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2-2 「見えない世界」をお忘れですか?大学時代前編

 小学生まで好きだった「見えない世界」との繋がりを断ち、部活もせず、中学・高校の六年間をほぼ勉強(と友達とのおしゃべり)に捧げた私は、高校三年生の秋、志望校を某H大学農学部に絞った。小学生の頃に北海道へ旅行に行って以来、「絶対ここに戻ってきたい」と思うほど北海道が気に入り、「哺乳動物を中心とするけれど、植物も含めて生態系全体のことを勉強したい」と農学部を志望し、「単科大学より、総合大学のほうが色々な人がいて面白そう」と思ったため、自然とH大学農学部に絞られてしまったのだ。

 私は今でも何か学ぶことが好きだが、学校の勉強が心底好きだったわけでもない。興味のある分野が、結構限られているためだ。しかし、学校の勉強は「努力が報われる」点が良かった。しっかり勉強すれば、それなりに成績が伸びた。褒められもした。私は根っからの努力家タイプで、それを人から認められ、褒められたいという欲求を持っている(←後に知った自分の性格)。大人になるつれ、「努力をしても報われないことがある。褒められるわけでもない」経験が増えていき、初めての子育てで、その努力家の鼻はすっかりへし折られることになるわけだが、それはまた別の章で。

 ともかく、センター試験で若干失敗し(雪が降って、駅まで送ってくれた家族の車がスピンこいて死ぬかと思った)、二次の前期試験は数学が全く解けなくて大敗したものの、得意の理科だけで勝負できた後期試験でかろうじて引っかかり、私は無事に志望のH大学農学部へ進学することができた。


 大学は楽しかった(数学や統計学以外は)。今でも、「今までの人生で一番青春してて楽しかった時は?」と聞かれたら、「大学時代」と答えるだろう。サークルに、アルバイトに、研究に、明け暮れていた。私はすっかり「見えない世界」のことを忘れ、「魔法使いになりたい」夢があったことも思い出さず、「科学は素晴らしい。科学こそが全て」と言わんばかりに傾倒していった。

 ただ、小学生からそれまで取り繕って誤魔化していたコミュニケーション能力の低さが時々露呈し、人間関係に悩むことがあった。一番ひどかったのが、大学二年から四年生にかけてだった(私は大学院修士課程まで行っているので、計六年間大学にいた)。私は割と誰とでも挨拶など世間話くらいまではできるが、一緒に出掛けたりするなど積極的付き合いをするのは、波長が合う人でなくてはできない。その「波長が合う」ストライクゾーンが、かーなーり、狭いのだ。ある意味、世間一般で「普通」と呼ばれる人とは、得てしてそこまで深い仲になれない。一年生の一般教養の時には気の合う(誤解を恐れずに言えば、変な)友人に恵まれたが、二年生でそれぞれ専門の学科に分かれた時、気の合う友人と全員別れてしまったのだ。授業中、周りに人はいるのに、その「普通」な空気に孤独感を感じるようになってしまった。

 それでも、まだ二年生と三年生の間は、サークル活動を積極的にしており、サークルには非常に気の合う友人、先輩、後輩がいたので、良かった。週末は大抵サークル活動で、野山を駆けまわっていた。沖縄の大学に進学した高校時代の友人と久しぶりに会った時、「沖縄の人より日焼けしてる」と笑われたくらいだった。

 しかし、私が所属していたサークルは、三年生が部長など幹部を務め、四年生で実質的に引退し、OB・OGの立場となるのが恒例だった。人生色々で、ちょっとその時あらぬ誤解からもめ事が起こってしまい、私は引退後、サークルに顔を出しづらくなってしまった。この辺りも、私のコミュニケーション能力の至らなさが原因だったように、今は思う。おかげさまで、私の居場所は、「研究室」だけになっていった。そう、変人の巣窟である、研究室だけに…

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