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生の短さについて(セネカ)【読書感想文】

1、要約

[1]人間の生は本来、立派に活用すれば十分に長く偉大なことを完遂できる。
[2]しかし、人々は時間を浪費したり忙殺されることなどによりその生を短くしてしまっている。
[3]英知の為に時間を使い、賢者を友とするような「閑暇の人」になることで生を立派に活用できる。

※下記以降は私の解釈を合わせた感想文になります。

2、解釈

大雑把に解釈すると下記の2点について語っていると思う。
[1]時間の大切さ、時間の性質について
[2]英知の世界、学問は素晴らしい。(だから時間を英知の世界に使おう!)

3、時間の価値について。なぜ時間は価値があるか?

・時間とは人生の一部分である。
・時間は王であっても巻き戻せない。
・時間はお金でも買えない。

など、時間という資源がいかに価値があるかは感覚的にも論理的にも誰しもが理解できるところだと思う。

4、時間の性質について

人生という文脈における時間の性質は下記のようなことが考えられると思う。

[1]人生(時間)は有限である。
[2]ただし、いつ人生が終わるかは分からない。
[3]時間は目に見えない。だから価値が実感しづらい。
[4]時間は相対的なものだ。(「生は短く、術は長い。」byヒッポクラテース)

5、時間を2つに分類してみる。人生の可食部について。

時間をあえて分類すると2つに分けられると思う。

[1]本質的な時間
[2]本質的な時間を得る「為の」時間

それぞれについてもう少し詳しく考えてみたい。

まず、[1]本質的な時間について。

セネカの目線では本質的な時間は「英知に費やす時間。英知の世界を逍遥する時間。」だった。

しかし、我々現代日本人が本質的な時間を模索する時、必ずしも英知の世界こそ至上であると思わなくて良いと思う。

自分にとって本質的な時間を過ごせば良いと思う。

音楽を作るのが好きな人は音楽の世界を逍遥すればいいし、
ゴルフが好きな人はゴルフの世界を逍遥すればいいと思う。

ただし、難しい点は、「生は短く、術は長い。」(ヒッポクラテース)という言葉に象徴されるように時間は相対的なものなので、本質的な時間であるかどうかを見極めること自体が難しいということではないか。

続いて、
[2]本質的な時間を得る「為の」時間について。

人生の短さについて考える時、いつも思うことがある。
それは人生の可食部って少ないよなーということ。

着替えるのは、社会に出る為。
歯を磨くのは、虫歯にならない為。
食べるのは、生命を維持する為。
寝るのも同じ。
電車に乗るのは、目的地に行く為。
掃除をするのは、快適に過ごす為。
休憩するのは、再生産する為。
教育を受けるのは、社会で活躍する為。

行為のほとんどは何かの「為に」あるものだ。
つまり、準備であったり対策であったり手段である。

果実で言うならばそれらは果実の皮であり、実に到達するまでの食べられない部分であり、あるいは実の中に潜む食べられない種である。

ただでさえそうなのに、皮を剥いて、さぁ食べるぞといざ齧りついてみると実の外側は苦かったりする…。

美味しく食べられる部分はというと、なんとまぁ実に小さいではないか。

6、十分に生を長く活用した偉人

充分に長くその生を活用した偉人についても考えてみたい。

葛飾北斎

日本が誇る世界の北斎。
90歳まで生き、物理的な時間としても長く生きた訳だが、その生涯で書いた作品はなんと30,000点以上に及ぶという。
30,000点ということはもし一日も休まず毎日書いたとしても80年以上かかる計算だ。

驚愕せざるを得ないのだが、その死の直前にはこんな言葉を遺している。

死の直前、北斎は、「天我[てんわれ]をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と言ったといわれます。

すみだ北斎美術館ホームページより
https://hokusai-museum.jp/modules/Page/pages/view/401

「あと5年生きられたら、真の絵描きになれたのになぁ」
ということだ。
果てしない創造意欲。探求心。
まさに芸術に人生を捧げ、十分すぎるほどに生をまっとうした先人である。
「術は長く、生は短し」を体現した偉人だ。

7、時間の価値と性質を踏まえ、時間を分類した上で、どうやって充実した生にしていくか。

以上でみてきたような時間の性質や、時間の大切さ、時間の分類を踏まえた上でどのように充実した生にしていくべきか?

①非本質的な時間を削減する。

ただし、どこからが本質的な時間であり、どこからが非本質的な時間であるか見極めること自体が難しいのではないか?

例えば、だらだらとテレビを観る時間ははたして非本質的な時間だろうか?

それはインプットの時間になっているかもしれないし、脳のリフレッシュになっているかもしれないし、それ自体が楽しいのだとすると何が問題なのか?

・・・とまぁ単純ではない問題である気もする。

一方で、「洗濯を手洗いではなく洗濯機で行う」のような行為は分かりやすい非生産的な時間を削減する行為だ。

このように、哲学的な問題は往々にして白黒つけにくいことが多いと思うので、「心がけることが大切だ」という中庸的な姿勢でいったん決着をつけたい。

②「将来の夢なんか、いま叶えろ。」を実践する。

堀江貴文さんの本のタイトルです。
ハッとさせられた強烈なパンチライン。。

時間の性質として、「人生は必ず終わる。そしていつ終わるかは分からない」という点を挙げた。

だから、「老後になったらあれをしよう、これをしよう」という発想はナンセンス。

「生の短さについて」を読んでいて思ったことの一つですが、セネカの時間観と堀江貴文さんの時間観は似ている。

「生の短さについて」に共感した方は堀江貴文さんの本も共感されること思うのでおススメだ。
(唯一、「忙しさ」に関する意見は両者の相違点ですが。)

③学問や芸術など真理探究に挑戦してみる

学問や芸術といった人類がバトンを繋いできたような、そして今後も繋いでいくべきであるような、真理探究の道を歩んでみるのもいいかもしれない。
誰しもが葛飾北斎のようにはいかないだろうが、ただ消費的に生きるのではない充実感が得られるかもしれない・・・。

おわりに

「時間は大切だ」という話は耳にタコができるほど聞いているし、実感もしている。
難しいのは、「時間を大切にしていくこと」であるような気がする。

いずれにせよ、時間とは人類の永遠のテーマだと思うので、今後も自分なりに研究していきたい。






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