ぼくと彼女は二年記念日を迎える

 ぼくと彼女は二年記念日を迎える。ぼくには彼女がいる。彼女とは一昨年の春、首都圏の大学の放送サークルの懇親会で知り合った。たまたま同じテーブルになったのだ。彼女はお酒を飲めないから一杯目からソフトドリンクを注文していた。だからぼくは彼女のグラスが空になった時に「二杯目どうします?」と言って、お酒のメニュー表ではなくソフトドリンクのメニュー表を差し出した。

 彼女はぼくのこの気遣い(というほどのものではないが)に感動し、ぼくに好意を抱き、後日、ぼくをお茶に誘った。それからぼくらは横浜と下北沢と池袋でデートを重ねた。4度目のデートで井の頭公園へ行った時に、ぼくは間違って彼女に告白してしまい、彼女はそれを「待ってました」とばかりに受け入れた。──去る6月下旬の某日は、その日からちょうど2年が経った「二年記念日」だったわけである。

 2年前のあの懇親会は、某大手放送研究会の渉外担当者(当時)の秋本くんがお店を選んで企画したものだった。いま考えると、あの懇親会の会場となった居酒屋がふつうにタッチパネル注文形式の居酒屋だったら、ぼくが由梨にソフトドリンクのメニュー表を差し出すことはあり得なかったし、由梨がそれでぼくに好意を抱くこともあり得なかった。仮に由梨に「二杯目どうします?」とタッチパネルごと差し出すとしても、ぼくはわざわざソフトドリンクの画面に切り替えた上で差し出したりはしなかったと思う。手元にあったのが紙のメニュー表(ラミネート加工)だったからこそ、ぼくは相手に適したメニュー表をサッと差し出すことができたわけで、そう考えると、懇親会の会場をあの居酒屋に選んだ秋本くんはぼくらの「キューピッド」だと言って差し支えない。逆に、QRコード注文方式の居酒屋を選んでいたりしたら秋本くんは「デーモン」だった。

 合縁奇縁のおかしみに思いを馳せたところで、本題に移ります。去年の「一年記念日」の日は、お互いの学校帰りに吉祥寺の洋食屋さんで一緒に晩ご飯を食べた。しかし、大学4年生ともなると事情が違う。今年の「二年記念日」、ぼくは学校はあるがバイトがない日で、由梨は学校はないがバイトがある日だった。由梨のバイト先は横浜駅近くの商業ビルに入っているパン屋さんである。なので、ぼくらは由梨の退勤後に横浜で会うことにした。二年記念日の正式なお祝い(?)は週末にやるとして、二年記念日の当日も会うだけ会おうということになったのである。

 二年記念日当日。ぼくは3限で上がりなので、由梨との約束の時間まではまだだいぶ時間がある。図書館のAVルームで映画のDVDを観て時間を潰そうかと思ったが、ふと思い立ち、歌舞伎座の一幕見席へ行くことにした。夜の部の一幕目が『南総里見八犬伝 円塚山の場』(約30分)なのである。中村歌昇、中村種之助、中村児太郎、市川染五郎、尾上左近、中村橋之助、中村米吉、そして坂東巳之助という若手スター8名の競演舞台が800円なり。800円ですよ、800円!

 一幕見席のオンラインチケットサイトを確認したら空席があったので席を押さえ、3限後に東京メトロを乗り継いで歌舞伎座へ向かう。16時10分、東銀座駅到着。歌舞伎座前の絵看板をスマホで撮影したあと、一幕見席専用エレベーターに乗ってそのまま入場。トイレに行ったり、チラシを読み込んだりして開演を待つ。16時30分、開演を知らせる柝(拍子木の音)。……ここで『南総里見八犬伝』の感想を書きたいのはやまやまなのだが、読者のみなさまのことを考えて本日はやむなく割愛します。

入場前に撮影した『南総里見八犬伝』の絵看板(右端)

 さっきも書いたように『南総里見八犬伝 円塚山の場』は30分ぐらいの演目なので、階段を降りて歌舞伎座を出たのが17時過ぎ。ここから横浜へ向かっても由梨との集合時間まで余裕があるので、とりあえず、歌舞伎座の脇の「お土産処木挽町」と地下2階の「木挽町広場」でグッズを見物する。万年金欠大学生はもちろん何も買いません。

 さあ、横浜へ向かいますか。東京メトロ→東急東横線に乗車。『南総里見八犬伝』を800円(手数料含めると900円)で観れたのはよいのだが、ここから横浜までの交通費は馬鹿にならない出費だ。まあ、二年記念日だからよしとするか。18時20分、東急横浜駅到着。有隣堂横浜駅西口ジョイナス店で気になる本を物色し、時間を確かめると由梨との集合時間の5分前! 集合場所(由梨のバイト先のパン屋さんが入っている商業ビルの1階)へ急いで向かう。由梨の姿を探したがまだ来ていないようなのでしばらく待つ。5分後、由梨がぼくの前にヒュッと姿を現した。初めてのデートの時からそうなのだが、このひとは突然ヒュッと姿を現すのが得意なのだ。

 今日は二年記念日当日だが、「会うだけ会う」だけの日である。といっても、晩ご飯は一緒にいただきます。由梨が「なんとなくカレーを食べたい気分」と言うので、東口地下街の上等カレー横浜ポルタ店へ行くことに。向かっている途中、由梨から「ここに来る前は何してたの?」と聞かれたので、ぼくは歌舞伎座六月大歌舞伎『南総里見八犬伝 円塚山の場』の感想を興奮まじりに伝えた。由梨はぼくの話を楽しそうに聞いてくれていたが、「染五郎さんが出ているならわたしも観たかったなあ」と漏らしたので、彼女のバイト中に自分一人で歌舞伎を楽しんじゃったことにぼくは罪悪感を覚えた。いや、別に由梨は大の染五郎ファンってわけでもないし、そもそもそこまで歌舞伎が好きなわけでもないはずですけどね。

 上等カレー横浜ポルタ店では、「今日もお店に中学生カップルが来た」とか「ぼくは昨日渋谷で外国人に道案内した」とかいう話題で盛り上がった。それから、「今日は二年記念日だね」という話題にもなった。ぼくが「月日が経つのは早いね」と言うと、由梨は「早いと言えば早いけど……充実の2年間だったよ。もっと前から付き合っているように感じるもん。2年間でこれなら、10年後、20年後にはどうなってるんだろうね」と笑みを浮かべた。ぼくも相手に合わせて一応微笑み返しておいたが、うーん……ぼくは実はゲイなんです。ぼくはその期待には応えられそうにない。

 その週末の日曜、ぼくと由梨はJR蒲田駅のホームで待ち合わせ、JR京浜東北線→中央線に乗ってまずは新宿へ行った。サブウェイ新宿東口店で昼食を済ませたあと、新宿ピカデリーで『九十歳。何がめでたい』を観た。事前に由梨から「何か観たい映画ある?」と聞かれたので、「由梨が観たい映画はないの?」としつこく確認した上でぼくがリクエストした映画である。ぼくらが一緒に邦画を観に行くのも久しぶりなら、ぼくがリクエストした映画を一緒に観に行くのも久しぶりだ(例によって映画の感想はここではやむなく割愛します)。それからディズニーフラッグシップ東京と紀伊國屋書店新宿本店へ寄って、教育本コーナーでぼくは由梨から「(ぼくの下の名前)くんは学校の先生が向いていると思うけどね」と言われたりした。大学4年の6月になっていまさらそんなこと言われても遅いんですが……

 それからぼくらはまたJR中央線に乗って吉祥寺へ移動した。アーケード街をうろついたあと、由梨に連れられて駅前の通りにある洋服屋さんへ入る。2階の売場に上がって、由梨の洋服選びに無表情で付き合っていると、店員さんが由梨に「この服はお洒落でおすすめですよ」的なことを話しかけ、由梨に試着を促してきた。「じゃあ試着してくる」と言って由梨が試着室へ消えたので、ぼくが気まずさを覚えながらそこのフロアをウロウロしていると、少し遠くに男女ペアのお客さんがいるのが目に入った。年齢は30代前半ぐらい、おそらくは夫婦であろう。

 冷え切った感じでもなければベタベタしている感じでもない。「一緒にいるのがふつうだから一緒にいる」みたいな感じ。ぼくはなんとなくその夫婦に見入ってしまった。おかしな話だが、その夫婦の姿がまるでぼくと由梨の十数年後の姿のように思えてしまったのだ。こんなことは初めてだった。ぼくは男子にしか惹かれたことがなく、いま現在も、放送研究会の後輩の深田という男子に片想いしている(ここ最近は全然会えていないが)。ぼくが30代ぐらいになって、誰かとパートナーシップを結んでいるとしたら、その相手は間違いなく男性のはずなのだ(できれば深田で頼む!)。

 由梨が試着室から出てきた。服を買うことにしたらしい。ぼくとのデートで洋服屋さんに寄る時、由梨は結局何も買わないでお店を出ることも多いのだが、この日は店員さんのセールストーク+試着商法(?)に乗せられてしまったようだ。お会計の時、ぼくが「お金大丈夫? もし足りなかったら立て替えるよ」と言ったら、由梨から「(ぼくの下の名前)くんにお金借りるぐらいなら最初から買わないよ」と言い返されたが、これって馬鹿にされてるんでしょうか?

 そのあと、ぼくらは裏の通りにある洋食屋さんで晩ご飯を食べた。二年前、ぼくらが正式に付き合うことになる日、告白の前に一緒に来たお店である。ここでオムライスを食べて、井の頭公園へ行って、ベンチに座って、そしてぼくは由梨に告白したのだった。それもあって由梨はこの洋食屋さんをぼくらの思い出のお店(聖地?)と認識しているらしく、去年の一年記念日にもぼくらはこのお店でオムライスを食べた。この分だと、ぼくらは「○年記念日」の度にここへ来ることになりそうである……っておいおい、まるでぼくと由梨の交際が末永く続くかのような発想はやめろ!

 お店を出て井の頭公園へ。暗くなっている公園の中を散歩しながら、2週間前に18歳の誕生日を迎えた孝彦くん(由梨の弟)の話題で盛り上がる。7月にぼくは由梨のご実家にまたお邪魔して孝彦くんと会う予定になっているので、その時にぼくは一月遅れの誕生日プレゼントを直接手渡すつもりである。実はこのnoteを書いている時点でまだ誕生日プレゼントは買っていなくて、何にすればいいか悩んでいる最中なのだが、その話は長くなるのでやっぱり割愛します。

 井の頭公園を歩きながら由梨が「ベンチに座る?」と聞いてきたので、ぼくは「あ、座る」と即答する。なにぶん疲れやすい体質なものでね……(本当か?)。そのベンチはたぶん二年前に座ったのとは違うベンチだったが、シチュエーション的になんとなく二年前のあの日を思い出した。あれから二年かあ。二年が経ったのかあ。この二年間、お互いに色々あったよな。色々なことがありすぎて「色々なことがあった」としか表現できない。二年間という歳月の重みをひしひしと感じる。

 6月の夜。吉祥寺。井の頭公園のベンチ。ぼくと由梨。二年前のあの日と同じシチュエーションだ。──もし二年前のあの時に戻ったとしたら、ぼくはまた由梨に告白するだろうか。それとも、今度こそは「実はぼくはゲイなんです」と告げるだろうか。

 たぶんだけど、ぼくはまた由梨に告白すると思う。それは、「由梨と付き合わない2年間」よりも「由梨と付き合う2年間」のほうが楽しくなると知っているからだ。由梨と付き合ったせいで失われたものもあるが(例えば男子と付き合えていないとか)、だが、実際にはぼくは男子と浮気しようと思えばできたわけで、「ゲイだけど由梨とだけ付き合い続ける」という道を選んだのはぼく自身だ。なんだかんだ言って由梨と付き合い続けるのが「楽」だからその道を選んだのだ。

 ベンチに座ってしばらく雑談したのち、時計を見たら午後8時すぎ。交際3年目カップルは月日が経つのも早いが時間が過ぎるのも早いのです。由梨から「帰る?」と聞かれた時、ぼくはこの「帰る?」というのが「ホテル(具体的にはラフェスタ吉祥寺)に泊まっていく?」という意味だというのが分かったが、ぼくはそれには気付かないふりをして「帰ろう帰ろう。小手家の門限を破るわけにはいかない」と由梨の肩に手を置いた。ただ、ホテルに行く代わりと言っちゃあなんだが、二人で揃ってベンチから立ち上がった時、その場でキスだけはしてあげましたけどね。もし先月下旬の日曜日の晩、あなたが井の頭公園のベンチの前で立ってキスしているカップルを目撃していたとしたら、そのカップルはほぼ間違いなくぼくらです(あたりにひとはいなかったので目撃されてはいないはずですがね……)

 JR中央線→京浜東北線で帰宅の途につく。電車が大森を過ぎてそろそろ蒲田(ぼくの地元)に着くという時、今日が二年記念日記念のデートであったことを思い出したぼくが「では……これからもよろしく」と言うと、由梨は「うん、よろしく!」と軽やかに返してきた。……いや、ぼくとしては3年目以降もよろしく頼むぜ的な重大(?)な意味を込めて「これからも」と言ったつもりなんだがなあ……。「トイレ行くんならその荷物預かっておこうか?」「うん、よろしく!」みたいなノリで「うん、よろしく!」って言われちゃったよ。まあ、いいか。

 ぼくと彼女は二年記念日を迎える。「ぼくと彼女は一年記念日を迎える」という記事を書いてから一年(以上)が経ったということで、やっぱりぼくは月日が経つのは早いと言わざるを得ない。ただ、この一年の間にも色々なことがあって、ぼくと由梨の関係に限って言っても、由梨が言うように「充実」の期間だったと思う。

 さて、3年目はどうなることやら……。「ゲイであることを彼女に隠している男子」と「彼氏がゲイであることに気付いていない女子」のカップルがこんなに長続きするなんて、いちばんびっくりしているのはぼくだったりします。いまから2年ちょっと前にタイムスリップして、首都圏の大学の放送サークルの懇親会に向かう途中のぼくに「これからきみは女子と付き合うことになるんだぜ」と告げたら、きっと「なんでだよ! ぼくは爽やかな高身長のイケメンと付き合いたいのに!」と反発されることだろう。でもね、2年前のぼく。きみがこれから付き合うことになる女子は、決して悪いやつじゃないぜ。それどころか意外に相性がよかったりするよ。

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