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【最終話】探偵は甘すぎる~固めプリンにJKクッキーを添えて~ 

今までのお話


<JKは大ピンチ!>

「ジョー、僕は何だか嫌な予感がする」

譲治が梅田とやりとりしているのを横から聞いていた静佳が、検索ソフトを操作している。過去犯罪や前科などを資料としてファイルしている独自の管理ソフトだった。
パソコンの画面を譲治に見せると、二人は目配せをして黙ったまま事務所を飛び出す。
 
向かう先は、吉津君彦の自宅だった。
 
 
その日、吉津玲香は朝から気分が優れなかった。生理前はいつもこうだ。嫌になっちゃうと思いながら、彼女は鈍痛と闘っていた。学校が終わって夕方くらいまではなんとか耐えていたけど、バイト先に到着した段階で目眩がした。体が重い。
「玲香ちゃん、顔色悪いよ。大丈夫?」
憎からず想っている店長から尋ねられ、彼女はハッとした。心配させちゃダメだ。
「大丈夫……です」
いつもより小さな声だったのを聞きとがめられた。店長は首を横に振る。
「大丈夫じゃ無いよね、帰りなさい。君に何かあれば僕の責任なんだ」
「でも」
シフトに穴を開けたくない、という気持ちは強かった。
「フロアなら他の子に任せても回るから、大丈夫。ちょっと!」
店長は副店長を呼びつけた。しっかりしている先輩で、玲香も頼りにしている。
「オレ、玲香ちゃんを家まで送ってくるから任せて良いかな。すぐに戻るから」 
副店長も玲香の顔色を見て心配そうに頷いた。
「ひどい顔色、気持ち悪そうね。店は大丈夫だし送ってあげて」
「すみません」
申し訳なさと人の優しさに涙ぐみながらも、玲香の顔に脂汗が浮かんでいる。店長は彼女を引きずるように抱えて自宅へと連れ帰った。
 
店長に抱えられながら家に帰る道中、これが体調の良いときならと玲香は思っていた。
店長は二十代前半で大学を卒業したばかりだった。
身長も玲香より二十センチほど高く、韓国のアイドルのように柔和で整った顔をしている。バイト生の中でも人気で、こんな時で無かったなら恋人のように密着して役得だなと思った。
但し今はそんなことに構っている場合では無い。本気で気分が悪かった。アルバイト先のファミレスから自宅まで、いつもなら徒歩で十分くらいしか掛からないのに、今日は三倍くらい時間をかけてようやく到着する。
玲香が家の鍵を開けると店長も当然のように中に入って来たので少しドキドキしたが、ただ単にしっかり送り届けたかっただけらしく、玲香がベッドに横になった途端に彼はあっさり帰った。
「明日も無理しないようにゆっくり休んで。いつも玲香ちゃんは無理するからさ、とにかく寝ること!」
ダメだと思ったら救急車を呼ぶように、と念押しされて彼は立ち去る。

『なにあれ、カッコ良すぎなんだけど!』
 
玲香はそう言いながらベッドに潜り込む。しばらく店長のカッコ良さの余韻に浸っていたが、そのうちウトウトとし始めた。
 
 
玲香は夢を見ていた。店長と良い感じでデートしている。
玲香は彼の部屋へ呼ばれていた。きちんと片付けられた部屋で音楽を聴いている。BTSのリズミカルな音楽にノリながら、二人は密着していた。意外と男臭いというか、タバコ臭いのねと思う。店長は喫煙者じゃ無いのに不思議だった。
「店長、たばこ吸ってたんですか?」 
玲香が言い切る前に彼は彼女を押し倒した。体が密着する。
「店長、私まだ高校生だしこういうことは早いんじゃ無いかと!」
慌てる玲香の耳元に彼の荒い息が当たる。だんだん怖くなってきた。
「店長、止めてください!」
 
いつも頭の回転が速く、人に気配りの出来る店長がこんなことをするなんて、どうしたんだろう。
その時が来れば玲香だって嫌じゃないし、店長の事ならいずれは受け入れられる自信があった。でも、こんな感じで急に無理矢理のようにされるのは嫌だ。
「玲香、玲香がいけないんだ。オレというものがありながらあんなチャラい男に気を許して!」
耳元で聞こえる声が店長のものでは無いことに気づく。
のし掛かられて動けない玲香は息苦しくなって抵抗し、目を覚ました。
 
――誰?
自分の上にいる男は店長では無かった。狂ったように男は玲香の名を呼ぶ。彼女は硬直しながら男の顔を思い出そうとしているが、身に覚えが無かった。頭の中が空白になる。この男はどこの誰なのか。

「店長、助けて!」
ようやく声が出た。その瞬間男と目が合う。
悲鳴を上げそうになった玲香の口を男が手で塞いだ。着ていたシャツをまくり上げられ、下着をずらされた。抵抗して男を突き飛ばそうとするが、力が入らない。

そうこうしているうちに男が玲香の横っ面を張り飛ばした。口の中が切れ、頬が腫れる。鉄のような血の味が口いっぱいに広がった。痛みと怖さでどうしようもなくなり、涙がこぼれ落ちる。
「おとなしくしてたら直ぐに済むから」 
男が玲香の服を脱がせていく。恥ずかしいし嫌だったけど怖さには代えられなかった。と、そのとき突然玄関のチャイムが鳴った。
 
「吉津さん、お届け物です!」
大きな声で配達員が叫びながら、扉をガンガンとノックする。
こんな状況なのにずいぶん乱暴なドライバーだなと玲香は思っていた。他人事のようだ。男の気が逸れてくれたらと思ったが、インターフォンを無視して男が玲香の体に触れる。
「玲香ちゃん、可愛いよ」
服は一枚残らずに剥ぎ取られ、彼女はショーツ一枚を身に付けているだけの姿になった。
目が血走ってあらぬ方向を見ている男は、下半身丸裸になっている。極力股間は見ないように顔を背けた。

「吉津さん、居ませんか?」
インターフォンが鳴り続けていると男が「チッ」と舌打ちした。
一瞬迷ったようだったが結果、やはり配達員を無視して玲香に襲いかかろうとする。その瞬間だった。

「!?」
玲香が目を見開いて男の背後を凝視する。
そこには朝日野探偵がいて、素手で男の後頭部を殴りつけていた。一瞬男が動揺した瞬間に、彼は麻袋をかぶせて男の視界を消す。
鳩尾に拳を叩きつけると、ゴボッと音がして男が意識を失った。
階下に居た助手が警察を呼ぶ。

男が逃げないように視界を塞いだまま後ろ手と足首を布ガムテープでグルグル巻きに縛り上げると、警察が到着するまでの時間、二人は玲香に付き添ってくれた。
 
 
玲香が事情徴収をされている間、静佳は吉津君彦に連絡を入れていた。
先日交換した番号だ。
彼は娘の為に仕事を切り上げて飛んできた。息を切らせ青ざめた顔で玲香の元へ駆けつける。吉津は父親の顔をしていた。母親の雪子にも連絡を入れているが、これから警察に向かうとのことだった。

「玲香!」
青白い顔で君彦が叫び、娘の元へ駆け寄る。玲香は黙って下を向いていた。
「怖かったな、もう大丈夫だから」
父の呼ぶ声に応えず、黙っている彼女を君彦は労るように見ていた。
「お母さんも到着されたそうです」
婦警が玲香に言う、その声を受けて彼女が立ち上がろうとするところを譲治が一旦手で制し、婦警に何かを耳打ちした途端――婦警が下がった。

見知らぬ男に襲われたとなれば、普通は父より母親の近くにいたいだろう。だがその前に、二人には説明しておかなければならない事があった。
「玲香ちゃんと吉津に話があるんだ。ちょっとこの部屋を貸してほしい」
刑事に許可を得て、譲治は二人に向き合った。

「回りくどく言うのは性に合わねえから直球で言わせてもらう。吉津の奥さん、浮気してるぞ」
「え?」
「は?」
父と娘はそっくりな驚き方で反応した。

「玲香ちゃん、残念ながら浮気していたのは君のお母さんの方だよ」
 静佳が言うと二人にとある写真を見せた。母親と男が二人仲良く写っている。二人はラブホテルへと入っていた。
「え?この男って」
玲香の顔が青くなる。
「見覚えあるよね?」
玲香の全身が震え、前髪が揺れた。そんな、馬鹿なと呟く。
「誰なんだ?」
吉津が尋ねると、玲香が重い口を開いた。
「さっき……この人に襲われたの」
「玲香ちゃんを襲った男は、大瀧信也おおたきしんやといって、教職を未成年へのわいせつ行為でクビになってる。わいせつなんて軽い言葉で言っているけど、女子高生や女子中学生を妊娠させて、何人も中絶に追い込んでる鬼畜野郎だ」
玲香ちゃんだって、一歩間違えれば危ないところだったと説明すると、吉津君彦の顔が怒りに赤く染まった。
「なんで玲香がそんなクズ野郎に!」
「雪子さんと大瀧は同じ職場で働いてる。二人は不倫していて、大瀧は玲香ちゃんのことを一方的に知ってたんだ」
「マジか」
「マジだよ。そういえば最近女に絡まれてないか?」
「女?」
身に覚えが無いのに、やたらモテたりとかしていないか?と譲治が尋ねると彼は思い至ったようで目を見開いた。

「そういえば、駅で財布を落とした女の人がいて、拾った時にしつこく連絡先を聞かれた事があるよ。断ったけどどうしてもって言うから一度だけ近所の公園で会ったけど、それきりだ」
結果として、別れさせ屋の仕事は失敗していたらしい。
「連絡先もしつこく聞かれてなきゃ教えてないし、飲みに誘われたけど逃げてきた。オレには雪子も玲香もいるのに、知らない女と呑んでる暇があるなら少しでも早く家に帰りたいよ」
仕事は忙しいし、家の事も出来ていない。
そんな中で知らない女に無理矢理絡まれて迷惑していたと、彼は言った。

「って事らしいけど、玲香ちゃんどう思った?」
皮肉半分、優しさ半分の口調で譲治は尋ねた。
玲香は顔面蒼白になる。受け入れられないといった表情で、探偵と父親を交互に見た後で、再びつま先に視線を落とした。
見知らぬ男に襲われ、その男は自分の母と浮気をしていた。
何も知らない父親は無実の罪で陥れられようとしていたと聞かされて、動揺しないワケはない。
見えている世界が反転し、玲香の視界が暗くなった。

「吉津よ、家に金を入れてないって聞いたけど実際どうなのよ」
譲治が聞くと、一瞬間があって
「え?」
と口にした。間抜けな声だった。
「オレが、家に金を入れていない?」
「お母さんからはそう聞いてた」
玲香が恐る恐るといった感じで言った。
もはや父親を疑う気持ちは氷解したらしい。
「雪子がそう言っていたのか?」
意外な表情だった。玲香は頷く。
「昼飯代と小遣いと、合わせて五万円を家計から小遣いとしてもらってるけど、逆にそれ以外は全部家に入れてるけどなあ」
怒るワケでもなく不思議そうに君彦は言った。
普通なら怒っても良いところなのに、人が良いにもほどがある。
だろうな、と譲治と静佳は心の中で頷いた。そうなのだ、こいつは昔からこんなヤツだった。多分玲香ちゃんの育ちの良さは父親似だと思う。

数ヶ月彼の行動を追っていたが、外で金を使っている気配はないし、土日も全て仕事をしていた。ある意味彼はただのワーカーホリックだ。

「確かに雪子は金遣いも荒いし、彼女が結婚前に作った借金があるからパートを掛け持ちしたいと言っていたよ。だけど」
と吉津はため息をついた。
「夜に玲香を一人にするのは良くないと思って、夜は働かないで欲しいとお願いしてたんだ」
彼は雪子が夜に学習塾で働いていることを知らなかった。
彼女がパートを掛け持ちしなくても良いようにと、土日も家庭を顧みず働いていたからだ。金を入れておけば外には出ないだろうと思っていたが、忙しい分彼は家庭で何が起きているのかを把握出来ずにいた。
知らない間に雪子は勝手にパートを掛け持ちし、自分の借金返済と男に貢ぐために家計を切り崩した。

玲香は部活動に所属していない。奨学生なので授業料も免除されている。彼女がアルバイトで稼いだ金も、雪子が管理するという体で、家計の補填と男に流れていた。
まさか玲香がアルバイトの金を全て母親に渡さず、父親の身辺調査を探偵に依頼しようとしているとは夢にも思わなかったようだ。
雪子の誤算はそれだけに留まらず、愛人の大瀧が別れさせ屋を雇って雪子を離婚させようとしていたことも予想外だった。
雪子としては、稼いでくれる夫が居て気晴らしの愛人がいる。娘も母親に尽くしてくれる今の生活に、何の不満も不自由も無いので、逆に離婚する理由が無かった。玲香がどんなに雪子に離婚を勧めても彼女が頷かなかったのもそういった事情からだった。
 
「ああ、オレは父親失格だな」
働いて金を持って帰るだけじゃ、父親じゃ無いんだな。と、苦いものを噛み潰したような表情で吉津は背中を丸めた。
一瞬で十も二十も老けたように見えて痛々しい。
静佳はそんな吉津に同情の視線を向ける。愛する家族のために一所懸命やってきたのだろうに。これではあまりにもやりきれない。

四十過ぎて独身の静佳には子供は居ない。だが、可愛い姪っ子と甥っ子は居る。目に入れても痛くないと良く聞くが、それくらい可愛い子供たちだし、彼らのためには少々の痛い目も耐えられる。
だがそれほど愛する子供たちに疎まれてもなお、辛い労働に耐えられるだろうか。自分なら、とても無理だろうと思った。

「……ごめんなさい。お父さん」
ともすれば雑音に紛れてしまいそうなほど、薄く小さな声で玲香が謝る。彼女の双眸から涙がこぼれ落ちてきた。
「あたしがお父さんとお母さん二人の話を聞かないでお母さんの言うことだけを信じたから、こんな事になっちゃった。本当にごめんなさい」

父親の前で、腰を直角に近い角度で折り曲げて謝罪する。
そんな玲香を吉津は労るような瞳で見た。
「今日はもう疲れたろ?」
「仕事は?」
「娘のピンチだから抜けてきた。もう帰っていいってさ」
吉津は一緒に帰ろうと言い、頷く娘を支えながら警察を出る。
母親の事情徴収にはもう少し時間が掛かりそうだった。帰宅許可は取ったので、譲治と静佳はそのまま二人を署の出口まで見送る。

「吉津には色々と説明しなきゃいけないことがあるけど、今日はゆっくり玲香ちゃんを休ませてやれ」
「連絡くれて、ありがとう」
譲治の言葉に吉津は礼を言うと、二人は自宅へと戻っていった。
 
 
「お疲れ様~」
また非番で暇なのか、花岡香恋が探偵事務所の扉を開けて入ってくる。
男の力でもちょっと重たい扉を易々と開け、ドア上部に取り付けてあるベルが勢いよく鳴り響いた。
「久しぶりね」
そう言いながら、コンビニで売っている卵の黄身だけで作られた黄色いプリンを二つ渡す。
もちろん静佳と譲治二人の分だ。受け取ったプリンを急いで冷蔵庫に入れると、静佳は香恋の為にアメリカーノを淹れる。最近導入したおしゃれなコーヒーマシンで淹れたコーヒーがあまりに美味しいので、静佳も譲治も満足していた。きっと香恋も気に入ると思う。

「ありがと」
静佳からコーヒーを受け取った香恋は、おんぼろソファーにゆっくりと腰掛けた。
「この間の女子高生の事件、解決したんだって?」
彼女は興味深そうに静佳に話を振る。探偵は不在だった。
「あいつは?」
「ジョーなら出かけてるよ」
「あっそ。別にあいつはいなくても良いけど、せっかくの一人時間を邪魔したかな?」
香恋が気遣うように言う。彼女は静佳に対してはいつも優しい。
「いや、ちょうど書類仕事も一区切り付いたし大丈夫だよ」
相変わらず顔に似合わない柔らかい声で言うと、静佳は彼女に事の顛末を伝えた。
 
 「え、じゃあ吉津の奥さんがずっと、あの子達を騙して家計からお金盗ってたんだ」
「まあそうなるね」
「男に貢いでた金ってアレでしょ?ロリコンが高じて女子中高生たちを妊娠させたから、示談金で借金が嵩んでたんでしょ」
身も蓋もない言い方だが、間違ってはいない。
中高生大好きなロリコン男は、ターゲットをつけ回し、最初は良いように言って彼女たちを好きなように弄ぶが、彼女たちが成長してしまえば飽きて次のターゲットを探していた。
そうやってどんどん相手を変えた結果が今なのだ。

結局吉津雪子と付き合っていたのも、雪子から見せてもらった玲香の外見が大瀧の好みだったためだ。
上手いこと雪子を言葉巧みに丸め込み、一度だけ玲香の顔を拝んだ事があるのだと彼は供述していた。
雪子から金を搾り取りながらも、玲香に執着していた大瀧は彼女をストーキングしていたらしく、あの日もバイト先まで付き纏った挙げ句の果てに玲香を送り届けた店長に嫉妬して、無理矢理思いを遂げようとしたらしい。

あんなクズ男に一方的に目を付けられていたとは、さぞ恐ろしかったことだろう。
「一生若いままの女なんていないのにね。そもそもあいつだって三十五だっけ?立派な中年じゃん」
雪子には三十だと言っていた大瀧は、五歳ほどサバを読んでいた。

雪子の浮気と借金問題だけならまだしも、未成年の娘も巻き込んだとあっては夫婦関係の修復も困難だったようで、吉津夫妻は再構築を諦めて離婚することになり、雪子は慰謝料を精算した後で遠い親戚の家に世話になる事となった。介護の手が足りないらしい。
慰謝料と養育費は孫可愛さに母方の祖父母が一先ず立て替えたらしい。身内に一人だけの孫なので、玲香は愛されているようだった。
事件の後処理が終わったのちに事情を知った彼らから、困ったらお爺ちゃんとお婆ちゃんに頼りなさいね、としつこく言われたらしい。
 
「お爺ちゃん達泣いてた。あたしが早くお爺ちゃん達を頼っとけばあんなことにはならなかったのにね」
後日、父親と二人で暮らすために引越しをすることになった玲香が、三十センチ四方の大きな缶にギッシリと詰め込まれた手製のクッキーを手土産に事務所へ顔を出した際、反省したようにそう言っていた。

「自分一人で頑張るのって、良いことばかりじゃないんだね」
良い子でいると怒られはしないけど、何にも解決しないって分かったよ。と玲香は笑った。子供らしい素直な表情だった。
 
 
「そう言えば、調査代ってどうなったの」
香恋が興味丸出しで尋ねると、静佳は笑った。
「吉津君が、玲香ちゃんと一緒に来たときに払ってくれたんだけどさ」
朝日野探偵は珍しくギャラの支払いを固辞したのだが、吉津はしれっと玲香が作ってきたクッキーの缶の底に謝礼の封筒を忍ばせていた。

クッキーを食べ終わった後で、缶を捨てる直前に気付く。事務所を管理しているのが譲治だけならば、金が入っていたことにも気づかずにゴミに出してただろう。
ゴミの分別を任されている静佳が気づき、慌てて譲治へと知らせた。譲治が吉津に連絡すると彼は呆れたように笑っていた。
「もう食ったのか」
クッキーを受け取ってから、食べ終わるまでに三日とかかっていない。
 
「あんた達相変わらずね」
香恋も吉津同様に呆れている。
『三日かけて大事に食べたのだ』とは本人達の弁だが、見ている側としては一瞬にも近いスピードだ。
「そのうち糖尿になるわよ」
といつもの調子で信じらんないと眉をひそめる。
「ほとんどジョーが食べたんだ、僕は二割くらいしか食べてないよ」
静佳の言い訳に、香恋は依然として呆れっぱなしだった。
「いやいや二割でも普通のクッキー二箱くらいあるでしょうに」
しかもこの二人のことなので、他のスイーツは別腹扱いときている。
だからといって中年太りとは無縁の体型が羨ましい限りだった。不惑を超えているというのに、超人だろうか。
「ジョーのヤツ遅いわね。いつまで待たせる気かしら」
腹立ち紛れに彼女は言った。
「さあ。モロゾフで限定のプリンが出ているらしくて、それを買いに並んでるんだよね。って言うか、ジョーと約束してたの?」
静佳は尋ねた。いつもアポ無しなのに珍しいなと思う。
「約束?するわけ無いじゃない。なんであいつと約束なんかしなきゃいけないのよ」
「……そうだよね」
やはりアポ無しらしい。
深くは追求しないことにして、静佳は香恋にコーヒーのお代わりを出した。早く探偵が帰ってこないかなあと玄関に目をやる。
足音が鳴って、階段の軋む音が聞こえた。
 
 
結局香恋は二杯目のコーヒーを一気に飲み終わると探偵と入れ違いに帰った。またもや呼び出しの電話だった。非番でも警部殿は忙しいな、と静佳は同情している。
「お帰り」
ドアが開く音がした瞬間、反射的に彼は発する。
「ただいま。花岡に下で会ったよ。相変わらず忙しいヤツだな」
「そうだね。あ、プリン持ってきてくれたよ」
静佳はコンビニのプリンをマイセンの皿に移し、銀の匙を添える。プリンには少し濃いめのコーヒーが合うからと、エスプレッソメーカーをセットした。
 
「ジョーもプリン買ってきたんでしょ?」
「おう、そうだそうだ」
白い箱に詰められたプリンの上には、季節のフルーツがトッピングされている。静佳が果物の断面に見入ってうっとりとため息をつくのを譲治は満足そうに見た。それを冷蔵庫にしまいこむと、二人は小さめのマグに淹れたコーヒーで乾杯する。
 
 サラリーマンにとっては仕事終わりの一杯にあたるこの時間が、二人には何よりも重要だった。
この一杯の為に苦労して仕事をしていると言っても過言ではない。普段は忙しなく食べる癖がある譲治も、この時間だけはゆったりと味わうことにしていた。
コンビニプリンといえども侮れないと思いつつ、卵の黄身だけを使用していると謳っている黄色いプリンの中に、銀の重い匙を沈めてゆく。一瞬舌に冷たく、そして濃厚な卵の香りが鼻を通過していく。つるりと滑り落ちるタイプではなく、濃くて舌に引っかかるタイプのプリンだ。

「旨い!」
「美味しいねぇ」
コンビニのプリンも、デパ地下のプリンにも貴賤は無い。甘味は甘味であるがゆえに尊いのだ。
二人は満足した顔で空のプラ容器を眺めると、冷蔵庫に入れたガラス容器のプリンを取り出した。次はこちらも、心ゆくまで味わうつもりだ。

<完>

続きが気になる方に、ひかたかりんさんバージョンも。
繋がっておりますので是非♪


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