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カズオ・イシグロ「日の名残り」に自らの人生を重ねて。

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの代表作でブッカー賞も受賞した作品である。心に深く響く名作であると思う。ネタが少々分かってしまうが、静かな感動の余韻の中で書くことを許されたい。


この物語の主人公であるスティーブンスは長年にわたり、ダーリントン卿に執事として仕え、卿の屋敷に各国の政治家や、それに係る人物たちが常日頃集まり、密室の会議を行う激動の時代が背景にある。大きく歴史が動く中で、自らの思想や考えはいっさい持たず、常にご主人に忠実に仕え、あらゆる会合、晩餐会をつつがなく取り行い、来賓が最大限満足していただけることをのみ使命として行動してきた。「品格」ある執事というのが彼が考えるあるべき執事の姿だ。

長年仕えたダーリントン卿が亡くなったあと、ダーリントンホールはアメリカ人の富豪ファラディ氏が買取り、スティーブンスは新しいご主人に仕えることとなった。しかし以前の使用人は皆辞めてしまい、人手不足の状況下、スティーブンスはファラディ氏からの勧めもあり、休暇をもらって車で旅に出ることとなる。旅の途中にかつてダーリントン卿時代に共にこの屋敷を切り盛りしてきたMs.ベン(元ミス・ケントン)を訪ね、人出不足を補うためダーリントンホールへの復帰を促そうと決めていた。それがこの旅の目的でもあった。彼女の手紙から決して幸せな結婚生活を送っておらず、自身の提案に同意してくれると根拠もなく信じていた。

その旅と共にスティーブンスの回顧が始まる。伝統的な英国の執事として、とにかく「品格」を重んじ、懸命にダーリントン卿に仕えてきた自分の人生を肯定することを確認する旅でもあった。自身の身を捨ててでもご主人を支えてきたその姿は、まるで日本の武士道の精神を体現するかの如くである。しかし、それでよかったのか?当初は疑問とも思わず、その考えに追随してきた読者も最後にダーリントン卿が間違った方向に行ってしまったことを知る。夜ごと秘密裏にダーリントンホールで行われる会議は、実はダーリントン卿をナチスドイツが利用し、卿はナチスのイギリス工作に加担することになっていたのである。

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物語の後半で屋敷の賓客の1人であるレジナルド氏からスティーブンスは一方的に攻められる。「なぜダーリントン卿の間違いを指摘しなかったのか」「どんなお客が来て、どんな会合を開いていたのかを一番知ることのできた執事が、なぜ主人を間違った方向に押しやってしまったのか」と。しかしスティーブンスは自分の役目は主人に懸命に仕えることで意見を言うことではない。ここで決まったことは、意見を言おうが言うまいがそのまま世へ流れ出て決まったいくだけである。

しかし、最後にダーリントン卿は自分が間違っていたことを悟り、それを認め、失意のうちに亡くなるのである。卿は最後に自らのけじめをつけて生を全うしたのに、自身はまだ何もけじめをつけていないことにスティーブンスは気づく。

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品格に拘泥して一心不乱に執事の仕事をこなす一方で失ったものもあった。大事な会合の後の晩餐会を取り仕切るため、実父の死にも立ち会うことができなかったのだ。、屋敷の上階、すぐそこに父が横たわっているというのにである。さらには長年共に自身の執事の仕事を支えてくれたミス・ケントンが屋敷を去る時も然りである。時にはきつい意見を言いながらも忠実にスティーブンスを支えた理解者であった。

結婚のため屋敷を去ることになったミス・ケントンが言う。「このお屋敷に長年お仕えした私がやめるのに、それに対する感想はそのそっけないお言葉だけですか?」。ミス・ケントンがどのような気持ちで日々働き、彼を支え、どのような気持ちで結婚を決意し屋敷を去るのか。それを20年の歳月を費やした後の邂逅でスティーブンスは知ることになるのである。そしてダーリントンホールに復帰してくれると勝手に解釈していたのは、単なる自身の思い込みであったことを知る。全てもう遅かったのだ。過ぎ去った過去なのだ。

ミス・ケントンと別れた後の夕刻、この町の港に1人たたずむスティーブンスのもとに1人の男がやってくる。彼も元執事であった。その男にスティーブンスは語る。「自分はもう昔のような品格のある正確な仕事はできない。いまや失敗ばかり。自分の行く末には虚無が広がっている」「最期にダーリントン卿は自らの過ちを認める道を選んだ。私は選ばずに卿の賢明な判断を信じ、お仕えした何十年という間、自分が価値あることをしていると信じていただけで、自分の意思で過ちをおかしたとさえ言わず品格などどこにあるだろうか?」と涙を流す。自分を肯定する旅が回想とともに否定する旅になった。

男は言う。「後ろばかり向いていたら気が滅入る。昔ほどうまく仕事ができないのは皆同じ。いつかは休むときが来る。私は隠退してから、楽しくて仕方がない。もう若いとは言えないが、それでも前を向き続けなくちゃいけない」と。

この小説の解説などでは、執事としてのスティーブンスの人生は、かつて栄華を誇った英国の暗喩であるとか、イシグロの内面的回想録であるとか言われているようだが、私は自然と自らの人生に重ねて読み進んだ。いくら過去のことを、「あーすれば良かった」とか「こうしておけば、こうはならなかった」と思うことがあっても、絶対に過去は変えられないのだ。描き直せない、厳然たる事実として残っている。描けるのはただ一つ、これからの未来だけである。

この小説は、スティーブンスが新しいアメリカ人の主人のために苦手なジョークの練習をしようと決意するところで終わる。ジョークなど通じることのなかった過去のスティーブンスであるが、この老執事は新しい道を、自分の在り方を探り始めていた。

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