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みんな私の邪魔をしている(小説)

 周りの人たちは因習だとか時代遅れだとか犯罪だとかいろいろ言っていたけれど、私は別にそれでよかった。おばあちゃんの言うとおりにすれば村のみんなはしらひび様の祟りから逃れられるし、それによってあと五十年はこの村は恵まれた土地として痩せることもなくみんな充分満足に食べていけるらしいし、何より私は十五歳より先のことを一切考えずに生きることができたから。
 行きたいときに山を下りて小学校に行って、そうじゃなかったらおばあちゃんと一緒に行動して、しらひび様の供物になるための存在として様々な修行をしていればよかった。学校では村からきている他の子を含めた子どもたち全員とは話してはならないとおばあちゃんに言われていたから友達もいなかったし、学校の先生は私のことを『不登校気味の面倒な子』としてしか扱わなかったから滅多なことがなければ話しかけられもしなかった。
 勉強だってたいしてしなかった。お母さんやお父さんは、
「お前を供物になんてしない、あんな話くだらないって、ばあさん以外はみんな言っている。もうそんな時代じゃない。お前もきちんと毎日学校へ通って、勉強して、友達を作っていいんだ。お前には十六歳の誕生日もくるし、その先だってずっとある。成人式には綺麗な振袖を着よう。それまでには、この村を出よう」
 そんなことを度々私に言って、私をひどく困らせてきた。
 私は村のことを考えて行動している。それが自分の役目だと信じているし、その役目を与えられたことを心から感謝している。おばあちゃんに洗脳されているだけだと言う大人もいるけれど、じゃああなたは村の行く末と私の人生両方を一生面倒見てくれるのか、と思う。
 私は村の未来と引き換えにしらひび様に捧げられる。十五の誕生日が過ぎて一番初めの台風の日、荒ぶる河に飛び込む。それが私の人生なのだ。それだけ考えていればいいのだ。なんて気楽なことだろう。大学も、就職も、仕事も、恋愛も、結婚も、出産も、子育ても、老後も、病気も、苦しみも、苦労も、苦痛も、何にも考えなくていい。ただ、十五になったら死ねばいい。それでいい。みんなのために死ぬ。お役目がある。難しいことを考えなくていい。全部おばあちゃんの言う通り。それでいい。頭を使いたくない。生まれた瞬間にやることが決まっていて、さっさとそれを遂行したらゲームクリアになる。そのうえみんなが幸福になって、みんなの脳裏には私の死が死ぬまで焼き付く。こんな美しい人生、他に必要な物なんてあるわけないじゃないか。


 そんなことを考えながら生きていたら、十三歳のころにおばあちゃんが死んでしまった。私はぼろぼろと泣いて、
「どうやってしらひび様の供物になればいいの。細かいこと、おばあちゃんまだ教えてくれてないよ。おばあちゃんが橋繋ぎになるって言ってたのに。それは誰がやってくれるの。私、どうしたらいいの」
 私が大声で喚いている中、お父さんもお母さんも、隣のおばちゃんも、村一番のおじいちゃんも、嬉しそうにお葬式の支度を進めている。
「因習にとらわれていた最後の人間が死んだ。もうしらひび様だのなんだの、ただの嘘に振り回されて誰かを殺さないで済む。きょうは人生で一番幸福な日だ!」
 誰かが歌うように、嬉しそうに、弾むように言う。みんなが一斉に同調する。私のほうを向いて、
「よかったね。供物になる前におばあちゃん、死んでくれて」
 無責任に言う。みんなが一斉に同調する。こいつらは馬鹿か。これからの私の人生をどうしてくれるつもりなんだ。私は十五で死ぬんだ。だから友達もいない。勉強もできない。運動だって不得意だし、中学校には入学式以来二回しか行っていない。私には供物になる以外の人生が用意されていないのに。なぜそんな無責任に笑える? おばあちゃんは私に十五で死ねと言って、幼い私はそれを受け入れた。そこで契約は成立していたのに。お前らはどうして邪魔をするんだ。
「私は、わた、私、は、他の、人生を、用意して、いないよ」
 お母さんに縋りつく。お母さんは私の頭を撫でて、
「何言っているの。用意も何も、あなたの人生は元々ずっと、あなたの中にあったでしょう。おばあちゃんに洗脳されちゃったのね。でもそれも時期に解けるわ。大丈夫。あなたは十五を過ぎても死なないし、あなたはこれから先も人生が続いていくのよ」
 そう言って、私の両手を握り、もう一度、大丈夫よ、と笑った。

 最悪の気分だった。
 死ねると思っていたから好き勝手に生きてきたのに。しらひび様に祟られる? 端からそんなもの信じていないよ。このクソみたいな田舎で、みんなが「年金が少ない」とか「作物の卸し先をまた切られた」とか「過疎が進んで」とか「子どもが少なくて」とか言いながら、極稀にやってくる移住者をみんなで寄って集って村八分にして追い出して、そんなことをしながら「村がどんどん廃れていく」とか頭の悪いことを言って。だから私は人生に希望なんて見出していなかった。放送局の限られたテレビ番組を見ていても、キャスターは村の人たちみたいに人生の苦痛ばかり語る。青春みたいなドラマはあくまでドラマでしかない。私たちの人生に希望も光も存在しない。なら十五で死んだほうが『勝ち』じゃないか。だから私はしらひび様だとかいうおばあちゃんの馬鹿みたいな話を受け入れたのに。

 ねえ、誰が今後の私の人生を担保してくれるの。
 おばあちゃんは、少なくとも十五までは面倒を見ると言ってくれていた。あんたたちは違うだろ。これから誰よりも必死に勉強して、でもまともな学力には程遠くて、名前を書くだけで入れるような底辺高校に行って、卒業したら就職して、でもどうせ何の役にも立てないブラック企業で、すごすご村に戻ってきて、ボランティアみたいな金額で知り合いの農家の手伝いでもして生きて、村の余り者と無理矢理結婚させられて、子どもを期待されて。
 そんな人生ならいらない、そんな人生なんていらないから供物になるって決めたのに。

 みんな笑顔で嬉しそうに葬式に参列している。
 みんな私の邪魔をしている。
 みんなで私の人生を放り出そうとしていることに気が付いていない。

 みんな、私の邪魔をしている。



(「みんな私の邪魔をしている」24.6.10)

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