取材スタッフとして参加しているのだ。彼の著作『気骨の判決:東條英機と闘った裁判官』はドラマ化もされ(原作表記)、『戦犯を救え:BC級「横浜裁判」秘録』も今夏、ETV特集で映像化された(こちらは取材表記)。『虎に翼』の企画の立ち上がりは、清永の著書『家庭裁判所物語』を読んだ、尾崎裕和チーフプロデューサーが、その中に登場する三淵嘉子が朝ドラの題材になるのではと思ったところからはじまったそうだ。清永が3年かけて執筆した『家庭裁判所物語』のための膨大な取材データがあったがために、司法に関する部分が引き締まった。裁判官による判決文は本物を用い、その力強さは並大抵の創作にはかなわないものがある。そして、清永は事前にモデルになった方々への挨拶等、リスク管理を徹底しているため、ツッコミようがない。さらに清永は、ドラマ放送中に、『みみより!解説』『午後LIVE ニュースーン』などのニュース解説番組で、これらの用語や事件の解説を行っていた。モデルからかなり逸脱し、令和的な価値観をもって現代人に共感を呼ぶ寅子が、どれだけ自由に暴れまわっても、その背景が史実どおりの事件なものだから、土台が崩壊することがなかったのである。自由奔放な主人公・寅子のオリジナリティあふれるドラマパートと、現役ジャーナリスト清永聡の取材に基づいた司法パートの組み合わせは、NHKが最近、自局のよさを活かそうとして時々行っている、ドキュメンタリーとドラマの2本立ての番組(『未解決事件』や『NHKスペシャル 南海トラフ巨大地震』など)のアプローチを、朝ドラ流にやってみたという印象を受ける。史実の事件部分をしっかり描きつつ、それを裁判する人たちの人間臭さをドラマで描き、出来事が自分ごとに思えるように。~企画の勝利であると同時に、この大胆なプロジェクトに参加して、まさに臆することなく自由に脚本を描いた吉田恵里香という30代半ばの脚本家の、自分の意思を貫いて、真っ向から日本社会とは何なのか、正しさとは何なのか、多少、間違っていても、おかしいと思ったことには声をあげたい、自分らしく生きたいという愚直なまでの信念が風穴を開けた。生理や更年期や痴呆や性的マイノリティや日本に住む外国人のことなど、ドラマで描くとさまざまな意見が出るため、自主規制して率先して描いてはこなかったこと(吉田曰く「透明化された」)を全部入れるという、『虎に翼』とは、まるで曼荼羅を描くような執念で描いた労作である。それら1つひとつの掘り下げは、清永聡の取材ものにはかなわず、どうしても浅くなり、そこを物足りなく思う視聴者もいた。けれど、まだ30代。この体験を経て、見識を広め、書くことをやめずに邁進すれば、40代、50代と、どんなものを描くのか期待はある。少なくとも吉田恵里香は、やりたいことがあっても型にはめられ諦めてしまっていた人たちの希望になった。やりたい意欲のある若い世代にチャンスを与えた、まさに虎に翼を与えたNHKの思いきりのよさがこれからいい方向に作用してほしいものである。』

史実(事実)を基にした物語(フィクション)で大人の事情で本筋の報道では取り上げられない問題提起をところどころにちりばめているところにドラマ班の良心をみた。そうなのです。♪100年先もおぼえているかな?知らねぇーけれど さよーならまたいつか♪なのである。



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