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金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(前編)

2019年6月3日、金融庁の金融審議会が、人生100年時代の金融サービスのあり方を論じる「高齢社会における資産形成・管理」(以下、「『人生100年時代』レポート」)を公表しました。

「人生100年時代」レポートでは、少子高齢化や長寿化、働き方の多様化といった、日本の社会構造の変化を踏まえて、人生100年時代の資産運用についての指針を示しています。

ところが、「人生100年時代」レポートは、全く予想外の形で注目を集めることとなりました。「老後に2,000万円が不足する」という数字が大きく注目され、その数字の妥当性が大きな議論を呼び起こすことになったのです。

「2,000万円」という数字が一人歩きする一方で、「人生100年時代」レポートの全体像や、そこに込められたメッセージについては、あまり議論されていません。そこで今回は、「人生100年レポート」を読み解き、私たち一人ひとりの人生に対して持つ意味について考えたいと思います。

現役世代にとっての資産運用の指針

「人生100年時代」レポートでは、現役世代にとっての資産運用の指針が、4つの心構えとして示されました。

(1)早い時期から資産形成をはじめる
(2)少額からでも「長期・積立・分散」で資産運用する
(3)自分にあったライフ・プランをつくる
(4)長く利用できる金融サービスを選ぶ

なぜ、早い時期から資産形成をはじめるべきなのでしょうか?

実は、現在の高齢者でも、老後の生活費のすべてを年金でカバーしているわけではありません。「人生100年時代」レポートによれば、高齢者の夫婦世帯の毎月の収支の平均をみると、収入が約21万円、支出が約26万円となっており、月に約5万円が不足しています。この不足分は、自分自身の金融資産を取り崩すことで補われています。

年金と自己資金で老後の豊かな生活を

ここで注意すべきは、高齢者の夫婦世帯の平均値をみると、住宅費や食費、光熱費などの最低限必要な生活費は、年金でカバーできている点です。

では、年金でカバーできていないのは、どのような支出なのでしょうか?それは、教養や娯楽、趣味などための費用です。たまに夫婦で旅行したり、外食したり、孫にお年玉を渡したりといった、豊かな老後を送るための費用の多くは、年金ではなく、自分自身の金融資産でカバーされているのです。これは、あくまでも統計上の平均値ですが、それなりの納得感があるのではないでしょうか?

つまり、高齢者の夫婦世帯は、豊かな老後を送るために、自分自身の資産から毎月約5万円が支出しているということになります。

繰り返しになりますが、これはあくまでも平均値であり、一人ひとりの生活実態は異なります。しかし、これをベースに、一つの目安として敢えて単純計算すれば、豊かな老後の生活のために毎月5万円を取り崩していくためには、30年間で2,000万円程度の金融資産が必要という試算結果になります。

もしも日本人の平均寿命が短いままであり、例えば、老後の生活が10年しかないならば、毎月5万円の取り崩しを10年続けても600万円あれば十分です。実際、私自身の祖父は退職後10年も経たずに亡くなりました。日本で長寿化、特に健康寿命が伸びていることは素晴らしいことですが、豊かな老後のための必要な費用もまた伸びているのです

それでも、現在の日本の高齢者は「人生100年時代」を経済的に乗り切ることができそうです。60代の夫婦世帯の平均をとると、約2,100万円の金融資産を保有しているからです。1,800兆円もの日本の個人金融資産の実に3分の2に当たる1,200兆円を、60歳以上の高齢者が保有しています。(注1)

退職金には期待できなくなる

日本の高齢者は、いったいどこから、これだけの金融資産を手に入れたのでしょうか?正確な統計データはありませんが、主に退職金だと考えられます。しかし、現役世代が上の世代と同じレベルの退職金を受け取ることは到底、期待できません

厚生労働省の統計によれば、大卒で定年まで働いた場合の退職金は、年2.5%のペースで減少しています。退職金がない企業も増えています。また、そもそも、「一つの会社を定年まで勤め上げて退職金を受け取る」という人生設計自体が、過去のものとなりつつあります。

2019年4月19日に、経団連の中西会長が「終身雇用を続けていくのは難しい」と発言しました。5月13日には、トヨタ自動車の豊田社長が同じ趣旨の発言をしています。退職金は、終身雇用を前提とした仕組みですから、終身雇用がなくなるのであれば、退職金もなくなっていくと考えるのが自然です。

このように考えると、退職金に期待することが難しくなっている現役世代は、豊かな老後のために、なるべく早くから資産運用を始めるべきということになります。

少子高齢化によって年金の給付水準は低下

さらに、少子高齢化によって、年金の給付水準が低下していきます。日本の年金制度には、少子高齢化の逆風の中でも年金制度を維持するために、年金の給付水準を自動的に引き下げる仕組みがあります。(注2)

これは、将来世代の年金を確保する(食いつぶさない)ために2005年に導入されたもので、年金制度の持続可能性を支える重要な仕組みですが、現役世代にとっては、老後の豊かな生活のために用意すべき自己資金が増えることを意味します。

このように年金の給付水準が低下することまで考えると、現役世代にとって資産運用はさらに大切だという結論になります。

このような結論を踏まえ、私たち現役世代は、具体的にどのように資産運用をするべきなのでしょうか?次回は、「人生100年時代」レポートで示された具体的な指針を見ていきたいと思います。

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なぜ「2,000万円」という数字が予想外の注目を集め、一人歩きしていったのか、その原因の考察はこちら(↓)をご覧ください。
「なぜ批判を受けたか?金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(中編)」
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(注1)高齢の夫婦世帯が平均して2,100万円の金融資産を保有する一方で、金融資産がほとんどないという高齢世帯も増加しています。金融資産がない高齢世帯の場合には、年金の範囲内で生活するか、老後も働き続けることが求められています。

「一億総中流」の時代が終わり、統計データの平均値によって、日本社会の実情を把握したり、政策を議論することが、非常に難しい時代になっています。そのことが、今回の「人生100年時代」レポートが大きな注目を集めた原因の一つだと思います。

(注2)専門的でわかりにくいのですが、デフレが続かない限り、年金の「額」は低下しません。低下するのは、物価や賃金の伸びや現役世代の賃金と比較した年金の「水準」です。年金の「額」が低下するとの誤解を防ぐため、「年金の給付水準の調整」と表現されることが多く、「人生100年時代」レポートの最終報告書でも、そのような表現が使われています。

(2019年6月12日追記)「人生100年時代」レポートへのリンクを追加しました。付属資料などもご覧になりたい方は、こちら。また、金融審議会の市場ワーキング・グループ(6月12日までに24回開催)に提出された資料や議事録は、こちら

(2019年6月13日追記)「なぜ批判を受けたか?金融庁「人生100年時代」レポートを読み解く(中編)」を執筆し、リンクを貼りました。

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