シ・エーナ@Cortenova fieldnotes

自分に誠実に善く生きようとする。いずれ山の中で魔女になるまでご縁に従い実践を続ける

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自分に誠実に善く生きようとする。いずれ山の中で魔女になるまでご縁に従い実践を続ける

最近の記事

年末年始、事始めの切なさ

大晦日、家の戸を叩く。 戸を開けた先には満面の笑みの母。 問答無用で落ち着く。体の力が抜ける。 住み慣れた場所のただならぬ安心感を感じた。 いつもの通り、祖母との散歩。 近頃はあまり歩きたがらないという。 自らの意志に反して体の自由が効かなくなるつらさはいかほどか、靴を履く時によろけて体を戸にぶつけ、「どうしてよろけるんだ」と呟いていた。 何度も歩いた道を時間をかけてまた歩く。 お墓の間を通るのが近道だ。 細い石畳の上に、「きれいな色ね」と季節外れに赤赤とする落ち葉を見つ

    • 執着する私も私。ただ、穏やかに

      どうやら最近、過去に執着している。 だいぶ前のことが何度も夢に出てきたり。 ほんと、仕方ないなあ。 でもそんな自分も愛そうと思う。 「愛は意志」だ。 これだからあなたに出会えてよかった。

      • つれづれつらつらだらだら

        様々に理由をつけ、繋ぎ合わせていろいろな場所を転々としていたら体を壊した。 何日も、ノートにペンで思ったことを書き溜めていたらどれをどこに書き出そうか考え出してついにはどこにも出さなかった。 生活しろ、生活が足りないと言われる。私の日々が生活ではないなら、あれは一体なんだったのか。 こんなもんだ。こうしている間にも平気で時は経っている。 家族はだんだん老いて動き辛そうだし、従兄弟のこどもは歩き始めた。巡っている。巡りを感じる。 日本の食糧自給率は言わずもがな低い。 今

        • 小心者ドミトリーへ

          祖母の故郷に立ち寄る。 観光客がいないごはん屋さんを探して入ると大きな声で「ありがとう〜おおきに〜」と何度も繰り返す、腰や膝が曲がったおばちゃんがあまりにも愛想良かった。 基本的に倹約節制旅なので安く済ませたいと思ってたのにビール中瓶を1本入れてしまった。 そして生姜焼き定食を食べ終える頃、まだ感動を伝えるのに足りない気がして、きつねそばも追加。 昼を抜いた意味がなくなるくらい奮発してしまったのだった。 宿に戻ると客の9割が外国人、と言うだけあって英語が飛び交っている。 学

        年末年始、事始めの切なさ

          旅の途中 進んで戻る自己理解

          束の間の旅に出る前、慣れた村を出るバスの中で あんまり情緒的になってもしょうがない とふと思った。 事実情緒的ではなかった。 また新しく見知らぬ土地を見に行くというときの出発なのに、自分にしてはやけに淡々としていた。 そういえば此処この場所も旅路の中にあったんだった、と改めて思い直す。 山の紅葉は折り返しに入ったように見えた。まだ赤や黄色がみえるが、徐々にみずみずしさを失っていてこのあと枯れ落ちるぞという面持ちだ。 寒い村を出れば、他の場所ではこれからしばらくは見頃なのかと

          旅の途中 進んで戻る自己理解

          毎日少しずつができない

          少し前から、口裏合わせできないはずの知り合いが口々に、とにかく書くのよ!と言うようになった。 日頃からとりとめのないことを考えたり何かに感じ入ったりしているし、それを書き起すことは苦ではないけれども、せかせかと動いている日はいちいち言葉にして打ち込んでいられないし、ボケっとしていられる日はやけに情感たっぷりのポエティックで夢想的なことが思いつく。 底見えしている。 この形式このパターン、似た文章、方々に散らばるメモ、大半はメモにも至らず消えていく日常、では何を残すべきなの

          毎日少しずつができない

          よもぎに蒸されて温まる

          かねてより体験してみたかったよもぎ蒸しが、向こうから来た。 裸になって足首まで長さのある分厚い服を二重に着てフードをかぶり、雛人形か置物のように穴の空いた椅子に座る。すると座面から遺伝子レベルで馴染みがありそうな心地よい香りの蒸気がたちのぼってくるのだ。 はじめにおしりや胸の辺りがじわじわ蒸気の温度と共振するように熱を持つ。時間の半分をすぎた頃にようやく手先や足先が少しずつ温まるのを確認できるようになり、そうかと思えば掛けていた眼鏡が曇り始める。 視界不良になりだすや否や

          よもぎに蒸されて温まる

          母と祖母。大好きだよ

          夜、空が明るくて思わず見上げる。田舎では紅葉も本格化して冷んやりと寒くて、やっぱり「寒い」と口に出さずにはいられなかったが、仕事終わりの気分は良かった。丸裸の一番星と満月を確認して写真を撮る。家に戻ると友達が薪ストーブを焚いていてくれて暖かく、また安心した気持ちになったので都会の家族にビデオ電話を掛ける。 まだまだスマホを使いこなせない母は老眼でしかめっ面。明るい性格だからかそれでいて口角はしっかり上がり笑っているのでなんかおもしろい。眉間の皺は日増しに深くなるように見えた

          母と祖母。大好きだよ

          おやすみと言おう

          おやすみ、と言われたいかも。 気の知れた友達にふと言われて嬉しかった。 私はいつも、何も言わずにさっとその場を後にする。するようにしている。 そしてその時は、他人の生活を邪魔しないようにとか思っているし、自分に対して一人で淡々と生きていけてるぞと表明したかったり、いたりいなかったりするけどいる時はナチュラルにいる感を演出したかったり、面倒くさいことをほぼ無意識的に沢山考えている。 あと、相手にされなくても落ち込まないようにこちらから相手にしないようにしてみたり。面倒だ。

          遠くで光る星がまたひとつ消えた

          遠く、その星は気高く、何からも等しく距離をとりつつも異なる他者と適切に影響しあうことを歓び、宙に浮き続けることを美として極めようとしていた。その心は侍のように強くしなやかで精悍だった。 とても輝いて見えたそれがしばらく経ったらどうだろう。 気高さは安易な粉飾心に成り代わり、ホモソーシャル、同質的なもの同士の馴れ合いに埋没してしまった。 輝きは失われた。 残念でならない。 空を見れば光る星がひとつ消えた。 しかし私は空を見ることができる。 それもとびきり広い空を見たから、

          遠くで光る星がまたひとつ消えた

          掟の門がわかりますか

          掟の門が分からなかった。 自分ひとりのために生きよということか 一般的な解釈を知ろうとして、携帯電話を手にとろうとするのをぐっと堪える。 もう一度本を手にする。 初めから門は開いていた。だが入れなかった。 男ひとりのための門。最後は閉じられてしまう。 遂に死ぬ。 ここは近所の喫茶店。しかしまだ2回目だ。 昼過ぎの日差しが細く唯一入ってくる奥の席を選んだ。 やさしさが欲しくてほうじ茶ラテ。 口が広く分厚い陶器にどっしりとはいっている。 写真を撮ろうかと迷って、自分のための

          掟の門がわかりますか

          海のキラキラと落ち着かない心の交差点で

          目の前の海がキラキラ光って綺麗だったから、裸眼でも光って見えたらいいなって少し期待して、眼鏡を外した。 海はしっかりと光っていた。 とても安心して心の底から嬉しかった。 乱視によってよけいに反射している。 止むことのない煌めき。それも遠くの遠くまで。 それだけで嬉しく涙が落ちた。 でもそれでも、生きることは徒労だ。 繰り返しの毎日、不確実な未来、刹那的な出会い、必ずやってくる別れ。 こんな当たり前のことで感情を動かされてどうこう言うのは、本当に馬鹿げていると思うけれど

          海のキラキラと落ち着かない心の交差点で

          『星の王子さま』が啓蒙から確認材料になった

          合唱劇星の王子さま: 出演した2018年よりも鑑賞した2023年の昨日の方が、言葉がひとつひとつ手に取るように立ち現れて見えた。 もちろん演者や演出含めた制作がそのようにみせたからであり、その制作の汗と涙の努力の結晶によるところが大きい。 このことを踏まえた上で、自分の人生についてキツネの教えに照らして考えてみると、5年を経て生じた感じ方の変化は、自らが自己理解に費やした時間のためにもたらされたともいえる。 その時間で経験したことや向き合ってきたことが、目に見えない言葉た

          『星の王子さま』が啓蒙から確認材料になった

          夜空の星を見ながら歯磨き

          今日はようやく暑さが和らぎ、秋らしく涼しい風が吹いた。 夜になって寝支度の途中、歯を磨くあいだが暇だと思ったので、外へ出て星でも見ながら歯磨きをしようと思い立った。 物干し場に出て椅子を広げ、座る。 ひさしの下から見えるだけの広くない空にも、星が数え切れないほどたくさんあった。 星もそれぞれに大きさや光り方が異なる。 視力の限界も感じつつ目を凝らしていると、絞り出すように強く光ったと思ったら、すぐに弱まるのを何度も繰り返して点滅するように見える星があった。 その星が、

          夜空の星を見ながら歯磨き

          わたくしよ!労働をしよう!

          暇を愛し尽くした。老後の暮らしのリズムを知った。毎日あくせくしない。みんなが働いている平日昼間に働かないことも幾度となくあった。だからこそいま言える。 最適なる労働を我に与えよ! 持ち合わせの情報や経験をもとにして頭で思考するだけの日常はおもしろさが底見えして久しい。 とりわけ自分について考えることに関しては、何度同じ結論を辿ったろうか、油断すると2日に1度は同じ道を通るようにして擦り、捏ねりあげたものだ。 正直言って飽きた。 「詩人は苦痛をも享楽する」*ものと思えば

          わたくしよ!労働をしよう!

          無限の彼方へさあ行こう

          気を抜くと、すくっても手からさらさらこぼれ落ちる砂か、どんなものでも手応えなく透過していく透明人間になったかのように、無機的(無気力)になる。 予定調和的な都市での生活は、いつまでこれを続けるんだろうと思ってしまうし、農山漁村で自然の大きなリズムの中にいたらいたで、その手に負えないもののに埋没していく。 生まれたものは必ず老いて死んでゆくから、生きることがどうしようもない徒労であることにはかわりない。 強いて言えば、こうして考えてなにかを書いているときが唯一、無限の広が

          無限の彼方へさあ行こう