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19歳が考える「幸せとは何か?」

「幸せなのが、結局一番だよね。」
「それって、お前が幸せって思うかどうかじゃない?」
昔から誰かに悩みを相談するたびに言われてきた。
その度になんとなく納得したような気にはなるものの、どこか掴みどころがなく、もどかしい思いを幾度となく経験してきた。

「幸せなのが一番って言うけど、あなたにとっての「幸せ」ってなんですか?」

こんな質問返しを食らわせれば、グーパンが飛んでくると思ったので、口には出さなかったが、ずっと心の中では感じていた。

みんな「幸せ」って言葉に逃げているだけだと僕は思う。
確かに、「幸せ」になれっていうアドバイスは全く間違っていない。
でも、それって一種の思考放棄じゃない?

言うまでもないが、「それって、お前が幸せって思うかどうかじゃない?」って言われて「そっか僕が何を『幸せ』と感じるかが重要なんだ!」って思えるほど「幸せ」は単純明快なものではない。
少なくとも僕にとっては。
自分のライフステージ、住んでいる場所、関わっている人、全部の変数にまたがって幸せは変わってくる。

ぶっちゃけると、「幸せ」なんか本当はないんじゃないかな。
少なくとも、みんなが求める「幸せ」は共通のようでいて全く違うものだと思う。
みんなあたかも幸せっていうものがみんなの中に当然存在しているかのように語るけど。

僕にアドバイスをしてくれた人の「幸せ」も人によって全然違うと思う。

ここでは、幸せって人によって多種多様だよね、とかそういうことを言いたいんじゃない。

こんなに曖昧な「幸せ」を形あるもの、言語化できるものと信じて思考を始めるのがそもそも間違いなんじゃないの、ってことだ。

僕は「幸せ」を得ようと必死で、どうすれば「幸せ」になれるのかをずっと考えてきた。
今までの人生、ずうっとレールの上に乗ってきた僕にとって、幸せは外にあるもので、そのレールの中で結果を残せば形として手に入るものだと思い込んでいた。
いい高校、いい大学、いい会社に入れば幸せは手に入るものだとずっと信じ込まされてきた。

幸せは社会が用意してくれて、レールに乗っていけばいつか必ずついてくるものだって。

ずっと信じていた。けど、全然幸せだと思えなくて。

まだ頑張れてないだけだって思って必死に得ようと頑張ったけど、幸せを感じられない焦燥感だけ募っていった。

でも、久しぶりに中学の時の友達に会ったとき、そいつが嬉しそうに今自分がやってることを話してきて。
他愛もない話だったけど、超楽しそうで。
斜に構えてしまいがちな僕じゃとても真似できない無垢な感じでいろんなことを語ってきた。
正直嫉妬した。

話を聞いてるうちに、あーなんかこういうことかなーって思って。

「幸せ」は得られるものじゃない。
「幸せ」は見つけるもの。
自分の先に見つめて、求めるものじゃなくて
自分の今を見つめて、見つけるもの。
「幸せ」なんてないかもしれない。
少なくとも不変の通念として存在するものかはわからないし、偶像かもしれないけど、
今の自分に満足できてればそれでよくて。
決して社会とか他人と自分を比べて生きようとしてはいけなくて。

「幸せ」なんてたいそうなことではないけど、
今の自分を力を抜いて振り返ったときに
いいな、って思える。

最高かはわからないけど、悪くないな、って思える。

それで十分かな、って。

外側の不確定な「幸せ」のために、現在を犠牲にして、未来に投資し続けてきた僕にとって、彼との会話は内側の確実な「自分」に目を向けるとても良い機会だった。


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