ぼくは外国人一家を渋谷ハチ公前に連れて行く
ぼくは他人から道を尋ねられやすい。「あのう、すいません。○×ってどこですか?」と声をかけられることが定期的にある。自分の地元(大田区蒲田近辺)でも尋ねられるし、初めて行ったような場所でも尋ねられる。ぼくは今月も3人のひとから道を尋ねられた。しかも全員、明らかに外国から来たっぽいひとだった。そう。ぼくは道を尋ねられやすいし、特に外国のひとから道を尋ねられやすい体質なのである。
先週のことである。平日の夕方、ぼくは大学の帰りに一人でシネマヴェーラ渋谷(名画座)へ行って、F・W・ムルナウ監督の『ファントム』という映画を観た。1922年、いまから一世紀以上前に公開された映画だ。まあ、その話はいいとして(ここで感想なんて書き始めたらまた長文になる)、その帰り道、ぼくは4月にリニューアルオープンしたというSHIBUYA TSUTAYAに寄った。ぼくは最近は渋谷にあまり行かなくなったので、リニューアルオープン後のSHIBUYA TSUTAYAにはまだ行っていなかったのだ。
各階のフロア展開が気になって館内掲示板を眺めていたら、中南米っぽい雰囲気の外国人の家族から英語で声をかけられた。40代ぐらいのお父さんとお母さん、10代前半ぐらいの男の子の3人組である。断定はできないが、十中八九「日本に観光に来た外国人の家族」であろう。まあ、「お父さんとお母さんと息子」ではなく「叔父さんと叔母さんと甥っ子」または「伯父さんと伯母さんと甥っ子」の可能性もあるが(……なんて話を始めるからぼくのnoteはいつも長文になるのである!)
ぼくは英語が得意ではない。そもそも人見知りである。だから、見ず知らずの他人から英語で話しかけられると焦ってしまう。その外国人一家のお父さんがぼくに向かって「Where is ハチ? ハチ?」と言ってきたのは聞き取れたが、ぼくは気が動転して、「……8? ……エイト? ……渋谷八丁目?」などと聞き返すのが精いっぱいだった。
そうしたら、その外国人一家のお父さんはぼくにスマホの画面を見せてきて、「ハチ! ハチ!」と連呼した。スマホを覗き込むと、英語版Wikipediaの「忠犬ハチ公」のページである。忠犬ハチ公の銅像の写真が映し出されている。「……オー、ハチ公! ハチ公のことですか!」。初めて知ったんですが、外国の方は忠犬ハチ公のことを「ハチ」って呼ぶんですね。ぼくには想像もつきませんでした。
「アー……ゴー・トゥ・ハチ? ドゥー・ユー・ウォント・ハチ?」とカタコト英語で尋ねたところ、その外国人一家のお父さんは「ハチ公の銅像はどこにあるのか教えてほしい」的なことを言ってきた。……うーん、ぼくの語学力では「そこのスクランブル交差点を渡ってすぐのところにあります」と英語で説明するのが面倒くさい。ぼくはどうせこれからJR渋谷駅の改札から帰宅するところなので、実際に同行して道案内することにした。「……OK, I will guide you. Let's go.」。ぼくだってこれぐらいの英会話はできる。
外国人一家のお父さんとお母さんは笑顔で「Oh, Oh! Thank you!」と言ってきたが、ぼくの英語力が薄弱であることを見抜いたのか、積極的にぼくに話しかけようとはしてこなかった。目的地まで案内するほどのホスピタリティは求めていなかったのかもしれないし、「なんか変な日本人に道を尋ねちゃったな」と悔やんでいたのかもしれない。
とはいえ、ぼくとしては無言でいるのが気まずかったので、スクランブル交差点を渡る時、「アー……Where do you from? What country?」と話しかけてみた。そうしたら、その外国人一家のお父さんは「Rio de Janeiro! Brazil!」と教えてくれた。はあ、ブラジルのリオデジャネイロですか。ずいぶんと遠いところから来たもんだ。ぼくは必死に頭を働かせ、「オー、Brazil and Japan! Side to side!」と言葉を紡いだ。一応、ぼく的には「地球の反対側から遠路はるばるようこそ」的なことを言ったつもりである。
誤解を恐れずに言えば、この一家の男の子がめちゃくちゃかわいかった。ここまで一言も言葉を発していなかったが、賢そうで、内気な感じで、美少年だった。スクランブル交差点を渡る途中、ぼくが「Sorry, my poor english.(英語が下手でごめんなさい)」と冗談を言うと、その外国人一家のお父さんとお母さんは笑ってくれたが、息子さんは無反応だった。いま考えると怯えているような表情だったかもしれない。まあ、たしかに、初対面の謎の日本人にどこかへ連行されている最中だからな。カタコト英語の軽口に愛想笑いする余裕がないのは当然だろう。
スクランブル交差点を渡り切り、ぼくは「This is ハチ公! 忠犬ハチ!」と指をさしながら、外国人一家を忠犬ハチ公の銅像の真ん前へ連れて行く。外国人一家のお父さんとお母さんは、銅像を見て「Oh, Hachi!」などと声に出して感動していた。本来ならぼくはここで「See you! Have a nice day!」と爽やかにその場を立ち去るべきだったのだろうが、ここでぼくのコミュ障なくせにお節介な一面が露わとなる。ぼくはその外国人一家のお父さんが手に持っているスマホを指さし、「Take a picture? Family photo?(家族写真を撮ってあげましょうか?)」と提案したのである。
外国人一家のお父さんは一瞬固まったが、「ハチ公の銅像をバックに家族写真を撮ってあげよう」的なことを言われたことを察すると、「Oh…, thank you!」と言って、スマホをカメラ画面に切り替えたのち、ぼくにスマホを手渡した。いま考えれば、つい1~2分前(数十秒前?)に出会ったばかりの外国人にスマホをまるごと手渡すってだいぶ危険な行為である。
でも、その外国人一家のお父さんは手渡してくれた。ぼくはスマホを受け取ると、「1, 2, 3… Picture!」と言って、ハチ公の銅像の前で外国人一家の集合写真を撮った。「はい、チーズ!」の英語版が分からなかったので適当にでっち上げた掛け声である。その時も男の子はやはり怯えたような表情のままだった。午後7時前、あたりは真っ暗というわけではないがちょうどハチ公前のあたりが影になっていて、撮影した写真を見ると外国人一家の顔が暗がりに溶け込んでしまっている。ああ、フラッシュ撮影にすべきだった! ぼくは自らの至らなさを後悔しつつも、だからといって写真を撮り直すのは行き過ぎた行為のように思えたし、「暗いせいでみなさんの顔がしっかり写っていなかったので改めてフラッシュ撮影させてください」という英文が思い浮かばなかったので、そのままスマホを返却した。外国人一家のお父さんは自分のスマホが手元に戻ってきてホッとしている様子だった。
その外国人一家のお父さんとお母さんから「アリガトウ!」「Obrigado!」と言われたので、ぼくは「あっ……You're welcome.」と返す。ずっと無表情だった男の子がちょっとだけ笑顔になっているのを見届けると、ぼくは「See you…」と言って彼らに背を向け、JR渋谷駅の改札へ向かっていった。束の間の異文化交流の終幕である。
ブラジルからやってきた外国人一家を、ぼくはお望み通りに忠犬ハチ公の銅像の前へ連れて行くことができた。きっと今頃、あの外国人一家は「あの青年は好青年だったな!」「日本人はおもてなしの精神に溢れてるわね!」「ぼく日本に来てよかったよ!」などと盛り上がっていることだろう。自動改札機を通過し、JR山手線のホームへ上る。ぼくは「いいことしたぜ」と満足感を抱きつつも、しかし、早くも自責の念に駆られていた。……ああ、なぜぼくはフラッシュ撮影をしてあげなかったんだろう。シャッターを押す時の「1, 2, 3… Picture!」って掛け声は相手に通じたんだろうか。スクランブル交差点を渡る時にもっと楽しい会話ができたはずでは……
次の日。ぼくと由梨(彼女)は交際二年を記念し(?)、上等カレー横浜ポルタ店で一緒に晩ご飯を食べた。……念のために言っておくと、これはこの日の午後、由梨にバイト(横浜のパン屋さん)があったからだ。二年記念日なんだから会うだけ会おうという話になって、由梨の退勤後に会うだけ会ったのである。ちゃんとしたディナー……って言うと上等カレー横浜ポルタ店に失礼ですけど、二年記念日をお祝いする正式なディナーは、その週末に吉祥寺のぼくらの思い出のお店でいただきました。
上等カレー横浜ポルタ店でチーズカレーを食べながら、ぼくは由梨に「昨日渋谷で外国人一家を忠犬ハチ公の銅像に案内した」という話をした。「写真を撮る時にフラッシュ撮影をすればよかった」とか「スクランブル交差点を渡る時に楽しい会話ができなかった」とかいう話もした。
由梨は「すごいじゃん! その家族にとっていい思い出になったと思うよ」と昨日のぼくを褒め称える一方、「フラッシュ撮影をすればよかった」と嘆く今日のぼくに対しては説教してきた。「100点を取れなかったことを引きずるのはよくない。誰かに『1点』でも与えられたならそれはすごいことなんだよ」と言う。ぼくは「100点を取れたかどうか」ではなく「最低合格点を取れたかどうか」を気にしていたのだが、まあ、いずれにせよ、バイト終わりにカレーを食べながらこういう励ましの言葉をさらっと言える由梨はすごいと思う。おかげでぼくは自己肯定感が上がった。
ただなあ。あれから一週間以上が経ち、やはりぼくは「自分の道案内は不適切だったのではないか」と考えてしまう。だって、あの外国人一家のお父さんはぼくに「ハチ公の銅像はどこにあるのか」と聞いてきただけで、「いますぐハチ公の銅像の前に行きたい」と要求してきたわけではない。本当はあとで行くつもりだったのかもしれない。それなのにぼくに「I will guide you.」とか言われて強制的に連れて行かれたのだとしたら、それはありがた迷惑というやつである。写真撮影時の「1, 2, 3… Picture!」という掛け声にも戸惑っただろうし、撮られた写真が暗い写真であったことにも残念な気持ちを抱いただろう。なにより、カタコトの英語しかしゃべれない日本人に道案内をさせたことに申し訳なさを感じさせてしまったとしたら、こちらこそ逆に申し訳ない。
ちなみに、写真撮影時の掛け声についてですが、「はい、チーズ!」の英語版はそのまま「Say, cheese!」でよいのだそうです。この前、香川(学科の友人)とお昼ご飯を食べた時にこの話をして、香川がその場で調べてくれました。つまり、「1, 2, 3… Picture!」なんて掛け声は意味不明もいいところだったわけ。香川からは「『1, 2, 3…』じゃなくて『3, 2, 1…』って言うべきだったんじゃね? カウントダウンだったら通じたはず」と言われたけど、ぼくはそういうことじゃないと思います。
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