「この歌、いいなー」と思って調べてみると、
「作詞:阿久悠」という表記が目に飛び込んでくる。
この現象が頻繁に起きる。
「あ、これも阿久悠の作詞だ。」
次第に、「私は、ひょっとしたら阿久悠の歌詞が好きなのかもしれない。」
という恋のような始まり方で阿久悠への興味を自覚するようになった。
そんなある時、阿久悠記念館なるものがあることを知り、すぐさま足を運んだ。
阿久悠の遺した作品、仕事の数々を知り、阿久悠への興味が一層強まるとともに、尊敬の念が芽生えた。
もっと阿久悠さんのことを知りたいと思うようになった矢先、この「生きっぱなしの記」(阿久悠)という本を見つけ、手に取った。
興味深かった箇所をピックアップしながら、感想文を書いてみる。
そして阿久悠研究の入門レポートとしたい。
時代を見つめ、時代を見抜く。時代のかたりべとしての歌謡曲。
実は、歌謡曲作りにおいての阿久悠は、いわゆる「自身の世界観を表現するアーティスト」の類ではなかったと思う。
とにかく、時代を見つめる。時代を見抜く。
そこから、その時代の人間の心を見抜く。
そして、言葉を紡いでいった。
つまり、観察・洞察・考察から歌詞を作る。
それは、アーティストではなく、時代のかたりべ。
阿久悠氏の歌詞作りの信条をまとめた「阿久悠作詞家憲法」にそのことが表れている。
日本人の感性、近代化する生活様式、人間のしぐさ、表情に至るまで、阿久悠は時代とじっくりと対峙していたことが伝わってくる。
こうした時代を観察・洞察・考察することはどんな職業人にも必要な姿勢ではないでしょうか。その意味で、この阿久悠作詞家憲法は作詞家のみならずすべての人にとって大変な金言である。
決して、机上の理論だけでは人の心を掴んだり、動かしたり、揺さぶったりすることはできないのだと思う。
「美空ひばりが歌いそうにない歌」をテーマに。
時代と向き合うことと同様に重要なポイントの一つは、第一条の、「美空ひばりが歌いそうにない歌を作る」だったという。
それまでの歌謡曲の象徴であった美空ひばり。
その美空ひばりが歌いそうにない歌を作る。
分かりやすい判断基準ではないか。
それまでの王道、定石、定番、常識。
それらを度外視し、それらとは違う角度から考える。
これが革新的、創造的なそれまでにない歌詞を作る際の指針となっていたのだろう。
時代を見抜く目は、お茶の間の人間をも見抜いた。
それまでのラジオに替わり、テレビがようやく各世帯に普及していったが、その新しいメディアの本質を捉えたスターが不在だった。
そして、まだテレビがまだ文化を成していなかった。
阿久悠はその時代を見抜く目で、人々がテレビをどんな環境で視聴し、どんな態度で観て、何をテレビに求めているのか?という本質を突き止めていた。
『テレビのスターは、「手の届きそうな高嶺の花か、手の届かない隣のミヨちゃん」であるべき』だと見抜き、「スター誕生!」という番組を企画、数々のスターをテレビの中に登場させ、テレビの文化を作った。
時代を読み、見抜き、時代の飢餓を満たすものを創る阿久悠は、その意味ではマーケターでもあったのかもしれないと思う。
メディアの歴史の記録としても興味深い
阿久悠は主要メディアの勃興と黎明期、成熟していくさなかで生きた人でもあり、メディアの変遷、メディアの体験についても興味深いことが叙述されているのでピックアップしてみたい。
まず、ラジオ。
ラジオは玉音放送以前と以後で別れる。
玉音放送以前は戦争関連の放送。
玉音放送の後、すなわち戦後はエンターテイメントを放送するように。
一方でテレビは、皇太子殿下と正田美智子さんの結婚の儀式とパレードを見る為に普及したという。
メディアは戦争の中で国家の統一の為に機能し、家族団欒の中で家族の統一の為に機能し、平和の中でもまた社会の統一の為に機能してきたのだと思う。
ユニークな入社試験
阿久悠は大学卒業後、宣弘社という広告代理店へ入社する。
その際の入社試験がユニークで興味深い。
なんとも面白い試験で、リクルートスーツに身を包んで画一的な問答を行う面接よりも遥かにその才能と適性を測ることができるように思われる。
そして何よりこの時の阿久悠の回答が既に企画者としての眩い才能の輝きを放っている。
余談だが、この発想力や企画力を問うような阿久悠の得意な形式の試験はあとにも先にもこの阿久悠が受験した年だけのことだったらしく、運命的なものを感じる。
モーレツな働き方
モーレツ社員と呼ばれるように、この時代の働き方は尋常ではなかったようだ。
いち会社員としての仕事も激烈なこの時代に、「宣弘社の社員・深田公之」として働きながら、同時に「放送作家・阿久悠」としての一人ニ役を担っていたから、当然過酷な生活であったことは想像に易く、睡眠時間は平均三時間という働き方だったそうだ。
言葉を学ぶとは
最後に、氏がNHKの「課外授業・ようこそ先輩」という番組で授業をした小学生たちに、番組終了後に送ったという詩を保存しておきたい。言葉を学ぶことの本質を分かりやすく表していると思い、大変感銘を受けた。
言葉の世界に興味のある者の端くれとして、本書とこの詩をときどき思い返してみたい。