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【第一話】探偵は甘すぎる~固めプリンにJKクッキーを添えて~

【あらすじ】
「お父さんの浮気の証拠をつかんでほしいんです!」
朝日野あさひの探偵事務所は昭和の匂いのする雑居ビルの二階にひっそりと存在している。
そんな探偵事務所にやって来た訳アリ依頼人は、可憐な女子高生の吉津玲香よしづれいかだった。彼女の健気さに絆された探偵は、手作りクッキーで依頼を引き受けることに。
すでに二度目の成人式を終えた探偵朝日野譲治あさひのじょうじとその助手、月影静佳つきかげしずか
秀麗な見た目の探偵は拳で、筋肉マッチョな大男の助手は繊細な頭脳で、事件を解決してゆく。
難事件を解決した後は、スイーツが待っている!?
思わず甘いものが欲しくなる、美味しい探偵物語。

<依頼人=女子高生>

「お父さんが浮気してるんです」
桜が散り終えたばかりの、春なのか夏なのか危うい季節。殺風景な探偵事務所入口のカウンターに両手を付きながら、その場に似つかわしくないセーラー服姿の少女は、切り揃えたばかりだと思われる重たい前髪を揺らしながら、探偵に言い募った。
「浮気の証拠をつかんでほしいんです!」
慌てて駆けてきたのだろう。少女の額には薄らと汗が浮かんでいる。息を切らしながらまくし立てる少女を感情のない顔で一瞥すると、探偵は事務所の応接へと彼女を招き入れた。
「どうぞ」
いきなり飛び込んできた割に、声かけを待ってから腰掛けるくらいの礼儀正しさは持ち合わせているらしい。彼女は所々ほつれが見られる年季の入ったソファへと恐る恐る腰掛けた。
 
 
お世辞にも新しいとはいえない――恐らく昭和の時代に建てられたビルの入り口には金属のプレートに【朝日野ビルディング】と刻印されており、一階にはレトロな喫茶店がテナントとして入っている。
喫茶店の反対に当たる左側には入口があり、二階へ続く細く狭い階段を昇り切ると一番奥に重い木の扉があった。その扉を開ければそこが朝日野探偵事務所のカウンターだ。
探偵と思わしき人物は、坊ちゃん刈りに近いスタイルの黒髪を七三に分けていた。シワの無いスーツをピッチリと着こなしている、銀縁眼鏡が似合ういかにも有能そうな男だった。眼鏡の奥の切れ長の瞳は予想外に大きく、濃い睫毛に縁取られている。
ビル同様、事務所の応接室も綺麗とは言い難かったが、掃除は行き届いているようだった。塵一つ落ちてはいないし、木製の年季が入ったテーブルには磨き上げられた艶がある。

「暑かったでしょう?どうぞ」
優しい声に似つかわしくない大男が、水出しであろう鮮やかな新緑の冷えた茶を差し出す。彼と目が合って彼女は怯みそうになった。こんな人がいる事務所なんて堅気じゃないんじゃ?と一瞬焦るが、失礼だと思い直し顔に出さないよう頑張っていた。仕草は丁寧だし言葉遣いもソフトで、どちらかと言えば幾分中性的な雰囲気をまとっている所作と相まって、見た目のインパクトが強烈だった。
隆々とした体格は天井に届きそうな長身。スキンヘッドと色つきの眼鏡、肌は浅黒くてパッと見、国籍すら不明である。眼鏡の奥のつぶらな瞳が、辛うじて彼がアジア人であることを知らしめていた。

「まずはお話を聞かせてもらいましょうか。私は探偵の朝日野譲治あさひのじょうじ。彼は助手の月影静佳つきかげしずか
『月影静佳』と紹介された彼は少し恥ずかしそうに一礼した。悪い人ではなさそうだ。名前と見た目のギャップに少し驚くけれど。
「見た目は少々イカついけどいいヤツなんで、気にしないでくれ」
 探偵――朝日野は人の心を読んだように彼女に言い、一枚の紙を差し出した。
「こちらに記入してもらってもいいかな」
彼女が『調査票』と称された用紙に簡単に記入すると、探偵はそれを助手にも見せた。
吉津玲香よしづれいかちゃんね」
探偵は彼女の名を確認し、顔を上げた。目が合うと端正な瞳に吸い込まれそうになる。一体いくつなのだろうと玲香は思った。よく見ると数本だけ白髪はあるが、年齢不詳だ。
「まあ、当然そうだと思うんだけど。未成年だよね?」
「……はい」
高校二年生です、と玲香は恐る恐る告げた。未成年だとダメですかね?と黒目がちな瞳が不安に揺れる。
「ご両親の許可は――あるわけないか」
探偵はため息をつきながら独り言のように呟いた。銀縁の眼鏡がいかにも神経質に見えるが、応対を見る限りきちんとしていそうだった。
用心棒的な助手も頼りになりそうだし、このまま引き受けてはくれないかと玲香は祈る。何をするにも両親の許可がいる年齢である事は自分でも分かっていた。――早く大人になれたら良いのに。
「両親には内緒です。でも、母がこれ以上苦しむのを見たくなくて」
みるみるうちに黒目に涙が溜まっていく。滴が溢れないように上を向く、その姿がいじらしかった。
「大丈夫?」
助手がすかさずティッシュを差し出す。見た目よりも気が利くのねと玲香は失礼を承知で思った。彼女は勧められるがままにティッシュを二、三枚抜き取り涙を拭う。
「お母さんは毎日パートを掛け持ちしてなんとか生活しているのに、あいつは生活費も入れずに女と浮気してるんです」
毎日節約してしのいでいる状態だと彼女は訴えた。
学校の許可を得て放課後に賄い付きのアルバイトをしており、その金は半分家に入れ、半分は将来のために貯金しているのだそうだ。両親には貯金のことを内緒にしているが、本当に困ったときにはいつでも差し出すつもりらしい。
「お金ならあるんです!」
彼女の語気が強くなった。
「だから、動かぬ証拠をつかんであいつから養育費と慰謝料をもぎ取りたいんです。父の写真と女の写真ならあります」
と玲香は言い、朝日野に一枚の写真を見せた。素人が撮ったと推測されるが、その割に良く写っている。難点を言うならば、寄り添っていると断定するにはあまりにも女の側だけが積極的なようにに見えた。
四十代くらいのパッとしない中年男性の隣に、そぐわない華やかな女が写っている。水商売の女だろうか。二人の関係が特別であるかはそれだけでは正直わからない。ただ、ターゲットの顔が判る写真はいくらあっても有り過ぎるということは無かった。
「この写真自体に関して言えば証拠としてはあまりに弱いけど、お父さんの写真は他にもある?もしあるのなら尾行するのに必要だから見せてほしい」
「やっぱりこれじゃ弱いですかね」
玲香はまた涙ぐみながら言う。
彼女はすでに、法律事務所が定期的に開催している無料相談の場に赴いてこの写真を見せ、弁護士に相談したのだと告げた。まだ若いのに勇気のある行動だと、探偵は感心する。彼は普段、サイコパスを疑われるほど感情が動かない。他人に対してこれほど感心するのは珍しいことだった。
「だろうな。こんなのいくらでも言い逃れ出来るしな」
ところで――と朝日野は続けた。
「この写真を撮ったのは誰だい?玲香ちゃんが撮ったの?」
「はい」
「初めて撮った?」
彼女は無言で頷いた。探偵は先ほど感心したことなどおくびにも出さずに彼女が見せてきた携帯の画面を眺めている。
「良く撮れてるな。才能あるんじゃね?」
彼がニヤリと笑うと玲香は安心したように笑顔になった。

「まとめると、君はお父さんの浮気の証拠を掴みたい。それをお母さんに渡して、両親を離婚させる。それでオッケー?」
探偵が確認する。彼女が頷くと身分証明書の提示を促した。制服で近くの進学校の生徒だということは分かってはいたが、念のための確認だ。写真も名前も間違いなく目の前の吉津玲香と一致した。
「一応最初に説明しておくが、未成年が直接探偵に依頼することは出来ない」
探偵がバッサリと言う。
「しかし、法定代理人がいれば可能だ。両親か――信頼できる大人は身近にいないか?」
玲香が口ごもった。
「お母さんはダメなの?」
ずっと黙っていた助手が口を挟んできた。お盆の上にお茶のお代わりとプリンが載っている。駅前のコンビニのプリンだ。と玲香は思った。この間出てた新作のプリンパフェ、美味しそう。
「母は、お父さんも悪い人じゃ無いから、私が我慢すれば済む話だからって言うんです」
我慢の限界なのだろう、玲香が嗚咽し始めた。

「これ、良かったら。甘いものは好きかな?」
見かねて助手の月影が話しかける。
この大男は、一貫して丁寧な態度だ。ゆっくりと玲香の前にお茶のお代わりとプリンが並べられ、銀色のスプーンが差し出された。探偵がそれを恨めしそうに見ている気がするが、気のせいだろうか。
そんなことを玲香が考えていると、探偵の腹が勢い良く鳴り出した。青いくらいに白い肌がほんのり赤く染まる。クールな探偵もさすがに女子高生の前で恥じらいを覚えたようだ。その姿を見て玲香は鞄から花柄がプリントされたチャック袋を取り出した。
中に焼き菓子が入っている。
「これ、私が焼いたクッキーなんですけど良かったら」
半透明の袋から見えたクッキーを目にした瞬間、探偵の目の色が変わった。
「俺は甘いものにはうるさいんだ」
そう言いながら、探偵は彼女が差し出したクッキーを奪い取ると何も言わずに貪り食った。しばらく黙っていたかと思ったらおもむろに口を開く。

「ヨシ決めた、依頼料はこれでいいや」
「え?」
 玲香と探偵助手が同時に叫んだ。何を言うのだ、この男は。
「依頼が完了したら、また焼いてきてよ。クッキー」
「ええと、ジョー?何を言ってるの?」
 思わず素になって止めようとする助手を、朝日野探偵は黙って制した。
「どうせおまえも受ける気だったくせに」
 ぐっと言葉に詰まる助手。玲香はそんな二人を複雑な顔で見つめていた。


「うわ、どこの世界にいるのよ。クッキーで依頼を受ける探偵なんて!」
バカじゃ無いの?と捲したてながら腰までのストレートロングヘアをなびかせ探偵事務所にやってきた彼女は、朝日野譲治と月影静佳の同級生であり、腐れ縁ともいえる友人だった。
捜査一課の警部である花岡香恋はなおかかれんだ。
素顔でも百メートル先から判別が付きそうなハッキリとした目鼻立ちと、長い脚、メリハリのある体型は国際的に活躍するモデルのようだ。生まれつきの女王のような出で立ちである。身長も静佳よりは低いが、探偵よりも長身だった。
「道楽探偵はこれだから」
呆れついでに小馬鹿にしたように言うが、毎週この事務所にやってきては用も無いのに彼らとお喋りしている程度には仲は良さそうだ。
「香恋ちゃん――ジョーに言ってやってよ。いくらお金に困ってないからって、これじゃ良くないと思うんだよ」
助手の静佳が言いつけるようにぼやくとジョーと呼ばれた探偵は言った。
「あのクッキーが旨かったんだよ。しずかちゃんがオレのプリンを誰かさんに出しちゃったからさ、甘いのに飢えてたの」
事務所の冷蔵庫にも冷凍庫にもそれぞれスイーツのストックを欠かさないくせに、と香恋は呆れた。
自分の分のプリンを来客に出されたのを根に持っているらしいが、言い訳するにもほどがある。どうせその子に絆されたのだろう。素直じゃ無いなと思いながら、香恋は譲治に目をやった。
「その割に一口もくれなかったじゃん」
食い物の恨みは恐ろしいとばかりに静佳がぼやく。香恋はそんな二人を見て笑った。
「あんたたち、相変わらず甘党が過ぎるわね。糖尿には気をつけなさいよ」
「うるせえよ、花岡。おまえこそ通風に気をつけろ」
辛党で飲んべえの彼女を揶揄するように言うと同時に、香恋の携帯が鳴る。職場からの呼び出しらしい。
「はい、こちら花岡――了解。今すぐ向かいます!」
男女問わず惚れ惚れするような凜々しい口調で告げると、香恋は突風のように姿を消した。

結局あの後、吉津玲香には一応『契約書』という形で書類を作成して渡していた。
依頼に満足した場合に成功報酬として時給計算で請求する、という誓約書だ。クッキーで支払うなんて書面に書けるわけもない為、成功した場合は彼女の母親を依頼者として証拠と引き換えに慰謝料を支払ってもらう。(但し支払いは玲香だが)というのが一応の建前だった。
とはいえ実際に契約した本人は女子高生であり、未成年である。
法律上は契約自体が成立していないことは重々承知していた。悪意を持って先方が知らぬ存ぜぬを通してしまえば、調査料は受け取れない。もちろんそれを承知で譲治は玲香の依頼を引き受けた。依頼主にわざわざそんな亊は言わないが。
それはともかく今は体を使うような依頼は入っていない。良いタイミングで飛び込んで来た仕事だったので、絆されついでに引き受けた。効率よく動くため、譲治と玲香はラインで連絡を取り合っている。依頼を受けた後、父親の写真を大量に送ってもらっていた。それを助手と共有する。

「ねえ、まさかとは思うんだけどさ、玲香ちゃんとライン交換することが目的だったワケじゃあないよね?」
中学の頃からの親友にロリコンを疑われ、譲治はコーヒーを吹き出した。
「んな!」
そんな訳ねえだろうよ、と譲治は続けた。嫌そうな顔だ。
「俺たちもう四十だぞ。女子高生なんざションベン臭いガキだろ」
「玲香ちゃんは臭くないよ」
「そうじゃねえ!モノの言い方ってもんだ」
「そうなんだ。ジョーは賢いねえ」
助手の名誉のために言うと、けっして馬鹿にしているわけじゃ無い。だが端から聞いていると小馬鹿にしているようにしか聞こえない。
静佳の性格の良さとお育ちの良さを知らなければただのイヤミに聞こえるだろう。実際のところはただの天然発言なのだが、譲治は若干気を悪くした。おまけに先ほどむせて吹き出したコーヒーが気管に入って苦しい。
「でも、本当かなあ」
「おまえ!何年の付き合いだよ。信じろよ。駅前のコンビニのプリンの新作買ってきたけどやらねえぞ!」
「え?スフレプリンかな?信じる信じる!」

プリンに手のひらを返す助手に探偵が苦笑いする。甘いものにめっぽう弱い二人は、今日も冷蔵庫から出した新作プリンを試食しては、ああでも無いこうでも無いと評論し合っていた。


なんとも不思議な光景だが、これが朝日野探偵事務所の通常運行である。

第二話へ続く


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