30代最後の年に脳動脈瘤が見つかった話Vol.3 手術説明と入院準備
Vol.2では、人生初の入院と手術決定までの経緯を書きました。
手術方法が決定した私は、手術に向けた準備と療養中の仕事に引き継ぎに取りかかります。
■ 手術に向けた事前説明
検査入院からちょうど1週間後、入院のスケジュールや手術の詳細を聞くため外来を受診し、手術方法、そして手術によって起こる可能性のある合併症やリスクの説明を受けました。
・開頭クリッピング術とは
Vol.2でも少し触れましたが、先ず私が受ける『開頭クリッピング術』について説明を受けました。
『開頭クリッピング術』は、その名のとおり頭を開いて行う手術です。
全身麻酔の後、頭部の皮膚を切り頭蓋骨を外して動脈瘤がある血管まで到達したら、動脈瘤の根元を金属のクリップで止めて瘤に血液が流れないようにします。
その後、頭蓋骨を戻し皮膚を縫って完了となります。
聞いているだけで背筋が寒くなるような話でしたが、いつも通りS先生が淡々と話を進めていくので、恐怖が全くないと言ったらウソになりますが、おかげで冷静に話を受け止められたような気がします。
性格上、変に優しすぎたり明るすぎる先生だと、頑張ってそのテンションに合わせようとして疲れてしまうような気がしたので、S先生のような淡々とした主治医は逆に気を使わなくて済み、とてもコミュニケーションがとりやすかったです。
入院を伴うような長期間に渡る治療は、主治医との相性はとても大事だなと感じました。
話を手術に戻します。
『開頭クリッピング術』は頭にメスを入れますので、当然髪の一部を切ることになります。
仕方がないことと思いながらも、この点については最初随分気落ちしましたが、先生からは額の右半分を髪の生え際から頭頂部に向かって5㎝程度の幅でカットするので、ショートボブの私は髪の分け目を左側にすればある程度隠せるのではないかという話がありました。
たしかにそれであれば髪の分け目を左側にして、ヘアバンドでセットすれば傷口を十分隠せると思い、それが分かるとだいぶ気が楽になりました。
手術時間は平均4~5時間程度。
手術当日と翌日はICUで過ごし、その後問題がなければ1週間で抜糸を行い、入院から2週間で退院という流れが通常だそうです。
この時、新型コロナウイルスは既に5類へ移行されていましたが、手術当日の面会は不可となっており、家族は自宅で病院からの連絡を待つという形になっていました。
手術中のことだけで言えば、私は麻酔でただ眠っているだけですが、家で連絡を待つしかない家族にとっては、長く不安な時間になるので申し訳ないなと思いました。
・合併症等のリスク
手術の詳細に加えて、手術によって起こり得る合併症やリスクの説明も受けました。
これまた先生が淡々と話すので、起こる可能性は低いという言葉があっても、何かすごく現実的なことのように思えてきて、とても怖くなったのを覚えています。
全ての説明が終わると、諸々の同意書などにサインをしました。
手術に関する説明書及び同意書
治療説明文書
麻酔に関する同意書
輸血に関する説明と同意書
術前感染症検査についての同意書
とにかくサインが必要な書類が多いです。。。
この他にも、入院中にいくつかの書類にサインをしました。
こうして、この事前説明から1週間後に入院、入院4日目の午前9時から手術実施が決定しました。
■ 入院に向けて
事前説明を受けてから入院までの1週間は、体調を崩すことなく無事に乗り切ること、職場のチームメンバーへの負担を最小限にするべく極力業務を処理して療養に入ること、この2点だけに集中して過ごしました。
・入院までの体調管理
脳動脈瘤が見つかるきっかけとなった頭痛を発症してから、この時点で約1ヶ月半が経過していました。
頭痛に伴う吐き気と、病気が判明したことのショックもあってか少し食欲が落ちており、この期間で体重が3kgほど減少していました。
血液検査で貧血の指摘もあったため、手術に向けて体力をつけなければと思い、残り1週間ではありましたが急ごしらえで生活の見直しを図りました。
病気に対する不安や怖さは消えませんが、ここまで来たらやるしかないという気持ちも湧き上がってきて、治療に向けてできることを極力やっておこうと少し前向きに物事を捉えられるようになっていました。
睡眠時間を7時間確保すること
1日3食ちゃんと食べること
食事に肉を取り入れること
出来ることと言えばこの程度でしたが、それまでの私はこれすら出来ていませんでした。
日々の睡眠時間は5時間程、食事も好きなものを好きな時に食べるという感じで、元々味の濃いものや甘いものが苦手だったので、食生活はさほど気にしなくてもバランスは崩れていないだろうと思い込んでいた節があったのです。
元々の体格が少し瘦せ型なので、そこから3kg落ちると流石に自分でも体力が落ちていることを自覚できました。
なので、入院までの1週間はとにかく食べてよく眠ることに注力しました。
・仕事の引き継ぎ
入院で2週間、そして退院後に自宅療養2週間が必要だったため、計4週間仕事を休む必要がありました。
就職してそれなりの年月が経ちますが、当然こんなに休んだことはありませんでしたし、どちらかというと有給消化率も低く、あまり積極的に休むタイプではありませんでした。
こんな感じで長く仕事中心の生活をしてきてしまったので、長期間仕事から離脱することには不安がありました。
一番の不安は、無事に戻れたとしてこれまで通りのスピードと質で仕事ができるだろうか、ということでした。
4週間は短くもあり長くもあります。
これだけの期間仕事から離れ、かつ頭を手術した状態で、体力的にも能力的にも、自分に求められている業務をこなすことができるだろうか・・・
考えて答えが出るものでないことは分かっていたのですが、そんな不安がずっと頭にありました。
そんな中、マネージャーから
「頭を切るんだ。すぐ元通り動けるわけがないだろう。そんなのは当然承知している。とにかく無事に戻れ」
と言われました。
手術やその先のことに対する不安が大きく、なかなか冷静さを保てずにいた私には、この一言が本当に救いとなりました。
私は運よく上司や関わりのある他部署のマネージャー陣にとても恵まれており、直ぐ治療が必要という私の状況を全面的に理解してくれ、結果的に業務面でも様々な配慮をしてもらうことができました。
年齢的にもベテランの域に入ってきており、業務量もそれなりにあるため、1週間で全てを引き継ぐことは難しい状態でしたが、いち職員に過ぎない私の療養のために、様々な措置をしてくれたマネージャーたちには感謝しかありません。
完璧とはいかないまでも周囲の力を借りて業務の調整を行い、私は4週間の傷病休暇に入りました。
・保険等の準備
今回、病気の判明から入院までにあまり時間がなかったこと、そして自分の病状や入院、手術の事実を受け入れることで精一杯だったため、入院直前まで治療費のことが完全に頭から抜けていました。
大きな手術に加えて2週間の入院なので、当然医療費は高額になります。
入院すら初めてなので、こういう時のために用意されている制度については全くの無知でした。
今回、病院と職場の指示に従い『限度額適用認定証』を発行してもらいました。
医療費が高額となる場合、所得に応じて定められた一月の医療費の上限(自己負担限度額と言います)を超えた時に、その超えた分が後から払い戻される『高額医療費制度』という制度がありますが、これは後から払い戻されるため、一時的とは言え大きな出費が必要となります。
この時『限度額適用認定証』を保険証とともに医療機関に提出することで、医療機関での支払いが自己負担限度額までとなり、大きな出費を抑えることができるのです。
この『限度額適用認定証』は、勤務先に申請書を提出して発行してもらい、病院へ提出します。
病院から指定された期日には何とか間に合ったものの、動き出しが遅かったため結果的にギリギリの提出となってしまい、手術後で動けなかった私の代わりに、結局家族が病院の窓口まで行って提出してくれました・・・
『限度額適用認定証』は、入院の予定が決まった時点で早めにの発行準備をすることをお勧めします。
『限度額適用認定証』の他に、私は医療保険に加入していたため、その申請も同時進行で行いました。
これは保険会社によって異なると思いますが、私の場合は治療に要した医療費明細の提出のみだったため、比較的簡単に手続きが出来ました。
長く医療保険に加入していましたが、今回初めて利用することになり改めて備えあれば憂いなしを実感した次第です。
おかげでお金の心配をすることなく、治療に専念することができました。
Vol.4いよいよ手術へ に続きます。
続きも読んでもらえたら嬉しいです。
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