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テキトーorちゃんと?

自分の生まれ育った信州には多種多様な方言がある。
主に4つの地域に分けられるんだけど、高い山々に遮られたそれぞれの地域には、独特の風習や文化がある。

その中でも、自分の住む東信地域には、「なから」という言葉と文化が残っている。
今でも日常的に使われる方言の代表格だと思う。


若い時に現場で先輩によく言われた。
「ここ、なからにやっといて。」

この言葉が面白いのは、時と場所、状況とニュアンスによって、正反対に近い意味合いを持つという点。

なので、気をつけないと大変な目に遭う。
その言葉が発せられた瞬間、KY力が試される。
高度に空気を読むことが出来なければ、相手の期待に応えることは出来ない。

「ここ、なからにやっといて。」
という発言には、
「テキトーにやっといて。」と
「イイ感じにちゃんとやっといて。」
という、ある意味、両極端な意味が含まれる。

現場経験の浅い新人や未熟者にとってそれは、なんとも悩ましい葛藤を強いられる恐怖の瞬間なのだ。


特に職人の世界というものは、そういうことが多い。

今でこそ、誤解のないように、わかりやすく説明や指示をすることは当たり前になりつつあるけど、この世界ではそんなものは贅沢だ。
というよりも、逆に「怠け」として取られる。

「どういう意味ですか?」
なんて聞こうもんなら、
「見てわかんねぇか!」
と喝を入れられる。

単に、昔ながらの職人は、口下手で説明するのが苦手で、その上、説明することそのものがメンド臭いし、まどろっこしい…という側面もある。

でもこの話は、そんな単純なものではない。


「見て覚えろ!」
なんとも不親切極まりないこの育成法には、職人として生きていくための1番重要な心がけを身に付けさせるという、親方の不器用な親心が隠されている。

若く、未熟だった時には、その理不尽さに苦しんだ。
そのことがきっかけとなって、言葉で説明しにくい感覚や技術も、ちゃんと伝えられるような人になりたいと思った。
そのことが、こういった形で今につながっていたりもする。

ただ、改めて自分が育成する立場に立った今、「察する」ことの重要性が身に染みるようになった。


一流の職人というのは、ただ単に技術が優れているだけじゃない。
あらゆる情報や状況を察知して、限られた条件の中で、「なからに納める」ことが必要とされる。

それが出来ない職人は、どれだけ腕が良くても「半端者」として扱われる。

どれだけ深く、なおかつ広く、現場とそこに影響を及ぼす事柄を意識できるか?
それによって、求められる品質も仕上がりも変わってしまうから。


言葉で伝えられること、伝わること。
そこには限界がある。
どれだけ言葉を尽くしても、伝わらないものがある。
感じようとしない限り、感じ取れないものがある。

職人の世界には、依然としてそういうものが多くある。
でもだからといって、諦めることなく、言葉の可能性を高めていきたい。

何かそれが、自分に課せられた使命のように感じられてならない。


「見てわかんねぇか!テメェで考えろ!」
そのぶっきらぼうな言葉の裏には、
「自分の頭で考えて答えを出せ!
そして、自分で導き出した答えに責任を持て!
なおかつ、行動でそれを示して形にしろ!」
そんな無骨な親心が秘められている。

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