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ユア・ミロワール【夏ピリカ応募作】

――喉元に刃物を突き付けられた彼は怯えたように私を見る。
それだけで気分爽快だった。




今日も遅く帰ってきた夫は、あの女の香りを漂わせていた。
何も聞かず上着を拾い、ハンガーにかける。

結婚10年の記念日にと奮発した肉の脂が、皿の上で白く固まっていた。

「遅かったのね」
散々待たされた挙句に
「誰のおかげで飯が食えてるんだ」のひと言。
このご馳走を見ても何も気づかないのだなと呆れる。


夫に女の影が見えたのはいつだったろうか。
義母が急に倒れ、緊急事態なので会社に電話をする――彼の同期の男が出た。「旦那さんなら、2時間前に退社してますよ」

その日遅く夫は帰宅した。
「お義母さんの件で電話したんだけど」
「仕事中にかけてくるなよ、適当に処理しとけ。それくらい出来るだろ」
会社に電話した事は告げず、私は彼の携帯を盗み見る。

>いいなー!奥さん専業主婦なんだ
>それしか能のない女だからね
見知らぬ女と彼のやり取りに、目の前が暗くなった。


そんなことを思い出しながら、やるせない気持ちで鏡を覗きこむ。
生活に疲れた女の顔が映っていた。
能のない専業主婦、という言葉がよぎる。

「ねえ、随分と疲れてるじゃないの」
気付けば鏡の中の見知らぬ女に話しかけられる。
気の強そうな、だけどあか抜けていい女だった。年のころは私と同じ位か。
「そりゃ疲れもするわよ」
幻でも見てるんだろうか。私はため息と共に返事をすると
「ずいぶんヨレヨレのTシャツ着てるのね」と言われる。
鏡の中の女はパリッとしたシャツを着ていて、丁寧にメイクしている。急に恥ずかしくなった。

「どうせ誰も気づかないから」
「誰の人生なの?10年も頑張ってきたのに労いのひと言もないなんて信じられない」
「なんで知ってるの?」
「聞こえてたわよ。最低な旦那ね」
そう言われ、黙るしかなかった。

親に言っても我慢しろとしか言われない。
あの人を選んだのは私。
そんなの分ってる。

「悔しくないの?」
「悔しいわよ、バカみたい」
一生懸命頑張ってもバカにされて生きる。10年前に望んだ人生はこんなものじゃなかった。

「もうやだ、消えたい」
何もかも嫌になった。あの男の着た服なんか洗濯したくない。
「ね、一つスカッとしましょうよ」
鏡の女がいたずらを思い付いたような顔で私を見る。

彼女は私に耳打ちし、私はその案に乗ることにした。



私は重い裁ちバサミを手に夫の部屋に入った。
彼の眼はハサミにくぎ付けだ。
「何をする気だ」
恐怖に染まる声。
「今日は結婚記念日よ、知ってた?」
彼の喉に突き付ける。
「バカにするのもいい加減にして、もうあんたには用は無いわ」

ひらり、彼の目の前でハサミが舞う。




私は肩まであった髪をザックリと切り落とした。金魚のように口を開けながら、腰を抜かした夫が私を見ている。

すでに荷物はまとめてある。夫の知らない間に貯めたへそくりもある。
もうここには用はない。

「サヨナラ」

私はお気に入りの靴を履くと、後ろを見ずに扉を閉めた。

                ~FIN~
                        <本文1198文字>

あとがき>ピリカさんの夏ピリカグランプリに初めて応募します。
ユア=あなたの(英)
ミロワール=鏡(仏)のかけあわせで作られたユアミロワールという言葉は、お友達でもありお世話になっている外見戦略コンサルタントの林モニカさんの会社名です。

鏡の中の女は、林モニカさんをイメージして書きました。
このお題を見た時、このタイトルと中身が浮かんだのでそのまま文章にしています。

お楽しみいただけたら幸いです♪

番外編、書きました!
鏡の中の人の独白です。規定と同じ1200文字以内で書いてみたのでよろしければどうぞ♪


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