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なんでまいにち「書く」のでしょーか。

「アイデンティティ」ということばがある。

超スーパーかんたんに意訳をすると「個性」。でも、個性は「パーソナリティ」ともいわれる。んじゃあ、どっちがただしいのかといえば、どっちもただしい。

そのちがいは、どうやら視点のちがいのようで、

パーソナリティ=他者から見た個性。
アイデンティティ=自分で定義している自分の個性。

らしい。
なので、もし他人から「なんであなたはまいにち書くの?」と問われた場合。

わたしは、書くことが好きで、書くことで自分を表現することが好きなので、「自分のアイデンティティをたもつため」で、いいってことだよね。
つまりはそういうことになります。

しかし、ここでちょっと野心というか、願望というか「もし、お差しつかえなければ…」と欲もでてしまう。

それは、できることならこの「書く」というアイデンティティを、パーソナリティとして認められたいってきもち。

つまるところ、他人様から「しばいぬさんのパーソナリティって書くことだよね」と思われていたいってことです。

まあわたしだって、いっぱしの社会人なので、ほかにもいろいろできるよ。

唄だってすこしくらいは歌えるし、絵もへただけど描けるし、はやくないけど走れるし、ぶなんな味だけど料理もできる。
でも、もちろんこれは他の人もできる。

そしてさらに世の中のほとんどの人が、文章を書ける。
「書く」というのはだれもが持っているスキルなのに「しばいぬさんは書くことが得意だね」と、他人様がわたしの
「個性」を「書くこと」として認識してくれるのであれば、こんなにうれしいことはない。

仕事で、自社サイトだけど、コラム記事を執筆させてもらうことがある。このとき、あつかましいくてごめんなさいだけど、そりゃあやっぱり読者から「いいね」と思われたい。

しかし凡人一族の凡人のなかの凡人として生まれたわたしが、そのぜいたくな欲望たちをわずかでもかなえて生きていくためには、お勉強はもちろんだけど、せめてまいにち文章を書くことで、ちょっとでもパーソナリティを伸ばすことができたらいいなって思う。

書くことで、自分らしさを他人のだれかに届けられるって、さいこうじゃないですか。



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