見出し画像

あなたなら、どんなポートレートを撮りますか?〜福岡在住フリーモデル・圭子さんの撮影を通して感じたこと

写真が大好きで4年半ほど撮り続けているのだけれど、特に人間を撮ることがずっと好きだった。美術部だった高校生時代、油絵に描いていたのはいつも人だった。友達だったり弟だったり自分だったり。なんとなく、人を描くってことだけはポリシーみたいに決めていた。その時は理由なんて考えたことなかったけど、それくらいに人に興味のある私がポートレート撮影をするようになったのは自然なことだったように思う。


先日初めてお会いするモデルさんとポートレート撮影を行った。

福岡県を中心にフリーモデル活動をされている、圭子さん。

たまたまハッシュタグから私の写真をツイッターで見つけてくださってフォローしていただいたのだけど、こちらのインタビューを読んで私が惚れ込んでしまって撮影をお願いした。

彼女はいわゆる「ヌード写真」の被写体としても幅広く活動されている。


ヌードという芸術表現

私自身ポートレート撮影をしていく中で、同じようにポートレート撮影をするカメラマンさんとの繋がりがぽつぽつとできた。
中にはヌードを撮っている方も多くいた。ただ、私の見てきた写真は…いわゆる若い女の子を性的に消費するような…そんなヌードばかりだった。ヌードを撮るおじさんたちは芸術を口実に若い女の子の裸を撮りたいだけに思えたし、ヌードを撮らせてしまうまだ若い女の子は承認して欲しいがために無知なままに搾取されているように感じてしまっていた。はっきり言ってその構図、そういった撮影がありふれているアマチュアカメラマンの界隈に嫌悪感すら感じてしまっていた。もちろん私が彼らの表現活動を評価することなんてできないのだけど、そういった印象を抱いてしまっていた。素人が裸を撮ることを芸術と呼べるのか、常に疑問に思っていた。

ただこのインタビューを読んで、そして圭子さんの作品を見て、必ずしもそんなヌードばかりでは無いことを知った。圭子さんのヌードは、ありのままの自分を受け入れるための行為の一環だった。そこに性的消費みたいな一面は見て取れなくて、むしろ女性を勇気付けてくれるような…どんな自分でもそのままでいいんだよ、と言ってくれているような…彼女の一連の作品や言動から、そんなメッセージ性を感じることができたのだ。


かっちり作り込まない、インスピレーションに任せた撮影

とはいえ私はヌードを撮ったことは無いし、ヌード表現というよりも圭子さんの表現力や表情に惹かれて撮影をお願いした。色々と作り込んだ撮影のイメージが浮かんで来る方だったが、ご挨拶も兼ねてまずは作品作りというよりも気軽に・楽しみながら撮影してみようということになった。
圭子さんはメッセージのやりとりも安心感があって、被写体経験が多いこともあり(8年ものキャリアがあるそう!)カメラマンとのやりとりにも慣れていらっしゃる印象を受けた。

撮影地はアイランドシティ中央公園。
この日は午後から雷雨の可能性とのことで延期も検討したが、せっかくなので時間を早めて午前中に撮影を決行した。
正直光の均一な曇りという環境はドラマチックな光を捉えられなくて苦手なのだけど、アンニュイな曇りの感じは、圭子さんのイメージにぴったりだったのかもしれない。

カメラを向けても力まない、自然な表情。


圭子さんの持ち味は、なんと言ってもその表現力だと私は思っている。

好きに、自由にしていてくださいと言ったら全身を使って踊ってくれた。指の先からつま先まで、身体をいっぱい使って表現してくれている。身体の全てに意識が行くのは、さすが普段からヌードを撮っているだけあるなと思った。こういうポートレートの被写体は、身体表現なんだなぁと感じた。

彼女の表現を見ながら、私は風を感じていた。

でも、この日はそんなに風が吹いていたわけではない。彼女が動いていると、まるでそこに風が吹いているような…そんな、風を感じる表現をされる人だった。

撮った写真を現像している時、私の頭の中では元ちとせの「ハイヌミカゼ」という曲がずっと流れていた。

中学生の頃大好きだった元ちとせ。
しばらくずっと聴いていなかったのに、自然と彼女の曲を思い出した。私の中での、圭子さんのイメージなのかもしれない。




圭子さんは表情も豊かだ。私は特に、弾けるような笑顔がとても好き。


撮影中、何度も「好きにやらせてもらう撮影が久々で嬉しい」とおっしゃってくださった圭子さん。
でも、私の方も相当好きに撮らせていただいていた。いつもよりたくさん「ここで撮ってもいいですか?」を連発し、そんなわがままに付き合ってもらっているうちにだんだんと圭子さんも私の撮りたいポイントがわかるようになってきたみたいで、こんな経験は初めてだったので嬉しかった。


どんなポートレートを撮るか

ポートレート撮影、ポトレ。カメラ好きの間ではそんな言葉で、気軽に人物撮影をする人がたくさんいる。数多くいる中で自分らしい表現をしながら突出することは難しくて、SNSで埋もれてしまう自分の写真に落ち込むこともままあった。

だけどポートレートってほぼ被写体の方の力で成り立っているなぁ、と最近はよく思う。そして被写体の方の魅力をどう活かすかがカメラマンの腕の見せ所なのかもしれない。例えるなら被写体さんが食材、カメラマンは料理人。出来上がった写真が料理というところだろうか。カメラマンの視点によって、被写体のどこにスポットが当たるのかも異なってくる。若くて可愛いところにスポットを当てるのか。美しい身体のラインにスポットを当てるのか。はたまた、人間性が垣間見える部分にスポットを当てるのか…それぞれに持ち味があって、その視点こそが撮影者の命の部分だと思う。

以前写真展に出展した時に、見に来てくれた知人にこう言われたことがある。
あなたの写真は男心をそそられない。せっかく女の子撮るなら、もっとフェチ的な魅力を引き立たせないと。いかにも女性が撮りましたって感じがする。
その時は「エロのために写真を撮っているわけではない!」と正直怒り心頭だった。だけどそういう写真を求める層もいるのだ。例えば私がヌードを撮ったとして、その人の求めるようなエロスは写せないんだろうと思う。でもそれでもいいんだ。

人物を撮っていれば、それだけでポートレートだ。でもポートレートの中でもきっとジャンルが細分化できるんだろうなと思う。私は、被写体の方の内面まで写すようなポートレートが撮れるようになりたい。今はまだ雰囲気で撮ってしまうことが多いけど…人間性や人生の垣間見えるようなポートレートが撮れるようになりたいなあ。可愛いだけ、綺麗なだけの表現はたぶん向いてないからいいや。

あなたなら、どんなポートレートを撮りますか?

圭子さんとの撮影を通して、ポートレートやヌードという表現について色々と考えさせられた。私の写真(切り取り方)を気に入ってくれたかどうかはわからないけれど、表現力や相性、人間的魅力まで含めてぜひこれからも撮影したい…そう思えるほどの方だった。

そんな圭子さんのインスタグラムはこちら。
ヌードのアカウント▶︎@kei_ko_5211
ヌード以外の作品▶︎@kei_ko_1206


*******************************************************************************

思ったことや考えたこと、感性を忘れてしまうのが怖いです。
写真と文章で今の自分が見たもの、感じたものを残しておきたくて
noteとインスタグラムでフォトエッセイを綴っています。

Instagramアカウント▶︎  @38st_film
写真ポートフォリオ▶︎ 38 Photography
イラスト・デザイン(本業です)▶︎ さとう七味

この記事が参加している募集

読んでいただきありがとうございます!何か心に引っかかるものがあれば嬉しいです。